アンナ・カリーナスタイル『女は女である』の場合

Anna Karina 1940-2019(from『Une Femme et une femme』1961)
Anna Karina 1940-2019(from『Une Femme et une femme』1961)

アンナに愛していたのだけれど・・・

ヌーヴェル・ヴァーグのミューズ、といえば
颯爽と脳裏をかすめる一陣の風のような人。
その名はアンナ・カリーナ。
アンナ・カリーナはいわゆる大女優というほどの存在感を
一度だって醸し出しはしなかった。
それでもいつ思い返しても
麗しく、可憐で、愛おしさが募る。

そんなミューズが亡くなってはや一年が過ぎた。
79歳で癌に抗えず生涯を閉じたのだった。
アンナ・カリーナはいつだってアンナ・カリーナであった。
元祖ゴダールのミューズと言い切っていい女優。
それが彼女の運命を良くも悪くも決定づけてしまった。
だが、自分にはそれだけで十分だった。
難解さの中にあっても、そこには可憐な花が咲き誇っている安心感、
そして至福感が漂っていた。
それが記憶を今尚決定的に根付かせてくれている証だ。

ちょっぴり残酷な老いさらばえた姿を
公然に晒す事を余儀なくされてしまった晩年だったけれど、
それでも、卑屈になることもなく、
その可憐さと毅然さを実にバランスよく使い分けながら
明朗に人前で歌ったり、
インタヴューに答えたりしていたのを覚えている。
日本でもその勇姿を披露してくれた。
最後の最後まで彼女らしい足取りを刻んで
蠱惑的な重力を保ち続けながら
まるで夕凪のごとく静まり返った思いの今
アンナの可憐さだけが
今も目に焼き付いて離れない。

『小さな兵隊』でデビュー以来、
翌年には公私にわたる伴侶となったゴダールとは
64年には映画製作会社「アヌーシュカ・フィルム」を共同で設立し
いよいよ席巻するヌーヴェル・ヴァーグ時代を
支え続けたのは言うまでもないのだが、
しかし、幸せは移ろいのなかに消えてゆく。
ヌーヴェル・ヴァーグの革命児との蜜月期は
わずか数年で終焉を迎えてしまう。

それを運命としてさらりと流してしまった彼らだが、
映画の神様はその威光を簡単には消し去りはしなかった。
その後も、ヴィスコンティやファスビンダー、
ジョナサン・ドゥミといった監督作品でも活躍をみせた。
自らもメガフォンをとったりしながら、
映画への思いを保ち続けてきた。
その間私生活のパートナーも随分渡り歩いたようである。
彼女の魅力をほっておくわけもない。
決して、何かに抑圧され支配される女を生きなかったが、
男たちはそんな爛漫なアンナを愛し続けた。
彼女もまた移り気な恋を謳歌した。

そんなミューズはモードアイコンとしても
ひと時代を築いた女性だった。
今でも、ことさらこの日本で
モードに敏感な女性たちの憧れとしてリスペクトされている。
彼女がいかにもマリンルックが似合うのは、
おそらく洋裁店を営む母親と
船員だった父親の間に生まれたからだろうか。
四方を海で囲まれるデンマークコペンハーゲンに生まれた彼女は
決して幸福な幼少時代ではなく、
母親には愛されず、その思春期には
かなり、精神的な傷を負ってすごしたのだという。

女優を夢見て、わずか15ドルの手持ちで
言葉も知らないファッションの都パリにやってくる。
(『女は女である』の中でジャン=ポール・ベルモンドに
“R”の発音ができないとからかわれるシーンからも
そのことが想起される。)
駆け出しのモデルとして、
本名ハンネ・カリン・バイエルから
アンナ・カリーナへと転身するのは運命的な出会い、
あのココ・シャネルが彼女の成功の門出に一役買っているのだ。

さて、女優としてのアンナ・カリーナに話を移そう。
今度はその映画界に颯爽とデビューする。
既存の映画を破壊し、革命を巻き起こそうとしていた
ゴダールの目に留まったのだ。
計7本ものゴダールとの作品のなかで、
どの作品が追悼にふさわしいのか、
ということでしばらく頭を悩ませた。
デビュー作『小さな兵隊』か、
あるいは代表作にして金字塔『気狂いピエロ』か。
あるいは、娼婦ナナを演じた『女と男がいる舗道』
『はなればなれも』捨てがたい・・・
迷うところではあるのだが、
いずれそれらは個々の記事で満たすとして、
個人的な思い入れでいうならば
やはり『女は女である』ということに落ち着いた。

