ジム・ジャームッシュ『ストレンジャーザンパラダイス』をめぐって

ジム・ジャームッシュ「ストレンジャーザンパラダイス」

何も起きないパラダイス

何も起きないから退屈ではない。
むしろ何も起きないからこそ、生まれる空気というものがある。
ぼくたちはそんな日常に生きている。
ジム・ジャームッシュの出世作『ストレンジャーザンパラダイス』はまさにそんな魅力に満ちている映画だ。

ワンシーンワンショット、ブラックアウトでの切り替え
全編モノクロームで撮られた90分弱の旅に出よう。
NY〜クリープランド〜フロリダと紡がれる若者3人組のロードムービー映画。
3部構成、なにを描いているんだかがよくかわからないまま、
なんだかんだで見てしまう珍道中に身をまかせる。
どこかサイレントムービーを見ているように画面は淡々と切り替わってゆく。

映画史において『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の存在意義はきわめて大きい。
いっそのこと、ネオアメリカンニューシネマとでも呼んでもいいものだが、
オフビートなるジャンルにおいては
やっぱりこの人ジャームッシュの名を挙げぬ訳にはいかない。
もちろん、オフビート感覚を昔の映画に求めることだって可能だが
この感性はやっぱりあの80年代からの現象だったんだと思う。

そう、オタク資質の、FromNY、ひとりの映画狂の産物として
映画というものを、巨大産業の枠組みから個の表現へと回帰せさ
日本でもそのムードが人気を博した記念すべき作品だ。
当時から多くの映画人からも賞賛の声も上がっていたから
その腕が確かなのはいうまでもない。
黒澤明がこの一作をひどく気に入っていたのは有名な話。

個人的には、なんといっても
あのScreamin’ Jay Hawkinsの「I Put a Spell on You」の音楽とともに、
今なお鮮明に焼き付いている。
そのレコードを探しまわって良く聴いていたっけな。
音楽の感性が合う合わないというのは、映画においても一つの指針だ。
主演ジョン・ルーリーにしても、元々ラウンジ・リザーズが好きだったこともあり
そのミュージシャンが俳優として出演している縁は興味深い。
いやがおうにもジャームッシュへの関心が身近になった素養である。
当時、音楽好き、ポストニューウェヴな感性にとっては
直接的に訴えかけてくる映画作家という位置づけである。

今となっては、その地位をすっかり確立し
コンスタントに映画を発表し続けている“巨匠”だが、
ジャームッシュの場合、それ自体がひとつのジャンルだといってもいいぐらいだ。
巨匠というほど敷居が高いわけじゃない親近感。
アンチコマーシャリズム、アンチストーリーテリング
アンチハリウッド、アンチキャリアハッスルetc・・・
とどのつまり、そういうところがオフビート感性を支えている骨子だ。

当時踊っていたキャッチが「インディペンデントの雄」。
その響きはいまだ健在である。
が、世の中は随分寛容になった。
逆に「おしゃれ映画」の代表っていうのには、手放しで支持できない、
が、ジャームッシュの映画がおしゃれな映画だといわれるゆえんは分かる。
それまでの映画とは一線を画すようなスタイリッシュなスタイル、
つまりは、肩肘張らない規模で展開される映画体験であり、
それが新鮮なまでにクールだったのはあるだろう。
低予算で、ストーリーにさほど起伏があるでもない、
職業俳優が我が物顔で演技を決める映画とは程遠いノリがある。
日常感覚で撮られている点はとても新鮮だった。
いわゆるミニシアター系の作品として
大々的にスタートした経緯があるからだろう。
だからこそ、オフビート描写が活き活きしてくる映画なんだと思う。

そんな資質をもったジャームッシュだが、
ヴェンダースとおなじようにパリで映画を発見し
大学ではあのニコラス・レイに出会い、師事し、
『パーマネントバケーション』で長編映画監督デビューを果たすが
当時、絶頂期を誇ったヴェンダースの目に留まって
『ことの次第』の余ったフィルム40分ほどをわけてもらうという幸運から
予算8000ドルで撮ったのがこの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」の一部。
それが第一部『The New World』として反映され
そこから二部「One Years after」三部「Paradise」と付け足して
約二日間で全編を撮りあげたのだという。
どこまでも流動的なのもいい。

内容はといえば、NYに住むウイリーのもとに
ハンガリーからいとこが出てくるというので
その子を泊めてあげる、というところから始まる。
それが第一部『The New World』で
そこでエヴァという女の子が
本映画でフィーチャーされている「I Put a Spell on You」を
カセットでかけながらNYのストリートを歩いてくる。
CMの一シーンのような、なんともクールなショットが印象的だ。

ただ登場人物たちは決してノリがいいわけじゃない。
オーラを感じるまでもないし、シンパシーもない。
泊める側のいとこウィリーもどっちかとえばつっけんどん。
話は全然かみ合わないし、何か深いものを抱えている気配もない。
ただ、いつもどこかにぎこちなさを抱えている。
それはジャームッシュの醸すアウトサイダー感にリンクしているのかもしれない。
そこには同時代人としての共感がある。
別れの際、贈るプレゼントが冴えないドレスだったりして
笑いが起きるときも、どこかクスッとした笑いや
ちょっと苦みのある笑いが多いのも特徴である。
そう、ディテールにこそ、映画の本質が宿ると言わんばかりに。

