ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.32 オフビート大好き人に贈る“ツボ”にはまる映画特集

ハズレなきビート憎しのお笑い道場破り

お笑いが好きといってみたものの、ちょっと違うんだけどなって思うことがある。
たとえば、オフビートなるものを考えはじめてみると、これが案外奥が深い。
オフビートとは、音楽用語というか、
リズムで、「通常からはずれたところに強拍がくる」というのが由来だから
そこから派生して、常識からずれた登場人物とか雰囲気を総じて
オフビートな笑いってことになっているのかもしれない。

オフビートコメディなるジャンルがいつの頃からどのように定着したのだろう?
結構昔から馴染んでいたような気がするが、
それは80年代、代表選手と称される
ジャームッシュとかカウリスマキとかの映画から始まっている。
オフビート支持というほど大袈裟ではないが、
別に「オフビート」タッチだから好き、ってことはなくって
ただ単に作風が好きっていうだけのことなんだけれど
事件の起こらなさ、仮に起きたとしてもその起きぐあいのチープさ
それに伴う哀愁や間、そこからの笑いのツボ云々。
逆説的にいえば、そうした好きなところの総称を冷静に分析すれば
まさに「オフビート感」と呼んでいいものが勝手に生まれてくるのかもしれない。

別に無軌道なキャラクターが出ていればいいとか、
奇想天外な雰囲気の映画や、なにか固有の記号めいたものを求めるだとか、
いわばアクの強さがあればいいとかいう話ではないだろう。
どこか、掴みどころがなく、おとぼけ感によって淡々と刻まれる独特のノリ、
という名の雰囲気が一人歩きして、
あくまでも感覚的に気持ちいいと感じる映画がある。
そもそも、オフビートとコメディ、そしてまたB級とも微妙に違っている。

いわゆるコメディ映画というと、
王道たるチャップリンとかキートンにまで遡ったり
そのあとにプレストン・スタージェスやビリー・ワイルダーらの
いわばスクリューボール・コメディってのも念頭に浮かぶ。
日本で言えば、東宝の人気喜劇映画『駅前シリーズ』とか
そうした系譜を連想しがちなのだが
自分ではロシアのボリス・バルネットのいくつかの映画や
「惑星キンザザ」のようなものを含めて、
あくまで好きなもののなかにある感覚にすぎない。
これは一つの発見なのだが、
メキシコ時代のブニュエル映画とか、
フランスのジャック・タチなんかも当然入ってくるだろうし、
場合によっては、エリック・ロメールや鈴木清順までが
そこに場を持っている作家だということがわかってきた。

カウリスマキなんかでいえば、
オフビートはあの監督が持つ独自の性質にリンクしているだろうし
ジャームッシュの場合も、反ハリウッド、脱アカデミーといった
インディペンデント気質な映画作りそのものが
そうしたオフビート気質にうまく合致しているのだとも言えるだろう。
彼らはみな、独特の間でもって描き出すスタイルを持っているが
改めてみてみると、その答えは総じて日常の中にあるものごと、
だれもが経験するような、ちょっとしたおかしみを
無視しないで映画として拾っていくってことなのかもしれないと気付かされる。
ずばり、キーワードは「日常」である。
普段から、ちょっとしたズレた感覚をどう受け止めるかこそはその人のセンスであり
それをどれだけ愛せるか、っていうことが試されるのだ。

「笑い」の感性と一口に言っても、人それぞれだし
国が変わればさらにややこしい。
とどのつまり、オフビート、というのはただ単にひとつの見方ってことだ。
場合によっては、退屈だったり、なんだそりゃ? 
ってな感覚でかたづけられてしまうものかもしれない。
一言では語りえないものに潜む「笑い」の本質ではないだろうか?
意味不明、よーわからん、で済まされても仕方がないが、
スポットライトをあててゆく楽しさ、まさにそんな感覚だ。
いずれにせよ、腹を抱えて大笑いする、というよりも
微妙な判定の笑いの要素が散りばめられた含み笑い、
それら、ギリギリ映画として成立するもの、というのもあるのかもしれない。

ここで扱うようなものは
世にいうオフビートさからさえも
ちょっとズレた視点になっていく可能性は大いにある。
必ずしもオフビート映画かどうかはわからないものまで含めて、
僕個人が勝手にオフビートを感じとる映画
つまりは「マイオフビートな映画」を取り上げてみることにしよう。
ああでもない、こうでもないってことをつらつら書き連ねてしまうのは
何もオフビートだからではない。
その映画が面白いと思うからだ。
オフビートはあくまで後付けだ。

オフビートってものを考えると、ついつい饒舌になり勝ちで
それでいて、なんか小難しく考えて悦に入るようなところもあるが
総じて、曖昧かつ懐の深いものであるという魅力を感じている。
その辺りの考察を含めて、あくまで個人的な感想の域を出ないが、
ここでは、オフビートは言葉の遊びのようなものとして捉えて欲しい。
あたかも、音楽を聴くようにしてオフビートを楽しんでみよう、そういうことだ。
オフビート万歳。

空っ風野郎:三島由紀夫

増村の『からっ風野郎』は別段オフビート映画だとは思わないのだが、そこにあの三島由紀夫が出ているというのは、ある意味でオフビート感満載なのだとも言えるのだ。ここで取り上げるのは挿入歌のみだ。演技だけに及ばず、歌まで吹き込まされ、それを例のミシマイズム、つまり何事にも全力で駆け抜ける力に満ちた力作ではあるが、結果的に、音楽そのものに聞こえてくる空回り感(音痴という意味ではない)そのものがオフビート感を生み出しているともいえる。三島由紀夫が愛おしい。

特集:オフビート大好き人に贈る“ツボ”にはまる映画

  1. 何も起きないパラダイス・・・ジム・ジャームッシュ「ストレンジャーザンパラダイス」をめぐって
  2. マッチで夢から覚める話・・・アキ・カウリスマキ「マッチ工場の少女」をめぐって
  3. クスクス笑いのおもてなし・・・サミュエル・ベンシェトリ『アスファルト』をめぐって
  4. ユロビートムービーに微笑みを・・・ジャック・タチ「トラフィック」をめぐって
  5. この世のすべては「クー」である・・・ゲオルギー・ダネリア「不思議惑星キンザザ」をめぐって
  6. 団地郷の人々・・・阪本順治「団地」をめぐって
  7. ‎ 仔犬男の探偵物語・・・エリック・ロメール「飛行士の妻」をめぐって
  8. 感傷か鑑賞か、悲喜こもごもの人類小咄・・・ロイ・アンダーソン「ホモ・サピエンスの涙」をめぐって
  9. 愛はいつも五分五分で・・・クシシュトフ・キエシロフスキー「トリコロール/白の愛」をめぐって
  10. 夢の宴のオフビートロマン・・・鈴木清順「夢二」をめぐって

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