アッバス・キアロスタミ『オリーブの林をぬけて』をめぐって

『オリーブの林をぬけて』 1994 アッバス・キアロスタミ
『オリーブの林をぬけて』 1994 アッバス・キアロスタミ

どっちつかずもハッピーエンド

「映画はグリフィスに始まりキアロスタミで終わる」
いみじくも、ゴダールにそう言わしめた監督であり、
それこそがキアロスタミへの評価である。
DWグリフィスとは、文字通り、映画文法の基礎を築いた、
まさに「映画の父」と称される人物であり、
その人物に対して、わざわざ名前が上がるということは
映画人にとって、最大級の賛辞といっていい。

一見ほのぼのしたようには映っていようとも
その裏で、巧みに(いい意味での)映画的な悪意をあれこれ駆使しながら、
職人技のように映画を撮ってきたしたたかな映画作家であり、
2015年に惜しくも他界したイランの至宝といっていいほどのこの監督作品が
単に、フィクションとドキュメンタリーの曖昧な境界線上に視座を起きながら
実は映画の普遍性をしっかりと兼ね備えている、ということの重み。
まさに、それが映画の可能性を押し広げてきた第一人者のそれ、
といっても差し支えないほどに、我々に成熟した映画を見せてくれるのだ。

大都市に映し出される諸々の現代性よりも、
素朴な地方の小さな世界での普遍的な出来事、人間のありようを
実に自然な形で映画にしてしまうと言う芸当。
それでいて、いつもなにか深く考えさせられることになる、
まさに魔法が繰り出される巧みな映画術に魅了されてきた。
さりとて、あまりにもナチュラルに繰り出される映画のシーンは
余程注意深く観察し続けなければ、いとも簡単に見過ごしてしまうほど
いたって単純なものに見えるのかもしれない。

これから触れるその『オリーブの林を抜けて』においても
けして素朴な映画というわけでもないということは
その意味で、強調しておかねばならない。
いきなり、映画の結末の話になって恐縮だが、
これを見終えた人間が感じうる感性においては
いかようにも受け取れる結末だけが用意され、
その豊かな余韻からしばらくは離れられなくなる、
といった不思議な感覚を覚えることだろう。

『友だちのうちどこ?』に始まり『そして人生はつづく』に続く
このジグザグ道三部作のラスト『オリーブの林を抜けて』において、
一連の流れは一応完結する。
キアロスタミ映画を理解するには、
この三部作こそが最適なコースといえるかもしれない。
深く味わうには、なるべくなら順を追ってみて欲しいところだ。

全てイラン北部のカスピ海沿いの町コケール村中心の話で、
通称コケール・トリロジーとも呼ばれている。
話は全てつながっていて、第一部の『友だちのうちどこ?』が
友だちのノートを家に持ち帰ってしまったがゆえに
それを友達に返そうと友だちの家を探し回る少年の映画に始まり、
二部『そして人生はつづく』では、その撮影現場が実際の大地震に見舞われ、
その少年を含む出演者たちの安否を確認しようと言う名目で
首都テヘランから遥々子連れでやってくる設定の映画監督と村人たちの交流を、
ドキュメンタリータッチで描くロードムービーとして綴った後に、
それら二作を踏まえ、『そして人生はつづく』でのエピソードでの
謎解きを含む、一人の青年と少女の恋物語に持って行くと言う展開が
ラストを飾る『オリーブの林を抜けて』に至る内容である。
映画内映画によって、かように巧みな入れ子構造になっており、
それぞれに独立したストーリーでありながら、
全体を通してもひとつの世界観を呈してみせる、
これがキアロスタミがしばし用いる究極のメタフィクション構造映画である。

様々な背景を語り始めたとたん、ややこしい映画にも思えてくるが、
内容はさほど難しい話というわけではない。
そのキアロスタミの詩情には、なかには退屈さこそ感じる人間もいるだろうが
その視座は明確であり、一向にブレることなどなく
また、けして優しさを失うこともない。
映画は、究極のところ、キアロスタミ自ら設計した目の前のジグザグの道を、
映画という必然をもたせてひたすらに駆け上がらせてゆくだけだ。

九十年代初頭の、当時の現代イランにおける価値観を持ち出しての、
すれ違う若い二人の男女間の恋愛劇、その成就を託す映画作りになっている。
執拗に結婚を迫るホセインには、学はなく読み書きが出来ない。
おまけに、地震で家ももってないし、当然お金もさほど持ちあわせていない。
あるのは、タヘレへの愛情と彼女を幸せに出来るという自信のみである。
そういうところを、タヘレの祖母からは否定的にみられ
孫との交際、ひいては結婚に反対されているのだ。
これはある程度、旧イランでの共通認識なのだろうことは想像に難くない。