じゃれ合わず、適度な距離を保ちつつも
奇妙なつながりの友好関係を手離さない、という感じがいい。
おそらくは、このウィリーは祖国にいい思いがないんだろう。
人種のるつぼアメリカの日常にある闇を感じさせる人物だ。
アメリカで東欧人が感じる孤独のようなものなのかもしれない。
だから、ロッテ叔母さんのハンガリー語も聴きたくないほどで
本名のベラでさえも仲間にまで押し隠す男だ。
生業も適当で、いかさまカードやギャンブルで生計を立てているが
かといって、裏社会の人間というまでは堕落していない。
それゆえに、当時同じような立場の若者だった身からすれば
妙な共感があったのかもしれない。

何度も書くが、ストーリーらしきものは何もないし意味もない。
あえて深読みするまでもない映画だが、
フロリダくんだりまでドライブでやってきて
やることいえば、ドッグレースか、競馬ぐらいのもの。
エヴァはなんとなくつき合ってしまったけれど、どこか仲間はずれ感がある。
そんなエヴァが麻薬の密売人と間違えられて大金を手にして
それを元手に祖国に帰るって段階にきて、
やっぱしやーめた、ってことになるんだけど
なにそれ?って感じで終わる。
この唐突なエンディングがまたジャームッシュらしい。
そこに四度目の「I Put a Spell on You」だ。

いったいなにを期待して、なにが心に残るというのか?
そういわれると、苦笑いするしかない映画なんだけども
わからない人にはこの先もわからないだろうし、
退屈な人には限りなく退屈な映画なのかもしれない。
こういうことなら、自分の身の周りにも起きるかもしれないなあ
なんて半ば適当なことを思いつつ見る、それだけだ。
なによりも、この映画は雰囲気がいいんだよ、
そう、さりげなくいってしまうだけの画の力がある。
それこそはジャームッシュの魅力であり、味ってことになるんだろうか。

ジャームッシュの映画は、男と女が絡んでも
いつも不思議にセクシュアルな匂いがしないのも特徴だ。
ロマンチックでも
暴力もないがカッコ付きのユーモアだけはいつもある。
そこにメッセージがあるのだと思う。
それこそモノトーンな感じで、派手さはなくいつも乾いている。
感情を廃したとて、無機的にはならず、温かみがある。
どこか奇妙な感覚を持った人間たちが
過度にじゃれ合わずに阿吽の呼吸で掛け合う、っていうドラマだ。
やりとりをみていても、言葉の掛け合いがメインで
なにか特別なことが起きる気配はどの映画を見ても出会さない。
むりくりにいえば、俳優たちの演技の
ドキュメンタリー映画みたいにうまく編集して見せる感覚がある。
そこにいる人間が演じる空気感を
どうにかこうにか映画にしてしまう術に長けているのだと思う。
それがのちにタクシー内の出来事をフィチャーした『ナイトオンザプラネット』
コーヒーを飲みながらの会話だけで綴った『コーヒー&シガレット』に反映されるってわけだ。

そんなこんなのオフビート映画、記念すべき第一作がこれ。
次作『ダウンバイロー』では引き続きジョン・ルーリーが
新たにトム・ウェイツという相棒を加えて出ているし
その次の『ミステリートレイン』ではScreamin’ Jay Hawkinsまで担ぎ出している。
決して俳優のための映画は撮らないが、自身が愛するミュージシャンたちを
うまく映画のマジックを使ってうまくとりこんでしまう監督である。
元から音楽をやっていたこともあって、顔がきくというのもあるのだろうが
オフビート感じさせるミュージシャンばかりを起用しているところを見ると
ジャームッシュが持っている音楽センスが映画の骨子にあるがわかってくる。
はじめに音楽ありき。

Screamin’ Jay Hawkins – I Put A Spell On You 

『ストレンジャー・ザン・パラダイス』のインパクトは、なんと行ってもこの曲に集約されるといっていい。”スクリーミン・ジェイ”・ホーキンスの曲の「I Put a Spell on You」は彼自身が1956に作詞・作曲した一世一代の大ヒットオリジナルだ。ローリング・ストーン誌の「史上最も偉大な500曲」でも313位にランクされ、100万枚を超えるセールスを記録し、これまで多くの人がカバーしていることからも、この曲の人気および、キャッチーさが計り知れる。単調な三拍子(ワルツ)で始まるが、ジェイ”・ホーキンスのキテレツなパフォーマンスと、圧倒的な叫びの美学によって、なんとも魅力的な雰囲気を醸すR&Bにしあがっている。

クリーブランドのディスク・ジョッキー、アラン・フリードと知り合った後、彼の提案で長いマント、煙と霧の中、棺桶から這い上がってステージに登場したホーキンス。この演技によってセンセーションを巻き起こし、後にホーキンスの鼻に牙を装着したり、ステージ上でヘビやら花火をぶっ放し、そして名物になった「ヘンリー」と名付けられたタバコを吸うガイコツを登場させた。こうしたパフォーマンスで一世風靡したが、当時は一部の黒人団体から黒人のイメージが悪くなるとのクレームがあったり、ラジオでは食人風習を思わせるとして放送禁止になったり、まさに呪われた怪作のエピソードには事欠かない。

そんな名曲を映画に使ったジャームッシュのセンスが、この映画のヒットに貢献しているのはいうまでもないが、スクリーミン・Jはさらに、『ミステリートレイン』ではまんまとスクリーンにまで担ぎ出され、その存在感を十二分にお披露目したってわけだ。
当時、ジャームッシュがこの楽曲を使用しようと本人探しをした際には、電話もなく、ニュージャージーでトレーラー住まいをしていたらしい。スクリーミン・Jそのものが異文化そのものだったとジャームッシュは回想する。そんなわけで、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』には、結果的にピッタシの楽曲だったわけだ。

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