ジョン・ハッセル追悼プレイリスト後編
歌モノとの数々のコラボーレーション作品を聴いて ハッセルのその柔軟な対応力に改めて感嘆してしまうのだが、 テクニカルな面に関しては、ある程度推察できるのだとしても。 やはり、あの唯一無二な世界観の原型は、ひたすら瞑想を誘い、 スピリチャリズムにさえ通じる音楽体験をもたらす効能がある気がしている。 それこそ、アルバムタイトルのように、 「マジックリアリズム」とでもいうべく神秘的な側面を有しているのだ。
歌モノとの数々のコラボーレーション作品を聴いて ハッセルのその柔軟な対応力に改めて感嘆してしまうのだが、 テクニカルな面に関しては、ある程度推察できるのだとしても。 やはり、あの唯一無二な世界観の原型は、ひたすら瞑想を誘い、 スピリチャリズムにさえ通じる音楽体験をもたらす効能がある気がしている。 それこそ、アルバムタイトルのように、 「マジックリアリズム」とでもいうべく神秘的な側面を有しているのだ。
歌に寄り添う哀愁の枯れすすき 6月26日84歳で永眠したアメリカの前衛トランペッタージョン・ハッセルについての思いは『乾山水トランペッターここにあり」にしたため、『ジョン・ハッセルの親和性を認識できる10枚のアルバム』を...
それにしても、いくら実際の体験から生まれているとはいえ、 ポランスキーのこうした強迫観念めいた演出は 実に恐ろしく、見事に引き込まれてしまう。 それは『反撥』『ローズマリーの赤ちゃん』にも十二分に発揮されていたが 『テナント』ではそれを見事に当人が演じることで よりリアルで逼迫した空気が張り詰めている。
雨とシティポップという組み合わせは、 実に、きってはきれぬ関係性を持っているものだな、ということを ただ曲を追っているうちに直感的に感じているだけのことであり、特別の根拠も縛りもない。 自分にとって、都合の良い解釈ではあるが、一つの聴き方として 少なくとも、人が無条件で忌み嫌う雨の呪縛を シティポップの軽妙さで解消しうることは間違いないんじゃないか、なんて思うのだ
そんなわけで、雨のソングリストを編集するのはすこぶるたのしいことだ。 ただし、これは実に間口も広く、キリのない作業だということに改めて気付かされた。 雨は日常。 そして音楽のなかにも、大いに浸透しているキーワードの一つなのだ。
ちなみに、同じ雨に日の音楽といっても 梅雨時期の雨と秋雨、春雨、 それ以外の時期の雨とはニュアンスが違うように思う。 六月の雨は、いわば定番の雨であり 次に控える夏の前座でもある。
さあ、今日というすばらしい一日を生きよう。 昨日という素晴らしい日より、さらに素晴らしい今日。 そして今日よりもっと素晴らしい明日を求めて。 それが人としての営みだ。
そう、あたかもクラムボンが笑うように。 オドラデクを見かけるように。 ぼくはそれが初夏の実体だと思うんです。 初夏というのは、そういうものだと ぼくは確信しているのです、だから身が軽いのです。 軽くなってどこに飛んでゆくか判らない、そんな気分なのであります。
こういう親子ドラマというのが、実は好きだったりする。 お祖父ちゃん役のチャンバラトリオ、南方英二もいい味を出している。 昭和であれば、こういうドラマがいくつもあったし それをテレビを通じてふんだんに見て育ってきたのである。 最近じゃなかなかみられなくなっているというのもあるが、 これはこれで、しっかり笑いとペーソスが噛み合った情的ドラマである。 はっきりいってB級もB級ではあるが、そこは単なるB級には終わらない、 らも節というものが、随所に流れているのだ。
でも、一つだけ言っておきたいことがあるんだよ。 もしボッサがなかったら、 ジョアンがいなかったら、 それに出会わず、全く縁のない生活を送っていたなら この人生がどこか味気ないものに感じてしまうかもしれないな、 少なくとも、そんな一瞬があるってことだ。