ジョアン・ジルベルトをめぐって

João Jilberto 1931-2019
João Jilberto 1931-2019

風薫るボッサの季節に、神様を偲んでみよう

ボッサの神様、ジョアン・ジルベルトがなくなって
もうすぐ二年になる、というので、ちょっと遅いのだが、
ま、「Desafinado(デサフィナード)」じゃないけど、
ぼくはいつだって〝調子外れな〟人間だからね、
このあたりがちょうどいい頃合いか、というので
追悼がてらに何か書くとしよう。

そういえば、タイミングよく、もうすぐ生誕90周年を記念して、
日本発のトリビュート・アルバムがリリースされる運びだ。
しかも、二枚同時に・・・
なんも贅沢なことだなあと思う。
一枚はリオで最高のボッサ・ミュージシャン、マリオ・アヂネーが中心となって
MBPの豪華メンツと日本のボッサミュージシャンが参加した
『ジョアン・ジルベルト・エテルノ』。
もう一枚は、その『エテルノ』にも参加している伊藤ゴロー が
『アモローゾフィア〜アブストラクト・ジョアン』を
「伊藤ゴロー アンサンブル」名義でリリースするというのだ。
いまから楽しみでしょうがないんだれど、
音を聞く前に、フライング気味に記事を書いているのも間抜けな話だが
それはそれ、これはこれ。

ちなみに、そんなジョアンのドキュメンタリー映画、
『ジョアン・ジルベルトを探して』を観たというのも手伝って
ジョアン熱が勝手に高ぶってしまったのかもしれない。
映画の方は、よくもわるくも
ジョアンらしさは伝わってはきたものの、
なんだかつかみどころのないままに、終わってしまったのは否めない。
映画そのものについて、語ろうという気持ちがあんまり湧いてこないのだ。
ジョアンという風変わりだけれども、
いみじくも神様と呼ばれるほどのミュージシャンについて、
参考程度のものをつかまえて、あーだこーだ語るよりは、
すくなくとも、ジョアンが残したボッサに耳を傾けている方が、
よっぽどこのミステリアスな人物への理解が深まる、といってしまえば言い過ぎか。
それは個々、感じ方が違って当然だからひとまず、おいておこう。

一足早くキラ星の一つに紛れ
自らのお膝元へと帰っていったのは確か七夕のころだった。
ちなみに、ブラジルにも七夕の行事はあるらしいが
南半球だから冬の風物詩、ってことなんだけれども
逆にちょっとロマンチックでもあるな。

享年88歳。
残念だけど、でも天寿まっとうだし
今更ジョアンの功績が消えるわけでもなく
何より、ジョアンの軌跡がちゃんと媒体に残されていて
簡単に聴くことができるわけだから、
そんな幸福な環境下で嘆くのはちょっと違う。

まして身内でもなんでもないない立場の人間が
騒ぎ立てることでもない気がする。
ボッサの軽妙さ。
ボッサの気だるさ。
ボッサの品格。
そんなことを考えて見ると、
ジョアンの生涯の全てが滲んで見えてきてしまう。

でも、一つだけ言っておきたいことがあるんだよ。
もしボッサがなかったら、
ジョアンがいなかったら、
それに出会わず、全く縁のない生活を送っていたなら
この人生がどこか味気ないものに感じてしまうかもしれないな、
少なくとも、そんな一瞬があるってことだ。

何を大げさな? というかも知れない。
まして、ジョアン教など存在しないし
ジョアンの音楽がこの世の全てでもない。
目に見えるものは何もない。
けれども、あの音楽を聴いてきて思うに
うまく言えないけれど、心が穏やかになり
人に優しくなれ、人生の酸い甘いにも敏感になる、
というような、そんなことが本当におきてしまうものなんだよ。
まさにサウダージというもののがいつもそこにあるんだから。
だからこそ、ボッサは魔法の音楽として
人々の心に響くんじゃなかろうか?

