アンリ・マティスという画家

Henri Matisse
Henri Matisse - Polynesia

野獣死すべし。紙とハサミでモダンを切り出そう

20世紀絵画における野獣派(フォービズム)というジャンルの代表、
といえば何と言ってもアンリ・マティスの名を挙げない訳にはいかない。

そのマティスをはじめとする一連のグループの作品が
一堂に集められた部屋を見た時
美術批評家のルイ・ヴォークセルが
「野獣の檻」と呼んだのが事の発端だとされている。
つまりはそれらの息吹を体感した総称なのだろう。

野獣派ときくと、なんだか激しいタッチのものを想像してしまいがちだが
マティスの絵は、むしろ反対に
華やかな色彩と遊び心に彩られているから、
ある意味野獣という響きは似つかわしくない。
むしろ、アクロバティックであり、サーカス的、
カーニバルのような空気に覆われているように思えてくるという意味で
まさに“生命の園”であり、
自分ならそれをまとめて“カニバティック”
とでも呼びたいところだが、いかがだろうか?

それら抽象、具象の垣根を超えた洗練された装飾のモティーフは
今日の装飾デザイン、インテリアにみる装飾美の
概ね基調にさえなっていることがわかるだろう。
海への憧憬、女というものへの関心とともに、
音楽やバレエ、ダンスを愛したマティスは
絵画にその躍動を持ち込むことで
平面の世界を立体的かつ動的なものに高めた画家でもあった。

もっとも知られているのが、
晩年に切り開いた切り絵(カットアウト)の世界である。
元はというと、
腸閉塞という大病の果てにポスト絵画として行き着いた、
神からの贈り物なのだ。
紙とハサミによる、まさに神業といっていいほど
軽やかであでやかである一連の作品の中で
『JAZZ』と名付けられた挿絵本は、
まさにマティスの切り絵の代表作と言って良い。

その名の通り、音楽を想起させるように
伸びやかかつ自由な動きある造形美は
見ているもののあらゆる感覚器を連動させ酩酊させる。

それに対し、ライバル心を燃やしたピカソの方は
もうちょっと変幻自在、かつ野心的で抽象度がさらに高い、
つまるところ観念的な美を創作していったわけだが、
11歳年下のかの天才ピカソとは生涯の友達であり、よきライバルだった。
それぞれ個性は大いに違っているのだが、
女を愛し、黒人彫刻に触発され、
モダンアートを推進していった旗手として、
同時代を生き、しのぎを削った関係だったのである。

二人の作品を並べてみても、
同じ抽象絵画でも天と地ほども違っているのは明白だが、
そんな二人の共通点を探していると
一つのキーワードに遭遇する。

それこそは「青」である。
ピカソの「青の時代」における青春期の陰鬱な作風に対し
マチスの「ブルー・ヌード」シリーズは
青という爽快な色彩と曲線による
流れるようなモダンなフォルムを誇りながら
いわばポップアートというか、
洗練されたグラフィックデザインの一つの完成形を見ることができる。

青に込められた情念と純粋性こそが
二人の決定的な違いのように思えてくる。

ピカソは早熟であり、「青の時代」を経て
まさに美術界の革命児として頂点に上り詰めたわけだが、
マティスはというと、どちらかと遅咲きで
元は法律家を目指していたぐらいだから、
その道程の方も優雅であり、ファッション的であった。
時には通俗的で大衆的な画家だと見なされていたし
時に、停滞期も余儀なくされた。

しかしそのことはマティスの画業の功績を損ねるものではないし
むしろ、グラフィックデザインの領域にまでまたがって見せた
マティスの産み落とした世界の豊饒さは
今尚色褪せず、我々の暮らしの細部にまで宿っているように思える。

ちなみに、切り絵の中でもっとも重要な作品だと呼ばれているのが
「かたつむり」をいうタイトルの抽象画だ。
ガッシュ絵具で着色した紙を切った図形が
単に螺旋状に並べられているだけである。
ここに究極のマティスワールドがある。
雨空を見上げた後に、飛び込んできるこの絵の前に
かたつむり好きのとしては
たまらなく愉快な気持ちになってくるのである。

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