『白い巨塔』をめぐって

白い巨塔 1978

ふたりのゴローへのレクエイム

あれは確か、年の瀬だったと思う。
当時、中学生だった僕は散髪中に
その店内のラジオから俳優田宮二郎の悲報が
だしぬけにとびこんできたのを覚えている。
しかも、ライフルによる自決というもので、
享年43歳ということであった。
当時の我が思いがはたしてどんなだったか
さすがに思い返すには時間がたちすぎているが、
以来、いまだずっと頭に残っている。
テレビに出ていた著名人による、
あまりにショッキングなニュースが
自殺という生々しい響きでもって飛び込んできたのだから
そりゃあ当時の未熟な頭でさえ
通常の死以上の意味をもっていたのだと思う。
とはいえ、詳しいことは、なに一つしらなかった。

そんな壮絶な最後に重なるようにして、
医療現場の闇にメスをいれたドラマ『白い巨塔』の最終回で
ガンの権威でありながらも、自ら発見の遅れによって
非業の死を遂げる医師財前五郎にかぶって、当時話題になった。
「ガン専門医でありながら、手術不能のガンで死ぬことを恥じる」
そんな殊勝な言葉を残し、息を引き取ったあと、
モーツァルトのレクイエムをバックに
自身そのままストレッチャーに乗せられ葬られるあのラストシーン。
まるで、死の予行練習でもあるかのように、
試写を観て「役者冥利に尽きる」と感慨深げに呟いたのだとか。
すでに、本人のなかで覚悟が決まっていたかもしれない。
当時、我が家でチャンネル争いの覇権もままならず、
毎週ドラマに釘付けになることはなかったのだが
それでも、最終回のあの異様な空気感だけをはっきり覚えている。

あらためて、dvdでドラマの全貌をゆっくり見直したのは
それから随分あとのことであったが、
時代は、この大作を新たなキャスティングでもって
いくどもドラマ化していったのを知っている。
唐沢寿明主演のほうも観てみたのであるが、
やはり田宮二郎バージョン以上に琴線にひっかかるものではなかった。
ストーリーこそ、ほぼ変わらない流れだが、かなり温度差があった。
はたして、どちらの時代のものが優れているか、
この際、面倒な比較はおいておいて、
昭和に生まれたものとしては、やはり財前五郎は
本家田宮二郎のほかに考えられない、
という結論だけは、今も変わらない。

大映時代、勝新との名コンビ「悪名シリーズ」でも、
はまり役だった弟分モートルの貞を演じて
人気を博していた田宮について
その他にも「黒シリーズ」や「犬シリーズ」といった代表作を含め
何本もスクリーンでのその勇姿が目にやきついてはいるのだが
この白衣の財前五郎役だけはやはり、別格というほかない。
山本薩夫による映画版も、別段悪くはないが、
まだ若く、貫禄という点では機が熟してはいなかったように思う。
二時間強という凝縮度のなかで、
テレビドラマのある種の軽妙さとは異質の、
独特の重たい社会性に覆われた、
どこかとっつきにくい印象があったものだ。

その点、やはり、医療界のゴタゴタ劇が
テレビドラマという通俗性を借りて、
各登場人物のキャラクターを深くほりさげた長丁場のほうに
おのずと興味がかき立てられるのはいうまでもない。
なにしろ、主役以外の脇役たちが実に豪華すぎて
その個性が活き活きと描き出されていた印象が強い。
とりわけ海千山千の、教授陣の顔ぶれが今思い返しても凄いのだ。

大学の第一人者医学部長鵜飼を演じたのはあの小沢栄太郎、
狡猾さを演じさせれば右に出るものはいまい。
あるいは、老獪な東教授には小津組の中村伸郎、
そして、終始中立の立場を貫いた堅物大河内教授は
あの『砂の女』で迫真の演技をみせた加藤嘉。
そのほかにも、大島組の戸浦六宏や小松方正、渡辺文男、
金子信雄や曽我廼家明蝶といったアクの強い個性派がとりかこみ、
その他諸々の中堅に至るまで、実にバラエティに富んだキャスティングだけでも、
このドラマは語る価値が十二分にある。
愛人役の花森ケイ子を演じた盟友太地喜和子とは
終始息のあった阿吽の呼吸をみせたし、
山本学演じたライバル里見医師や、虚偽証言に揺れる若き柳原医師を演じた高橋長英など
どこをきりとっても忘れがたい演技の刻印がある。
それだけではない、枚挙にいとまがない名脇役たちが勢ぞろいし
後にも先にも、こんな豪華なメンツのドラマを見たことがないほど、
まさに、昭和のテレビドラマとしては、
最後の黄金期代表作といえるのではないだろうか。

それ以外の記憶をひもといてみると、
真っ先に浮かぶ「クイズタイムショック」での司会や、
銘酒大関のCMなどがちらつく。
六十年代には、大映の二枚目看板俳優として活躍したものの、
ワンマン社長永田雅一との人事をめぐるいざこざから
映画界を追放になり、テレビ界へと都落ちを余儀なくされていたころであり、
ニヒルで、どこかキザでクールな印象のみが一人歩きしていたが、
実際の田宮二郎には、まじめで、思慮深い人物像が浮かび上がる。
『悪名』以来の関係で、田宮を実の弟分のように可愛がっていた勝新は、
その公私のギャップにいち早く気づいていた一人だった。

こうして、同じゴローつながりのよしみもあって、
役に入れ込んだ本人が、原作者山崎豊子に直談判してまで勝ち得た役柄だというから、
さぞや当人の力加減が半端じゃないのも頷ける。
ただ、この『白い巨塔』の撮影時には、
精神疾患と金銭トラブルを抱えており、奇行も目立ったという。
のちの報道でいろいろ事情を知るのだが、
なるほど、あの鬼気迫る医師財前五郎の狂気じみたキャラクターの凄みをみると、
そうした事情の元で、ぎりぎりの内的葛藤を繰り広げていたのがよくわかる。
いみじくも財前五郎の境遇とかさなってゆく。

正直なところ、田宮二郎を俳優として
どこまで評価できるかまでは自信はないのだが
この『白い巨塔』で見せた、異様な喜怒哀楽やテンションの激しい上下動ぶりをみても、
演技を超えたなにものかに憑かれていたことは間違いない。
しかし、今となっては、文字通り、遺作となったこのドラマでは、
当時、本人がかかえていた深い心の闇が
幸か不幸か、決定的にその役柄にまで影響を与え、
深みを与えていた事実は永遠に語り継がれてゆくものだろう。

あれから四十年以上の月日が流れている。
現実と建前の境界線があいまいで、
我が国の医療界の闇が、改めてクローズアップされる昨今だからこそ、
なおもって、輝きを放つドラマであった。

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