梶芽衣子スタイル「さそりシリーズ」の場合
さて、これは実に壮絶な女の世界である。 しかも女囚とくる。 設定が多少前時代的なのはご愛嬌。 実に血なまぐさい女臭が半端なく漂うが、 可憐だの可愛いだのそんな甘っちょろい少女趣味は微塵もない。 あくまでも男顔負けのどす黒い情念と権力志向で爛々としている。 それにしても、まるで漫画のような世界である。 ありえないような世界の連続である。 B級にもほどがある。 だが、これが映画なのだ。
さて、これは実に壮絶な女の世界である。 しかも女囚とくる。 設定が多少前時代的なのはご愛嬌。 実に血なまぐさい女臭が半端なく漂うが、 可憐だの可愛いだのそんな甘っちょろい少女趣味は微塵もない。 あくまでも男顔負けのどす黒い情念と権力志向で爛々としている。 それにしても、まるで漫画のような世界である。 ありえないような世界の連続である。 B級にもほどがある。 だが、これが映画なのだ。
座頭市といえば勝新、勝新といえば市。 言わずもがな、専売特許と申しましょうか。 このイメージは勝新亡き後、 いくら月日を経ようとも変わることなどないでしょう。 作家子母沢寛の書いた盲目の剣豪についてのごく短い話から、 このもっとも知られた盲目の侠客キャラクターが ここまで自由にキャラクター化され、一人歩きして 出来上がった26話にわたるシリーズ、 その上、テレビ版は100本を数え、 もはや、市は勝新のもう一つのペルソナとして マニアならずとも、その闇をさすらう旅人として 記憶を一人でに行き来する永遠のアウトローであります。
この勝新&田村高廣の天下の名コンビ、 大宮貴三郎と有田上等兵が繰り広げる 戦地でのドタバタコメディーは実に痛快極まりない活劇天国。 なんだか胸がすっとするだけでなく、大いに笑えますし、 ハラハラドキドキ、興奮いたしやした。 いやあ、至福の戦争映画、というと誤解されるところだが、 そういう縛りを抜きで見るべき映画なんだと思います。
大映が誇る、大ヒットプログラムピクチャーの決定版、 勝新三部作のひとつ『悪名』シリーズ全15作を この数ヶ月かけて見直ししていたのであるが、 原作/今東光の河内ど根性節を、 ちゃきちゃきの江戸っ子・勝新が我が物顔で演じきっても、 いっこうに不自然さがない。 ややもすれば非関西圏の俳優による関西弁の違和感が耳につくのが相場だが、 このカツシンな朝吉においては、 みじんも感じさせないのは、役者馬鹿を通りこえて、 やはり天才と言わしめる所以といったところ。
少なくとも、好きになった映画の、 そのたまらない空間の中に俳優に恋をする、まさにそんな感覚に過ぎない。 言うなれば、その映画が傑作であれ、駄作であれ、 俳優だけで観れてしまう映画というものもまままある。 その俳優が写っているだけで、何かを話したり、何か気になる仕草をしたりすることで 我々観客の心を奪ってしまうほどの存在。 ここでは、そうした比較に基づいて書き始めようなどという大それた考えは一切ない。 ただその映画が好きだという理由を あえて俳優目線に落とし込んで考えてみたい、それだけのことなのだ。
ホラー特集のトリを飾るのは、やはり、これしかない。 泣く子も黙る『エクソシスト』だ。 いわずもがない、ホラー映画の金字塔、である。 昨今、様々なホラーアプローチはあるが、 自分にとっては、最初に出会ったホラーであり、 この怖さは、いまだ記憶の袖を離さない。
いうまでもないことだが、スティーブン・キングは実に偉大な作家だ。 モダンホラーというジャンルにおいての地位を確立し、 その原作を元にした映画化があとを絶たないことからも、 映画界においても貢献度というものは実に計り知れないものがあり、 また、一定の水準以上のクオリティを誇っている作品が多いのも、 そのことを証明している一端だといえるのかもしれない。 もっとも、自分は原作の熱心な読者でもなく、 あくまでも映画化されたごく一部のスティーブン・キング作品のファン、 というだけのことであるが、 そのまさに第一歩が全てデ・パルマによる『キャリー』に始まっており 記念すべき、この第一章について、語らぬわけにはいかない
さて、本題の『羊たちの沈黙』に入ろう。 賞を総なめにしたぐらい、傑作ホラーサスペンス作品としての 呼び声が高い本作であるが、 公開当時は、ホラーというジャンルのせいもあって、 ちょっと距離を置いていた映画である。 その後、DVDで観て、確かにショックを受けた。 この映画は実によくできているなあ、というのが第一印象で サイコパスの恐ろしさ、猟奇的な犯罪者の心理が 実にうまく描かれていて、 まさに傑作の名に恥じない映画として、 世間の認識に、ようやくこちらが追いついたと安堵したものだった。
高橋洋という作家はまず、 脚本家として『リング』『女優霊』で Jホラーというジャンルを確立した第一人者だが、 まだ、そう詳しく語れるほど知る映画人ではない。 しかし、『霊的ボリシェヴィキ』というタイトルの響きからして 単なるエンターテイメントを超えた何ものかを 想起させるには十分のインパクトがあったし、 この先、日本の映画土壌、このジャンルにおいて 可能性を感じる作家である事は間違いないところである。
『CURE』という映画の感想は 一言で言えば人間の深層を考えさせられる映画、ということである。 オカルティズムやスピリチュアリズムとは違って 人間そのものに潜む心理の綾を巡って そんじょそこらの話題性だけのホラー映画よりも はるかに怖い話が終始展開されているのだ。