ジャック・ドゥミ『シェルブールの雨傘』をめぐって

Le Parapluies de Cherbourg Jaques Demi 1963
Le Parapluies de Cherbourg Jaques Demi 1963

映画でしばし雨宿り、心に宿る哀愁の雨傘

今じゃすっかりと大女優の貫禄が漂っているカトリーヌ・ドゥヌーブだが
その昔は可憐でしかも神々しかったんだよな。
(ちなみに僕が一押しのドヌーブはポランスキーの『反撥』なんだけどね・・・)
そんなカトリーヌ・ドゥヌーブのことを考えたのは
実はそれだけではなくって、
僕が大学生の頃、バイトしていた雑貨屋さんの隣の店に
(はて、なんの店だったか全然思い出せないんだけれど、
百貨店内に店を出していた関係で
単なる壁を一枚挟んだブース同士のような関係だったな)
そこで店長をしていた少し年上の女の人がいて
その人は周りからも噂になるぐらいとても綺麗な人で
どこかドゥヌーブに似ていたこともあり
その人への憧れを、ちょっと思い出したからかもしれないな。

その人にはちゃんと恋人がいたのだけれど、
それが嘘みたいに野獣のような人で
美女と野獣みたいだな、なんて思ったりしたものだった。
その店長はとても気さくで、
なぜだか僕にも興味だけは持ってくれたみたいだったけど
もちろん、こちらとは恋以前、恋未満な関係で
気の利いた話なんてこれっぽちもないんだけれど、
逆にその店の全然好みでもない別の女の子から
やたらと熱心なお誘いがきて、告白なんかされたりしたものだから、
未だに記憶の小枝に引っかかっているって訳なんだ。
あはは。

そんな自慢にもならない話をしたのは
カトリーヌ・ドゥヌーブの話をしたかったからなんだけれど、
で、ドゥヌーブの出世作は
当然、ポランスキでもブニュエルなんかじゃなくって、
やっぱりドゥミの『シェルブールの雨傘』ってことになる。
ちょうどその女の人も、
あのころの初々しいドゥヌーブ嬢の雰囲気に
近かったことだけを覚えている。

映画を支配するアイコニックな傘。
全編溢れるばかりの色彩やモード。
そしてミシェル・ルグランの洒脱な音楽が
いかにもフランスのエスプリとして
反映されている名作ということもあって
この長引く梅雨の間に今一度見直してみようと思い立って
久しぶりに見てみたって話をこれからしよう。
それはそれでにがく切ない話で、ちょっと胸にしみるんだけれど
やっぱりドゥヌーブって女優は綺麗だなあと思う。
うっとりする。
無論映画としてもよくできてるな、と思う次第。

で、この作品はヌーヴェル・ヴァーグ左岸派と呼ばれる
ジャック・ドゥミの映画で
カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞しているのは置いておいても、
平凡なミュージカル映画とは一線を画す秀逸な映画で
まさに“ヌーヴェルヴァーグな”作品として記憶されているはずだ。

いわゆる台詞が皆全編音楽だけで構成された
完全なるミュージカル映画ってことで
これがあの『ラ・ラ・ランド』のお手本でもあるわけだけど、
ドゥミはやっぱりイキだ。
そんじょそこらの二流なモダンなんかじゃない。
今見ても斬新な映画だなって感心してしまう。

話そのものはおとぎのような話で、
自動車整備工の青年ギイと雨傘店の娘ジュヌヴィエーヴ
この、若いカップルの恋が、
兵役という障害によって恋路が遮断され、
そのまま運命のいたずらに甘んじなくちゃいけなくなる話だけれど
人生というものの側面を、一方的に美化したり
都合良く誇張したりする、そんな姑息な作品でもないし
かといって、説教じみていたり、
どこか押し付けがましいところなんて皆目ないし
まるで物語を一つの寓話のように
ミュージカルというファンタジーに仕上げてしまうドゥミの感性は
どこまでも瑞々しい。
そしてあふれんばかりの愛を感じることができる、
なんとも素敵な恋愛映画だと思うな。

そんなドゥミもいない。
ルグランもいない。
そして、ミューズだったヴァルダも
ついこの間いなくなってしまった。
雨上がりの水たまりみたいに
いつの間にかみんないなくなってしまった。

けれども僕の心には傘がある。
色とりどりのカラフルな傘が・・・
でも、本当のことをいうと
雨が少々降っても傘なんてものはいらないのだ。
そんな時はこの『シェルブールの雨傘』を思い出そう。
単なるセンチな感動屋なんかじゃない。
いつ何時降ってくるかもしれない哀しみの雨にも
人生、ちょっとはドラマチックでロマンあふれるものになるはずだから。

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