ツァイ・ミンリャン『西瓜』をめぐって

西瓜 2005 ツァイ・ミンリャン

酸いか、甘いか? 台湾発『西瓜』は思った以上に甘くはなかった

いよいよスイカのうまい季節がやってきた。
ぜひ、あのまあるい球体をばまるまる購入して
カブトムシよろしく吟味したいところ。

さて、その昔、奇数の家族なら
随分頭を悩ませたはずだ。
偶数ならきっちり均等に切り分けられるのだが、
奇数ではちょっと難しい。
5人だと72°、7人だと51.428°・・・
まあだいたい50°ぐらいか。
4、6、8なら問題なくみごとに当分できる。
もっとも、ひとりあたり、何切れにするかによるけれども。
(昔はだいたい家長がそれを仕切っていた)

『座頭市海を渡る』(監督池広一夫)だったかで、
居合いで西瓜を四つに斬ってみせる勝新の市っつぁん。
さすがの座頭市も奇数割は難しいと見る。
まっぷたつにするから収まりがいいんであって
仮に、奇数ぎり、雑に切られても興ざめだ。

まあ、そんなことはこの際どうでもいい。
唐突にツァイ・ミンリャンの『西瓜』を観る。
観たくなったのだ。
この作品について、なんと言えばいいのか。
まさに、上手く説明出来る映画ではないのだが、
AV男優をめぐるラブストーリー、
(全然知らないが、日本人のAV女優も出演している)
といってしまえばラクなのではあるが、
そんな簡単なシロモノではなく、やはり難解ではある。

水不足が深刻な台北で、水分補給に西瓜を食べる、
あるいはノドを潤すのだが、
同時にエロティックなイメージの置き換えとしての西瓜は
全篇に見られるセックスシーンの象徴で、
まるで機械の性愛のように、ある種の運動行為として繰り返し描かれる。
音、色彩、そして、肉の交わり。
確かに官能的、エロティックなシーンと呼べなくはないが、
ほぼ交わされる言葉も、感情的な交わりもなく、
かといって決して無機質な感じがするでもない、
全編が不思議な空気に支配されながら、
時おり、一転したミュージカルのようなシーンが挿入されるが、
このメリハリに何とも言えない快感が襲う。
つまるところ、精神的な射精が起きるのだ。

馬鹿馬鹿しくも、キュートであるこのミュージカルシーンを挟む事で、
本編が不思議にクールネスと切なさが
まるで男と女の体液のように混ざり合うエロティズムを感じさせる。
そこがツァイ・ミンリャンの真骨頂なのかもしれない。
外国映画なのに、サイレントでもないのに
字幕なしでも観れる映画ってすごいな。

しかし、これが興行的に成功を収めたというのだから、
台湾の大衆はよほど洗練されたセンスを持っているのか、
はたまた、過激な内容にただ踊らさせたのか、
いやはやツァイ・ミンリャンが只者ではないことを
今更ながら、再確認させられた。

もっとも、いくら過激なエロティシズムといったところで
そんなものに食いつくと大火傷するのが関の山。
ツァイ・ミンリャンを侮ってはいけない。
ただ、長編10作目となった『郊遊 ピクニック』のあと
商業主義映画からの引退を決意ということで
はて? 彼は何をめざそうというのだろうか?
『河』を観て以来、その才能を推してきただけに気になるところである。

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