小難しく、ワケのわからない作品を撮り続けた
稀代のシネマ革命児JLGが
実はこんなキュートで、こんな楽しく軽妙な映画だって
撮れるんだよってことを
まんまと証明してみせたのがこの『女は女である』である。
何より、理屈抜きで楽しめる。
実にこれは紛れもなくアンナ・カリーナのための映画である。
しかし、それこそはアンナ・カリーナの魅力あってのもの。
その雰囲気、一挙手一投足はどれも愛おしい。

仮にヒロインがジーン・セバーグだったなら、
と考えると、どこか悲劇的な運命しか想起できないし、
これがアンヌ・ヴィアゼムスキーだと、
どうも政治的な雰囲気で見る前に
構えてしまいそうになるかもしれない。
(フランソワ・モーリアックの孫という血筋からか、
文学的と置き換えてもいいかもしれない)
アンヌ= マリー・ミエヴィルまでくると、
いかにもクールで知的な感じがしてしまい、
結局はどのミューズもアンナ・カリーナほどの
軽やかさ、眩しさには届かない、
というのが個人的な思いである。

しかし、九十の声も聞こえてきて
なお気炎をあげるしぶとく老練に映画と向き合うゴダールは
相変わらず頑なに信念を曲げようとしないのを見ても、
この天使のようなこの初代ミューズとの蜜月が
短く通り過ぎていった(まさに“Un ange passe”天使が通り過ぎる
<沈黙が続くという意味がある>)のも納得できる。
いくらミューズを渡り歩いたとて、
ゴダールの恋人は所詮映画そのものなのだ。

そんな『女は女である』であるが、
ストーリーはさして意味のないものである。
子供を欲しがるアンジェラと困惑するエミールの話だ。
バカバカしくも、微笑ましいカップルの喧嘩は絶えない。
その隙間を塗って、しきりにアプローチをかける、
アルフレッドにその思いを託そうだなんて、
かくも愚かさと切なさに揺れるのが女心と言うものか。
いみじくも、その後ゴダールとの間に子供を授かったことで
結婚へと踏み切った二人の関係の絶頂期の映画だ。
結局アンナは流産するとともに
二度と子供が授からない女になってしまったのだというから
この作品はどこかで二人の関係を予兆していたのかもしれない。
そしてそれは彼女にとっても
大きく影を落とした出来事だったに違いない。
『女は女である』のなかで、
しばし子供を懇願するアンジェラがなんとも切ないのである。

とはいえ、まるで陽気なミュージカル風な映画は、
爛々たる彼女のキレが随所に発揮され魅力が満載だ。
ヌードも辞さないショー・パブで纏う衣装の水兵服。
家で着る白抜きの青のストライプのバス・ローブ。
或いは、青の刺繍とリボンが目に付くブラ。
アップした髪にブルーのリボン、ブルーのアイシャドウ。
真っ赤なカーディガンにチェックのスカート。
そして青いベレー。
本を持ち出してのタイトルを使っての喧嘩するシーンは
いかにもゴダール的悪ふざけで楽しい。
あるいはベルモンドとのフォトジェニックなポーズでの掛け合い。
ストリップガール演じるアンジェラの歌うシーン。
色とりどりのカラーに彩られて、
ご機嫌なモードに身を包んだミューズが
ゴダールの手のひらの上に収まりきれぬほどの
自由さ大胆さで持って我々を魅了し続ける。

ゴダールも負けてはいない。
途中途中バックグランドミュージックを遮断する大胆な編集。
ラウル・クタールの手持ちカメラが生き物のような俳優たちを、
パリの街並みとともに見事に映し出してゆく。
いたるところにふざけた遊戯性を挿入しながらも
女の魅力、アンナ・カリーナの魅力を
十二分に引き出すことに成功している。
さぞや満足だっただろう。
ゴダールらしくない、といえばいえなくもない、
あたかもデレデレとした感覚が貴重な時間を刻印されており、
その眩い鮮やかな色彩感覚にも溶かし込まれた
まさに幸せ絶頂期のJ&Aによる共同作業は
アンナが女優銀熊賞最優秀女優賞、
ゴダール自身は銀熊賞特別賞をそれぞれ受賞している。
公私ともに幸福な体験が、永遠に刻まれた『女は女である』こそは、
彼女の追悼に相応しいのだと思う。

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