溝口健二『雨月物語』をめぐって

雨月物語

怨讐の彼方に捧ぐ京マチ子の夜

女優京マチ子が亡くなって一年以上がすぎてしまった。
享年95歳の大往生というのがちょっと意外だった。
遠い昔の女優のように思えるし
個人的にはつい昨日まで現役で活躍していた脂の乗った女優にも思えていた。
日本映画史に数々の名作でヒロインとして活躍した、
とにかく存在感ある女優さん、というのはその通りで、
それゆえ、海外で高い評価を受けていたのものもうなづける。
そんな大女優に、僭越ながら追悼の思いも含めて記事を書いているのだが、
はて、どこから始めようか、と考えてしまうのだ。

溝口の『雨月物語』での魔性の女。
あるいは『赤線地帯』のアプレガール。
黒澤の『羅生門』での野性味ある女。
あるいは市川崑の『鍵』でのエロティシズム。
吉村の『偽れる盛装」でのいい女風情。
衣笠の『地獄門」での女性(にょしょう)としての古の美。
小津の『浮草』における女座長の貫禄・・・
燦然と輝く日本映画の黄金期を支えた女優であったことを
それらは各々証明しているのだが、
どれもが忘れ難く、それぞれに思入れがある。
なかでも忘れがたいのが溝口の『雨月物語』、
この怪談モノを取り上げてみよう。

作品として、また京マチ子のキャリアのなかでも
ちょっと特異な配役でもあるが、一番好きな代表作でもある。
個人的には現代女性よりも
どちらかといえば、中世の妖しい陰を帯びた女像に
彼女本来の独断場を垣間見る思いがするからだ。
その意味では『羅生門』の真砂も捨てがたいのだが、それはまたの機会。

役は朽木屋敷に棲まう死霊であり、
話のなかで、そこだけしか登場しないにもかかわらず
その存在感たるや、かなりインパクトが強い女、
能面のようなメイクと艶やかがらも陰影ある魔性の女若狭を演じている。
相手が名優森雅之演じる陶工源十郎で
近づくべからずとなんども忠告を受けたにもかかわらず、
男のサガがゆるさず、のこのこ出かけたあげく、鼻の下を伸ばす馬鹿な行商人が
この死霊の館から命からがら屋敷から逃げ帰るシーンが圧巻だ。
藤十郎が過ちを悔い、家に帰らせて欲しいと懇願するところで、
身体におまじないの経文を書き付けてあったことで事なきを得る。
そこで老女と姫が狼狽し、いよいよクライマックスを迎えるときの狂騒っぷりが素晴らしい。
織田信長に滅ぼされた朽木屋敷の若い姫君の
哀しい思いを背負いながら、無念とともに消え去っていく情念。
老女毛利菊枝とのコンビにおける怨讐の恐ろしさが
そうした思いを不気味な静けさのなかに妖しく浮き立たせる。
昨今のホラーにはない、独自のムード、美意識を漂わせているのだ
悪夢から覚め屋敷跡にまさに掘り出された男の無常感がそこはかとなく漂う中
奇気たるまぐわいの宴の余韻が静かに残る美しいシーンも忘れがたい。

元は上田秋成の『雨月物語』にあった「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編と、
モーパッサンの『勲章』を加えて、
オリジナルに脚色した出色の作品でもある。
『勲章』に関しては幽霊譚とは少しかけ離れており、
出世を目論む男とその妻を巡る憐れみ溢れる叙情だから
話としてはなくても良かったかもしれないし、
惜しむらくは、単に幽霊譚としてのみしぼっておけば、
もっと名作然として讃えられた作品になったに違いない。

いずれにせよ、溝口のフィルモグラフィーのなかでも
少し毛色が違っている作品である。
生涯にわたって、女の性、業を好んで描いてきた巨匠が見せつけるのは、
悪霊による恐怖、復讐というよりは、
女の中に渦巻くこの世への未練である。
それにしても、魔性の女、艶のある女、
母性に満ちた女、高貴な大人の女。
彼女が演じたその役柄は幅広い。
まさに昭和の大女優の貫禄が遺憾なく発揮されている。

もちろん、名だたる名監督たちに育まれ
その資質が開花したとも言えるが、
とりわけ溝口組でのキャリアは
彼女の実績に箔をつけたように思う。
『楊貴妃』『赤線地帯』そしてこの『雨月物語』である。

そのあたりのことは
溝口の助監督歴もある新藤兼人による『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』で
京本人の口から語られているところだ。
『雨月物語』におけるこの若狭こそは、
一世一代の芝居、とまでは言わないが、
女優京マチ子無くしては身代わりのいない役柄を
堂々演じきっている溝口VS京マチ子の傑作だと言い切っていい。

ちなみに、藤十郎の妻宮木を田中絹代が扮している。
藤十郎が欲にかまけて家を離れているすきに
落ち武者に命を奪われる、まさに運命に翻弄される女を描く。
藤十郎が家に戻ると、その妻がお出迎えするわけだが
殺された妻がそこにいるはずもない。

これまた幽霊譚である。
が、若狭のような死霊ではなく
菩薩のような女を霊として現前せしめる。
見事な対比である。
魔性の女京マチ子VS観音菩薩田中絹代。
直接的な絡みは一度もないが
同じ幽霊といえど、見事なまでの幽玄美がここにある。

この原稿を菊地成孔の『南米のエリザベス・テイラー』に収録された
「京マチ子の夜」を聴きながら書いている。
ストリッパーをイメージした曲だと聞いたことあるが
その他の関連事情を熟知してはいない。
優雅で甘美なラテンの雰囲気が
早坂文雄の古楽スコア以上に
本来の彼女の雰囲気を讃えているのかもしれない。

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