パトリック・ブシテー『つめたく冷えた月』をめぐって
かくして、ブコウスキー文学の不思議な清々しさ、 胸のすくような猥雑なざわめきが、 この『つめたく冷えた月』にも程よく溶け出しており、 どこか憎みきれない二人の中年男の哀愁の サイテーながらも、サイコーの幻影とともに酔いしれ そんな弛緩した瞬間に、ふと心地よさを覚えたりするのを 自覚するのである。
かくして、ブコウスキー文学の不思議な清々しさ、 胸のすくような猥雑なざわめきが、 この『つめたく冷えた月』にも程よく溶け出しており、 どこか憎みきれない二人の中年男の哀愁の サイテーながらも、サイコーの幻影とともに酔いしれ そんな弛緩した瞬間に、ふと心地よさを覚えたりするのを 自覚するのである。
マン・レイのミューズ、20世紀を代表する女性写真家として知られる、 マダム・マン・レイこと、リー・ミラーについて書くにあたって、 まずは写真家として知られる彼女をめぐって いったいどの写真がリーというアーティストへ 手向けるにふさわしいかを考えてみることから始めよう。
キャリントンは元々画家で、 恋人以上の存在だったエルンストが 弾圧を受け、強制所送りを余儀無くされるという戦禍の傷によって、 自らも波乱万丈の人生を生きざるをえなくなり そんな精神的ダメージを負うことになるが、 主にはメキシコへ渡ってから、その才能を開花させてゆく。 その産物である絵画作品も、とても素晴らしいのだが、 『美妙な死体の物語』という短編集や この『耳ラッパ』の作家として特別の思い入れがある。
石井聰互(改め現岳龍)による 夢野久作原作のオムニバス小説『少女地獄』のなかの一編 「殺人リレー」の映画化である『ユメノ銀河』は、 全編モノクロームトーンで、まるで夢のなかのようなできごとが、 淡く甘美に綴られ、不思議な空気感を孕んだ作品として構成されている。 甘美とはいえ、終始謎めいており、 結論から言えば、それは最後まで一貫して晴れることはない。 まさに夢野久作ワールドの世界観そのものである。
植草甚一に教えてもらったことは 今でも大いに役立っていると思う。 『ぼくは散歩と雑学が好き』に代表されるように 散歩と雑学の楽しさ、古本と珈琲の日々、モダンジャズ、 映画に推理小説、そしてコラージュアート。 それだけにとどまらず、ジャンクアートやら それらが一体になって形成されていたJ・Jワールドは 今でも魅力的だ。
そのバスタブに、住む、と言うか バスタブをお風呂とは別の使い方をする主人公の物語。 それがベルギー人の作家トゥーサンのデビュー作『『浴室』だ。 ちょっと比較の対象が見当たらない面白い小説である。
こういう親子ドラマというのが、実は好きだったりする。 お祖父ちゃん役のチャンバラトリオ、南方英二もいい味を出している。 昭和であれば、こういうドラマがいくつもあったし それをテレビを通じてふんだんに見て育ってきたのである。 最近じゃなかなかみられなくなっているというのもあるが、 これはこれで、しっかり笑いとペーソスが噛み合った情的ドラマである。 はっきりいってB級もB級ではあるが、そこは単なるB級には終わらない、 らも節というものが、随所に流れているのだ。
沈んでゆく太陽が放つ緑の光線が幸運をもたらすという ジュール・ヴェルヌの話をもとに 揺れ動く一人の若い女の子の心理に被せて 構成されている『緑の光線』は男性が見る以上に、 女性が見る方がより理解できうる話なのではないだろうか?
そんなことからも、ボードレールって親しみやすい詩人だったのね、 なんてことにはまずならない。 なるはずもない。 わかっているとも。 ここに詩集が一冊。 シャルル・ボードレール『悪の華』
それにしても、安田道代があられもなく、 被写体となってさらしたヌードのカットが、スタイリッシュに並べられ、 あたかもグラビアの一枚を飾ってしかるべきものが、 スクリーンを占拠するモダンさで、かくも大胆に痴情の小道具として晒されると、 小説の醸し出すエロティシズムは、逆にどこか薄らいでしまって、 女のしたたかさ、男の哀れみだけを扇情的に浮かび上がってくるのである。