絵とモード、人生の祝祭学に彩られた美のステキスタイル
20世紀初頭、フランス近代絵画史を代表する一人である画家ラウル・デュフィ。
その名前を聞いて、あなたはどんな作品を頭に思い浮かべるだろうか?
モネやルノワール、セザンヌといった印象派から影響を受け、
フォーヴィズムの担い手として一時代を築き活躍した画家は、
マティスにその薫陶をえたというべく
鮮やかな色彩の「ニースの窓辺」をはじめとして
そのタッチ、現代のイラストレーションにも
多大な影響を及ぼしているであろうこの画風に、
今見ても、新鮮で実に生き生きとした精神の躍動感を感じるだろう。
そんなデュフィという画家を、自分は
“フランス近代絵画史を代表する一人”というだけで、
これまでさほど意識しないで済ましてきた。
なので、長年にわたって偏愛してきた画家として
得意げに語ろうという気持ちは毛頭なく、
それゆえ今、そのことを少し悔いるかのような思いを込めながら、
デュフィの絵に改めて魅了されていることを
ただ率直に伝えてみようと思う。
時は1937年、パリ万国博覧会にて、
近代文明の発展を支える電気やエネルギーを讃える趣旨の「電気館」において、
その大壁画『電気の精』を手がけたのがこのデュフィで、
同じく、スペイン館で大壁画を掲げたのは
あのピカソの大作『ゲルニカ』であったのだが、
誰もが認める20世紀のアートの巨人よりも、
市井の注目を勝ち得た画家こそがデュフィなのだ。
この『電気の精』は実に圧巻な絵である。
電気にまつわる歴史上の科学者や哲学者たちを讃える壮大なる物語として、
古代ギリシャから近代までの時間軸に沿って
ここに約110人もの英雄たちを登場させ
そのデッサンだけでも約一年の歳月を要して完成させた一大絵巻のような壁画が
まさに時代を先駆けるイラストレーターとしての資質を
遺憾無くはっきした真の傑作として語り継ぐべきものであることは違いない。
こうしてデュフィの創造性豊かな画業を追うにつけ
実に多彩な感性の持ち主であることがうかがい知れる。
その魅力に、改めて感銘を受けているのは、
おそらく、簡単には描けそうもない洒脱で大胆な線、
そして魔法のような鮮やかな色使いだけではないのである。
例えば、アポリネールの『動物詩集またはオルフェウスの行列』という詩集を取り出してみよう。
詩の方はすでに昔から親しんでいたのだけれど
不覚にも、その木版画で挿絵を提供したのが
デュフィであるということにさして気を留めていなかったのである。
木版画ゆえに、実にはっきりとした造形が
黒いモノトーンプリントの動物のカットが、
デュフィを代表する鮮やかなタッチとは
ずいぶんかけ離れていたからかも知れない。
いや、仮に、それがデュフィ作だよ、と知いわれても、
アポリネールの気の利いた動物詩の方に気を奪われ
それほど興味を示さなかったとうのが本当かもしれない。
そんなデュフィを再発見する意味で、
何年か前、パナソニック汐留美術館で観た
『ラウル・デュフィ展 絵画とテキスタイル・デザイン』のことを書いておこう。
デュフィは、絵画のみならずテキスタイルデザインによって
モードの世界にもその活動の領域を広げた画家であり、
その道に手を伸ばすきっかけになったのが
いみじくもアポリネールの詩集における木版画であった。
もともと、デュフィにとっての木版画は
貧困生活のために始めた、言うなれば生活の糧であった。
そんなデュフィの才能に、いち早く目をつけたのがポール・ポワレという、
これまたフランスモード界の“帝王”とまで呼ばれる人物だったことは
デュフィにとってかけがえのない幸運な出会いと言えよう。
なぜなら、デュフィは、
以後リヨンの絹織物製造業ビアンキーニ=フェリエ社と専属契約を交わし、
1912年から16年間にもわたりテキスタイルのデザインを提供し、
その色彩及び大胆なモチーフでプリントされた布地が、
上流階級の女性たちの心をたちまち虜にしてしまうのである。
