ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.20

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性を股にかけるということ

男と女の間には深くて暗い川がある、
と「黒の舟唄」で歌ったのは作家野坂昭如だったが、
一般的に、男と女の最大の違いは、なんと言っても
子を産めるか否か、という点に尽きるだろう。

そんな事は、太鼓の昔からわかり切ったことではあるのだが、
キャリア女性などに、産む、産めないというような議論を軽く持ち出そうものなら、
それこそ、ある種の蔑視として、ここぞとまでに攻撃を受けることもある時代である。
だが、そのことはむしろ特権として考えてみると、
「女は子宮で考える」ことへと通底する根源でもあり、
どうあがいても、子宮で考えられない男の無力さにおいては、
(子供を産める、産めないにおいての価値とは別にして)
その直感思考の前に、ひたすらひざまづくより他ないのである。
少なくとも自分はそう思ってきたのである。

とはいえ、男にとってみれば、こうした女の直感力、
あるいは女が導き出す結論に到底抗えないと思うのは、
導き出された答えが、理屈や理論に依存しないという本質に根ざすからである。
かつて、あのサルバドール・ダリにはガラというミューズがいた。
ガラ無しでは、ダリにあらず、ダリはガラによって生かされており
作品には「ガラ・サルバドール・ダリ」と署名を記し、
それはガラが死ぬまで続いた。
ある意味、ダリはガラの手のひらの上で転がされていた赤子であり、
文字通り、ガラはダリのミューズであり、女神であり、妻、母親でもあった。

このガラという女性は、ひとつの象徴だが、
特に美人というわけではないにもかかわらず、
シュルレアリスム運動のミューズそのものでもあった。
絶えず、多くの詩人や画家のインスピレーションの源泉でもあり、
最初に結ばれたのが、詩人ポール・エリュアールだったが、
その間にもガラはマックス・エルンストとも自由に関係をもっていた。
とくに、自分よりも若い芸術家を手玉にとり、
いわば性に奔放な女性として、つとに有名なほどに男を渡り歩いた。
のちに、アンドレ・ブルトンは、そんなガラの存在を要注意人物とみなし、
自らは距離を置いたが、
そんなガラに出会ったダリは、一目でこの魔性の女ガラに夢中になった。
そして、エリュアールの元を去り、ダリという宝石を磨き、
のちのダリの名声を押し上げた重要な人物として、
いまなお、伝説の名を刻むのである。

つまり、それにはブルトンの『ナジャ』の有名な冒頭、
「私は誰か? ここでとくに、あることわざを信じるならば、
要するに君が誰と付き合っているか知ればよい、ということになるのではないか」
にならえば、ダリだけではなく、シュルレアリストたちはみな、
多かれ少なかれ、その源泉をミューズたちに求めたという点で共通している。
そんなミューズたちをはじめ、純粋直感に導かれ
ときに男たちを翻弄し、凌駕し、また愛や源泉として君臨し、
絶えずインスピレーションを与えつづけた存在に、
スポットライトをあててみようと思う。

特集:純粋直感に導かれた月時計便り

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