アラン・ロブ=グリエ『ヨーロッパ横断特急』をめぐって
仏ヌーヴォーロマンの旗手、アラン・ロブ=グリエによる メタフィクション映画の傑作『ヨーロッパ横断特急』。 どこかフィルムノワール風、どこかサスペンスを漂わせるが ロブ=グリエのメタフィクションは、もとより筋に重きがあるわけじゃない。 あたかも映画に遊ばれているような感じに陥って そこがわかっていないと映像の世迷い人になってしまう感じだ。 騙されることなかれ。
仏ヌーヴォーロマンの旗手、アラン・ロブ=グリエによる メタフィクション映画の傑作『ヨーロッパ横断特急』。 どこかフィルムノワール風、どこかサスペンスを漂わせるが ロブ=グリエのメタフィクションは、もとより筋に重きがあるわけじゃない。 あたかも映画に遊ばれているような感じに陥って そこがわかっていないと映像の世迷い人になってしまう感じだ。 騙されることなかれ。
心のチャカに背を向け釈迦の背を追う、あの頃我が師シッダールタよ 先日、実家にもどったとき、ふと昔の本棚を眺めていたら、ヘッセの文庫本が目にとびこんできてそれをひょいと手にとってパラパラ眺めてそのままカバンにいれてもどって...
だざい文体 太宰治の「ヴィヨンの妻」という短編が昔っから好きなのですが、その割には、十代のころの曖昧な記憶しか残っておらず、ふと寂しい思いから、もう一度読み返してみたくなり、借りてこうようと図書館へいったのはいいのですが...
他人の不幸は蜜の味 私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。 『放浪記』林芙美子 それまで幻想文学や、不条理文学ばかりに傾倒していた自分がリアリズムに根差した林芙美子の小説を読むようになったのは映画『放浪記』をみて...
とりわけ、太郎は、母かの子の多大なる影響を受けている。 かの子は童女のようでいて、潔癖なまでに純粋を貫くがゆえに 周りの情緒をも狂わせる女の狂気を孕んで生きた。 本人は情愛の化身のように小説に身をぶつけ、 時には母として、時には恋人、あるいは娘、妹・・・ 眷族の垣根を超えて交わる魂の交歓を求め、 激しく、そして誰よりも太郎を愛した。 太郎もまた、芸術に挑むのと変わりないエネルギーを この母に傾注した。 もっとも、太郎はそれを対等な関係であり 通俗的な母と子の因果関係の馴れ合いではないと強調する。
そういうわけで ぼくはお茶目な人、茶目肌娘が大好きです。 あなたは日本男児、はたまた妖怪か? 飛行機を、天体を、そしてA感覚V感覚 そして少年をこよなく愛した この足穂先生のことを僕は夜空を眺めるたびに思い出すのです。
ベッドで裏返しになって、手足をバタバタさせながら、 自由を奪われし哀れなる個体。 ただ天井を見つめながら、オレは全くどうかしているぜ・・・ と考える巨大な甲虫ザムザに、いつしか同化しちまっている。 しかし、どうもそれが大事件のようには描かれていない、 そこがカフカ的なの
ボクは苦悩するクノーを支持するだろう 一つ前に、ブルトンのことを書いたが、これは事実上、その続編として読んでいただきたい。そこで先日から読み直した『オディール』のことを書こう。これがやっぱり面白い。『オディール』、それは...
街で偶然だれかと知り合ったとして、 もし、なんかの拍子でレーモン・クノーの話になったら、 それだけで、ぼくは吹いてしまいますね。
フランスの詩人、文筆家アンドレ・ブルトンのことを書くというのは、 それこそ実に気を遣う行為に思える。 それはおそらく生前のブルトンという人が実に気難しく、 多くの同胞たちを次々に追放したという シュルレアリスムの法王として権威を振りかざしたというような逸話から ただならぬ人物であったことを刷り込まれているからという 半分冗談のような事実から導かれた妄想だ。