エリック・ロメール「飛行士の妻」をめぐって

飛行士の妻

仔犬男の探偵物語

二十代そこそこの、のほほんとした若造にとっちゃ
相手が年上のちょっといい女というだけで、
好きになってしまうことはままあることで
そこにある種のロマンが絡んできて
甘くほろ苦い憧れに身悶えする時期が
男なら一度や二度ぐらいあるんじゃないかしら?

エリック・ロメールの喜劇と格言劇シリーズ第一作「飛行士の妻」で、
夜勤をしながら学生生活を送るフランソワくんがまさにそれ。
彼には一応、アンヌという年上の「彼女」がいる。
ロメール映画の常連マリー・リヴィエールが
いつものようにロメール節というか、その「彼女」を演じている。
常に写真を持ち歩いていて、他人に自慢するぐらいだから
相当入れ込んでいるのはわかるが、ちょっと痛い。
なぜなら、自称「彼女」であって
肝心のアンヌの方は彼氏だなんて、さほど真剣には思ってはいないからである。
終始つれないそぶりからも、かなりの温度差が見て取れる。
そもそもがぱっと見、釣り合ってないのは明らかで
よく言って、姉と弟のような関係性の二人に恋の匂いがしない。

その経緯はまったく描かれてはいないが
何かと仔犬のように絡んでくるこのフランソワを見ていると、
本命の不倫相手飛行士のクリスチャンとの関係でピリピリしている最中に
なにかのいきさつで出会い、ふと本命不在の心のすきまに入ってきた
いうなれば「仔犬程度」ゆえに、実にイライラさせられるってわけなのだ。

不倫相手との関係に先が見えて
その果てに傷ついた女心にとっては
一見この鬱陶しく思える仔犬男がどこかで救いだったのかも知れないし
一時の気の紛れだったのかも知れない。
ついつい弱みを見せてしまったのだろうか。
こう言うことは得てして、恋に悩む乙女にはよくありがちとみえ
そうした隙に、勘違いする男がわいてくるのもしょうがない。
逆にウブな男からしても災難である。
相手はちょっと気難しくって不安定とくる。
つまりは、クリスチャンにとってのアンヌがそうであるように
フランソワは都合の良い男として扱われていることを自覚できないのが不幸の始まりだ。
無邪気にしっぽを振り続ける、
そんな鈍感ではあるものの、どこか憎めない不器用な男、
それが子犬男フランソワなのだ。
そんなこともあって、アンヌはフランソワをしょうがなく部屋に入れたりもするし
全くお構いなしに下着姿でも、なんともないのである。

男女関係、もっと踏み込んだ恋愛ドラマなんかを期待すると
しっぺ返しを食らう映画なわけだが
一丁前に、フランソワはたまたま駅のカフェで見かけた、
アンヌの本命クリスチャンを探偵気取りで後をつけ公園へやってくる。
ここからちょっとスリリングな展開?と思わせる別の出会いがある。
大した事件にはならないが、
公園で出会ったリシューとは妙に会話が弾んでしまう。
リシューはノリが良くて、フランソワが追っている不倫男を
わざわざ自分の写真の背後に収めようとしたりする悪戯っ子だ。
彼女はフランソワより5つも下には見えない。
本当なら、このぐらいの女の子の方が分相応な気もするわけだが
フランソワはアンヌ自慢で新たな恋には発展しそうもない。

公園を離れてカフェで不倫男について
あーでもない、こーでもないと推理に花を咲かせる。
もっとも楽しんでいるのはリシューの方で
逆にフランソワは女心について半ば説教されうんざり気味。
で、フランソワはこの女の子に後日談の葉書を出す約束をして
実はその女の子が同僚と仲睦まじい日常を目撃してしまうのだ。
ちゃんちゃん、なあんだ、あいつの彼女だったのかってな具合。
偶然に偶然が重なるってこと、あるんだね。

そんなわけで、実に話がいろいろ入り組んでいて
関係性もぐるぐる回るから、そこがまた面白いのだ。
結局、恋愛劇も、探偵ごっこも、全てが
いい意味で中途半端なまま描かれて
最終的に何一つ解決しない煮え切らない話なのだ。
そもそもが「飛行士の妻」らしき人物は出てこない。
一方で、それをめぐる悩める気難しい女と
そこに絡む愚鈍な青年フランソワと
そこに入ってきた好奇心旺盛の乙女との間の恋愛観の相違というか
ものごとへの考え方の違いが絶妙に対比させられて終わる感じが
見ていて実に楽しいのだ。

元来16mmの手持ちで
若い男女のすれ違いをドキュメンタリータッチで描く
ロメールはそういう作家ではあるのだけれど、
言うなれば、それは一つの手法に過ぎず、
本来作り物である映画を偽のリアリティで
できるかぎり自然に感情移入を誘うような、
そんな展開をみごとに繋ぎ合わせゆく。
それには微妙な心理を綾をじっくり見届けなければならない。
視点があっちにいったりこっちにいったりするものの、
とにかく、せわしくない展開だ。
それでいてどこか考えさせられるシチュエーションがあって、
一度見るとハマってしまう、
そんな不思議な毒っ気があるのがロメール映画の醍醐味といえる。

本作の格言は「人は必ず何かを考えてしまう」。
つまり、人間というやつは自分で勝手に問題を作り出し
勝手に大きくしたり、悩んだり、あらぬ方向を行ったり来たりして
そのプロセスこそが面白いといわんばかりに
老練なるロメールの手にかかって見事に展開されてゆく。

ロメール映画に出てくる男女関係は
大概、いつもどこかギクシャクしていて
そのすれ違いの様を面白くおかしく映画にしてしまうのがスタイルではあるが、
この「飛行士の妻」においては、本命男との不倫が暗礁に乗り上げ
不安定な気持ちを抱えた25歳のOLの
気ままぶりに翻弄される男の滑稽さの根本が、つまり「考えすぎ」であり、
「思い込み」が元で空回りする、
といった事情がもののみごとに描き出されているわけである。

どこか麒麟の川島を彷彿とさせる、
フランソワ役の大学生フィリップ・マルロー君は
当時現役の大学生で、いわばほぼ素人。
一方のマリー・リヴィエールは自らロメールにアプローチして
ロメール組の常連もなった、いわばロメールお気に入りの女優。
「緑の光線」でも似たような不安定な感情をもった女を演じ
ロメール作品のミューズ的ポジションに預かった女優だが
そんなふたりのまさに自然なかけあいの裏側を
現場でぜひこの目で確かめてみたくなってくるほどだ。

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