つまり、ポール・ポワレの慧眼こそが
デュフィの絵画にモードの匂いを嗅ぎつけ
大胆にもモードの世界へと誘い、
その才能を開花させたといって過言ではないのだ。
こうしてデュフィのために「小さな工場」と名付けられた工房まで設立し、
二人のコラボレーションは次第に軌道に乗ってゆく。
ポワレ原案を受けてモンジ・ギバンがドレスを手がけた
イヴニング・コート「ペルシア」など、
実に華々しい成果を生んでいる。
エスニックなものから、エレガントなものまで、
実に多様なモードが生成されていったのである。
美術とモードの関係は、ジャンルの越境と言うほどに
異種な交配ではない、ということを
手っ取り早く体験できる展示であった。
布地のデザイン原画や下絵から
オリジナルの絹織物、元になった版木や見本帳まで
116点もの資料に彩られた展覧会は
単なる美術鑑賞を超えた贅沢な美意識を焚きつけてくる。
花や昆虫、動物といった自然界の素材、幾何学模様、
あるいは社交界におけるパーティーやスポーツといった
親しみやすいモダンライフをテーマに掲げ
見事にモードに還元しうる感性。
そんな軽妙なモダンスタイルを追求する、
デュフィのインスピレーションの源はなんだったのか?
そんな問いを投げかけるならば
おそらく並並ならぬ音楽愛といっていいのだろう。
もともと教会のオルガン奏者の父とヴァイオリン奏者の母といった
音楽一家に生まれたデュフィにとって、
好んで描いたヴァイオリンをはじめとして、
音楽は格好のモティーフになった。
さらにその思いは、愛聴してやまない作曲家へのオマージュとなって現れる。
燃え上がるような赤が印象的な『バッハへのオマージュ』
目覚めるような青に支配された『モーツァルトへのオマージュ』
黄と緑を主体にした『ドビュッシーへのオマージュ』。
どれもが色彩によって賛美される音楽への揺るがぬ愛と、
祝祭的な快楽に満ちた作品である。
色彩の魔術師と呼ばれるほどに
鮮やかな色使いに目を奪われるその絵はもちろん、
テキスタイルからモードへ、
そこから家具、陶器、舞台美術にも及んだその自在なる感性の領域が、
いかに生命力にあふれたものであるか、
人間の生の喜びにみちているか、
その画業を持って
まさに、水を得た魚のごとく発揮したその美の才能の前に改めて酔いしれるのだ。
加藤和彦:Je Te Veux feat.Ryuichi Sakamoto
デュフィはサティの音楽を聴いていただろうか? 20世紀前半のパリに生きた二人の芸術家。デュフィは1877生まれ、サティは1866年だから、サティの方が11歳も年上だ。だがふたりには共通点がないわけでもない。デュフィは1918年にコクトーの舞台美術を手伝っている。その頃コクトーは、フランス六人組と言われる近代フランス音楽の雄6人を集めてコンサートを企画している。オネゲル、ミヨー、タイユフェール、デュレ、オネゲル、オーリック。残念ながらそこにサティの名はないが、デュレ、オネゲル、オーリックの3人は、ヌヴォー・ジュンヌという新進気鋭の音楽グループをサティとともに立ち上げていたのだ。そしてすでにディアギレフのプロデュースのバレエ劇「パラード」で大々的にサティを担ぎ出しているコクトーだったから、そんなコクトーと交流のあった音楽好きのデュフィが、サティを知らなかったはずはない。ということで、デュフィにサティのなかでもエレガントかつ明朗な「Je Te Veux」を捧げたいと思うが、いろんな人のバージョンがあるなかで、加藤和彦が1981年に出した、1920年代のパリをテーマとした7枚目のアルバム『ベル・エキセントリック』、そのラストを飾るこのサティの曲を選曲する。ちなみに弾いているのは坂本龍一。師匠というか、影響を受けていた高橋悠治の演奏と聞きくらえてみると、随分アップテンポかつソフィスティケートな旋律が印象的だ。
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