ウルトラセブン・実相寺マジックをめぐって

メトロン星人

エキセントリックを子供に向けて実装する大人の美学

子供の頃、テレビで釘付けになっていたヒーローもの、
と言えば世界の円谷プロが誇るウルトラシリーズである。
中でもウルトラセブンへの思い入れは強くある。
ストーリー自体、他のシリーズにはない
ちょっとした趣きがあったように思うのだ。
そう、僕はそんなセブンが大好きだった。
いまだにふと思い返す瞬間がある。
モロボシダンの名を借りて地球平和のために戦う、
それだけで何か胸ときめくものがあったのだ。

そもそもウルトラマンというシンプルなフォルムに対して
セブンは、いわばその進化系だった。
つまりどこか“おしゃれ”だったのだ。
とりわけ、あのメガネによる変身術が
子供心にツボだった気がしている。
しかし、その描かれた世界観まで
きちんと理解してみていたのかまでは、定かではない。
おそらく理解などM78星雲のごとく遠く、未知なる領域だったに違いない。

今思うと、各ストーリーには
なかなか興味深い深いテーマが隠されていたのだが、
子供にはやはり敷居の高いテーマだったように思う。
その分大人になって見れば、色々見えてくるものもある。
ウルトラマンに登場するのが怪獣メインだったのに対し、
セブンでは、ガッツ星人によって貼り付けにされ、
ウルトラの家族達によって命を吹き返したシーンに代表されるように、
軒並み個性的な宇宙侵略者たちが
セブンの前に立ちはだかったものだった。
そう、手を変え品を変え送り込まれた宇宙人たちが
この地球という美しい星を支配しようと企み、
それを阻むモロボシダン=セブンの勇姿に胸躍らせたものだ。

さて、シリーズの概要をおさらいするのはこれぐらいにしておこう。
セブンで印象に残っていることは色々あるのだが、
今回は、いまだ語り継がれる名作というか、
異色のストーリーを取り上げてみたい。
第8話『狙われた街』に登場するメトロン星人である。
この宇宙人に子供心に心奪われたのは、
青赤黄、原色のよる魚類っぽいシュールな頭部を持っていたからではない。
その登場になにやら親しみを抱いたからだろう。
なにしろ、四畳半一間のアパートの一室で、
モロボシダンとちゃぶ台を挟んで会話をするシーンが
なんともいえぬお茶目な哀愁を漂わせていたからだ。

メトロン星人というのは知性というか、
なかなかしたたかな思考を持つ宇宙人である。
その上、どこか人間臭いキャラで、
地球人には直接的な攻撃をくわえるような野暮なことはしない。
当時はまだ喫煙天国の社会だったこともあり、
タバコに宇宙産の赤いケシの実(アヘンの原料に似たものか?)を混入させ、
それを喫んだ人間が突如、
対人間に敵意を抱き攻撃に転じ凶暴な性質となるという、
そんな仕掛けで人類を恐怖に陥れようと試みたのである。
メトロン星人曰く「人類の信頼、ルールを守る意識に着目した」
のだというから恐れ入る。
つまり、その信頼関係を崩すことは
人間同士で互いの首を絞め合うことになって勝手に人類が滅んで行く
そう考えたのだ。
そのことは「同じ宇宙人同士で争うのは愚かだ」
というセリフにも集約されている。
なかなか鋭い指摘、着眼点である。

昨今のコロナ禍における自粛警察のようなものかもしれない。
なんでもない一般人の意識を操作し、
社会通念という縛りを煽り人間同士を衝突させてしまうのだから。
宇宙人の考える事はさすがにひと味違う。
逆に、人間同士が民族、宗教、思想など互いのイデア論争において
相いれず、互いに傷つけ合ってきた戦争心理などは
まさにその縮図そのものではないか。
ちなみに、エンディングではナレーションが
こう締めくくっているのが面白い。
「このお話は遠い未来の物語なのです。
なぜなら我々人類は宇宙人に狙われるほど
お互いを信頼してはいませんから・・・」と。
なんとも皮肉が効いているのだ。

かように、ウルトラセブンの空想科学ストーリーの中には
社会そのものへの風刺、科学崇拝主義への警鐘、
そうした哲学的な問いのようなものがふんだんに盛り込まれており、
そこが半世紀も前の昭和的世界観と共に
いまだ色褪せず、我々の心に郷愁をまねき入れるのかもしれない。

そんなセブンにおいて、
宇宙人同士がちゃぶ台を挟んで会話するなどという
なんともエキセントリックな演出を得意にした
実相寺昭雄についても触れておこう。
何しろ、シュールでイメージ主体の演出が
ドラマの現場で理解されずにいた当初の実相寺が、
改めてその才能をいかんなく発揮したのが
このウルトラシリーズである。
とは言え、このウルトラシリーズにおいてさえ
理解されていたとは言えないエピソードが残されている。
同時に撮影されていた第12話『遊星より愛をこめて』では
その内容ゆえにいまだに欠番となっているほどだ。
別名を被曝星人と名を売ったスペル星人が
いわば原爆等で被曝した人への冒涜だというのである。
そうした論争の是非はさておき、
ケロイド症状などの細部にこだわるがゆえに
物議を醸し出したことで、作品が半永久的に封印されているのだ。

何れにせよ、その映像美には明らかに
「実相寺マジック」と呼ばれた美学が明確に打ち出されている。
トリッキーな構図や、接写や逆光を駆使した特異なカット、
小道具へのこだわり、クラシック音楽への造詣など。
我々は、そうした美学がわずか25分あまりの話のなかに
ふんだんに詰め込まれているのを目の当たりにするだろう。
これを当時の子供達は胸躍らせながら見ていたのだ。

この第8話『狙われた街』はまさに
この「実相寺マジック」がふんだんに駆使された傑作として
いまだ一部のコアなファンの間で評価が高い作品だ。
そうした時代意識や作り手のこだわりを強く感じるからこそ、
セブン人気がいまだ衰えず、
世代を超えてファンを獲得しつづけていることに納得させられる。
改めて感動を覚えてしまうのは歳のせいだけではあるまい。

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