渋澤龍彦 1927-1987文学・作家・本

渋澤龍彦のこと

かくして、僕が異端文学をはじめとするフランス文学の洗練を浴びたのは この渋澤龍彦の影響抜きには語れないことを自覚するのである。 何年経っても、その全貌は計り知れないが、 氏の博識な宇宙の前に佇むと、 年甲斐もなく、単なる異端文学愛好家としての蒼白い焔が高ぶってくる。 一時期、澁澤関連の本ばかりを積み上げ 片っ端から夢中になって読み耽っていたものだ。 もっとも、あれは主に十代の頃の頭でっかちなころの話で、 肝心の中身は随分と抜け落ちてしまっている。

でんきくらげ 1970 増村保造映画・俳優

渥美マリのこと

そんな渥美マリだが、とりわけ増村保造による二本、 『しびれくらげ』『でんきくらげ』は、映画として 悪くはない作品として輝きを保っている。 渥美マリを主演として、堂々とパンチの効いた作品を残しているのは、 紛れもなく、増村によるところの力が大きい。 間違っても、単なるお色気映画ではないし、 男に食い物にされるだけのかよわい女像には程遠く、 他の増村作品同様の強い女を演じている。

LIGHTNING IN A BOTTLE 2003映画・俳優

『LIGHTNING IN A BOTTLE』のこと

その『LIGHTNING IN A BOTTLE』をまたDVDで鑑賞していたところだ。 ちょうどブルーズ生誕100年 「イヤー・オブ・ザ・ブルース」の催しの1つとして撮影された本作は あの『ラスト・ワルツ』でおなじみの 製作総指揮マーティン・スコセッシのよる音楽ドキュメンタリー。 ラジオシティ・ミュージックホールにどれほど歴史があるのか、 また、このイベントすべての収益が、 若きミュージシャンたちの育成のためにブルース基金として使われた、というようなことも、 この映画を通じて知ったことだった。

Daniel Schmid - Le chat qui pense 2010映画・俳優

ダニエル・シュミットのこと

そういえば、先日8月5日は スイスの映画監督ダニエル・シュミットの命日だった。 すっかり忘れていたので、ここで後追いで書いておこう。 今からもう16年も前のことである。 時が経つのも早いわけだ。 死因が咽頭ガンだったために声がつぶれてしまい 痛々しい姿の晩年だったのを覚えている。 とはいえ、シュミットの映画は いつだってすこぶる雄弁で優雅な夢物語として心にある。

特集

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.25

そんな気の滅入る空気に支配されないための素敵な出来事を おのおのが見出し楽しむしかないのである。 そのことを、お題目として唱えるだけである。 戦後76年目の夏。 せっかくゼロからここまで来たのだ。 あともどりするやつらはこの際ほっておこう。 いつだって、まっさらな心をとりもどして、 希望ある未来へ、歩みだしてゆこう。 それが生きる意味、人生なのだ。

HIROSHIMA MON AMOUR 1959 ALAIN RENAIS文学・作家・本

アラン・レネ『二十四時間の情事』をめぐって

僕は観た、この『二十四時間の情事』をすべて観た。 何年にもわたり、くりかえしくりかえし観てきた。 いや、結局のところ、僕は何も見ていないのを実感するばかりである。 そう、この『二十四時間の情事』、この映画ですら、 何も見てはいないのだという事実に絶望する。 だが、唯一、そこに男と女の出会いがある。 ただ一日だけ、それを忘れて愛し合う二人がいる。

The Swimmer 1968 Frank Perry映画・俳優

フランク・ペリー『泳ぐひと』をめぐって

夏という季節は、恋の季節だとかなんだかんだ、 かんたんに片付けるが、人間を勘違いさせる空気に満ち満ちた、 罠がはりめぐらされた季節だともいえる。 そんな真夏に、サバービアのプール付きの家をめぐって、 世にも不思議な、というか、ちょっと恐ろしいような 勘違い男の非情の物語が提示されてゆく映画がある。 1968年のフランク・ペリーによる『泳ぐひと』の話である。

浮草 1959 小津安二郎映画・俳優

小津安二郎『浮草』をめぐって

ウキクサ、その響き通りの水中の浮遊植物は 俳句では、夏の季語として知られるように、 春にぷっかりと現れ、秋にはさらりと消え、 その後水底でもごもごと越冬するといわれている。 昔から、浮草稼業とはよくいったもので、 よりどころなく、一つの場所に落ち着かない職業にたとえられるが、 そんなタイトルの映画がある。 小津安二郎、1959年の『浮草』である。