一方で、タヘレはホセインには言葉をしゃべらず、応じず目も合わせない。
最初に映画のキャストに選ばれたあと、
スタッフが注文した田舎の服ではなく、都会的なしゃれた服を着ていたことからも
自我の強さをうかがわせる女子である。
察するに、彼女自身は祖母とは違い、
自分なりの結婚観も男性像もしっかり持ち合わせている証しだろう。
その証拠に、映画の台詞でも監督の要求に応えず、
ひたすらホセインをさん付けせず、そのことで何度も撮り直しを余儀なくされるのだ。

逆に、ホセインはそのことでは彼女の側に立ち、
現代の若者の間では容易にさん付けしないのが普通だと擁護する。
こういう関係性をその一シーンだけで執拗に見せたあとだからこそ、
ラストシーン、俯瞰のロングショットで追う
あのオリーブの林での求婚シーンがにわかに活き活きし始めるのだ。
それをあえて演出するのは映画内映画の監督の気遣いだ。
近道があるからと、車で送るクルーに背を向け家路を急ぐタヘレ、
そこでさりげなく助け舟のような一言で
「君は若いんだから歩いてゆけ」とフセインを促す。
そしてこっそり、後をつけるのだ。
親心といったところか。

果たしてホセインの声は届くのだろうか?
そこから観客はその点に釘付けされてゆくのだが、
こうして、またあのジグザグ道が映画として機能する。
ただひたすら饒舌なホセインの声かけだけが続くのだが
ちょうど米粒ぐらいに小さくなったあたりで、
牧歌的な音楽と鳥の声がかぶってくる。
そして、ホセインが踵を返し
遠方に見据えるカメラ側にいそいそ戻って来るのは、
普通の見方をすれば、なんらかの良いリアクションをもらったそんな反応にみえる。
結婚の可否、とまではいかなくとも、
それまで頑なに拒否し続けたタヘレの気持ちに、なにかしら変化があったのだろうか?

うがった見方をしたらしたで、タヘレに適当にあしらわれたのかもしれず、
また、それを真に受けたというように捉えることも出来る。
いずれにせよ、すべては見る側の解釈次第で
いかようにも捉えることが可能な終わり方なのだ。
これぞキアロスタミ流の映画手法である。
そこにはわざとらしさ、作為を感じさせるものはなにもない。
むしろ、ギリギリまでじらしにじらした演出によって、
この単純な恋愛の可否が、実にドラマチックに膨らむのだ。
実に、巧妙に設計された映画のエンディングをもってくるものである。
こんなエンディングの映画が他にあっただろうか?
そんな奇跡を前にすれば、
素朴で、たくましく生きるこれら瑞々しい人間たちに
よりいっそう愛おしい眼差しを投げかけてしまうというものだ。

改めて、キアロスタミマジックには感嘆する。
いったいどこまでが演技で、どこまでが演技でないのか、
その境界線がいつもながらにわからない。
で、少年や少女たちの目の輝きだけが、
なんともリアルで忘れがたくなってしまうのだ。
『友だちのうちどこ?』に出演していたモハマッド少年たちも
その間の月日だけの成長をみせ、ところどころで顔見せしてくれているが
すでに映画クルーの一部としてすっかり溶け込んでいる。
こうした親しみが、いつの間にか共有されているのがキアロスタミ作品なのである。

出演者たちを見渡しても、職業俳優などほぼいない。
「らしさ』を極力排除した世界であり、
それはどの映画においても共通しているのだ。
ナチュラルなところが徹底された映画に、
虚構性さえ見いだすのがだんだん難しくなってくる。
がしかし、それこそは映画の魔法であり
素人たちを上手に操ること、彼らをうまく映画空間に引き入れるマジックの先に、
キアロスタミ自身が化学反応を伺っているようにも思えてくる
そんな映画づくりを体験させられるのである。

この映画を観終わったあとに、ふと思ったのは、
何年後かに、このふたりの行く末の作品をもう一度みたいというささいな願望だ。
残念ながら、その夢が叶うことなく、二人の行く末は
永遠に想像のなかに生き続けるだけだ。
やはり、キアロスタミにはかなわない。

空いろのくれよん:はっぴいえんど

もし、『オリーブの林を抜けて』の主人公ホセインに贈る曲があるとすれば、やはりはっぴいえんどのナンバーってことになるんじゃないのかな、なんて考える。ぼくはオリーブをイメージする曲も思いつかないし、イランのポップ・ミュージックというか、あっちの音楽はさっぱりわからないし、あくまでイメージに浮かぶのはこの曲あたりが一番いいんじゃないかって気がしたまでで、特別に意味をもたそうという気もない。彼の行動はある意味一途で、純粋で、ただ女の子からしたら迷惑なことなのかもしれない。でも、だからといって、だれもかれの思いを止めることはできないわけで、たいていの観ている人はきっとがんばれって応援してしまうんじゃないのかな。しかも直接的な方法じゃなくて、なんとなくニヤニヤしながら、ひたすら見守るだけなんだ。でもひとついいたい。若いっていいなあ。

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