もっと飛躍した考えでいうと
同じようなことを感じうる人間たちが
世界中にきっと数多くいて、
そういう人たちが生み出したものに
さらに、そうした恩恵を受けながら
同胞としての魂が響き合って
自然にどこかで何かと何かを通わせ合いながら、
同時代を生きてきた空気の連動感を生む、
そんな、ちょっと抽象的なことを言ったところで意味はないんだけれども。
要するに、ジョアンの魂はいろんな音楽や
いろんな生活にきちんと反映されているっていうことなんだ。

バイーア生まれのボッサの神様。
ジョアン・ジルベルト・プラド・ペレイラ・ヂ・オリヴェイラという人は
実生活では気難しい人らしいといわれている。
アーティストとしての完璧主義にはエピソードが色々あって
客の質に応じてコンサートを短く切り上げたとか
「イパネマの娘」レコーディング時では、
スタンゲッツの演奏や態度に悪態をついたとか。
また、ライブでは演奏中に空調を止めるよう要求したり、
時間に平気で遅れてきたりして人をイラつかせる・・・。

もっとも、真実はちょっと違っていて
例えば空調を声帯に悪いものとして考えているからで
人間嫌い、というのも、
要はビジネスの面倒なことに追い回されたり
そこで無意味な議論するのが苦手だというような、
センシティブな理由があったりするわけよね。

もちろん、そうしたことを総じて
“気難し屋”というイメージになるのは世の常だから
一概に外れているとも言えないのだろう。
でも、ジョアンの音楽が好きな人は
そんなことはどうでもよくって、
あのヴィオラン(ギター)とささやくようなジョアンの声に
引き寄せられてしまって、
魔法にかかったように、うっとりして
幸せな気分になってしまうということの方が
何倍も大切なことなんじゃないか、僕にはそう思える。

だから、僕個人はジョアンを
アーティストにありがちなわがままで
自由奔放な自由人のようなイメージはあんまりない。
むしろ、親しみだけしか湧いてこないわけで・・・
それは、身勝手な音楽愛好家としていられる特権なのだれども。
そんな稀有な音楽家として、
永遠に聴き続けるであろう贈り物としてのジョアンのボッサ、
ジョアンたちが始めたこの豊かな音楽の恩恵を
これからも受け止めながら生きてゆくと思う。
それぐらい、大切な音楽でもある。

ちなみにジョアンって人は
ああ見えて随分散らかし屋さんなんだという。
部屋といっても、いくつもあるようなリオの広い家に住んでいるから
散らかると部屋を変えるんだとか。
それだけ聞くと、神経質だとも言えるし、確かに気ままだと言える。
その部屋はメイドさんが片付けることになるらしいのだが
その話を聞いて、まるで北斎みたいだな、なんて思った。
北斎の場合は部屋を変えるというより、
そもそも家自体引っ越してしまうんだけれど、
やはりひらめきの天才というか
詩的インスピレーションに突き動かされている、
そんな人らしいエピソードだなあと思う。
だからこそ、誤解を生むのもやむを得ない、
といったら、ちょっと強引だろうか?

だから、と改めていうことでもないけれども
真実は全てあのジョアンの残したボッサのなかにあるのかもしれない・・・
それしかぼくのような立場の人間にはいえないのだ。

たとえば、ボッサ初期の名曲「Desafinado」は
「調子が外れている、とか音程が狂っているという意味らしくって
「音程がずれててもさ、僕の歌にはちゃんと心があるんだよ」
歌詞としては、そのようなことが歌われている。
それを男と女の微妙なズレになぞらえて
歌っている名曲中の名曲だ。
まさにジョアンのパブリックイメージは
そんな風な世間とのすれ違いの中に生じた
ちょっとした哀愁の一部なのかもしれないな、と思う。
人生にはよくあることさ。

さて、その「Desafinado」も大好きなんだけど
ジョアンの曲のなかで何が一番好きかなあ・・・
なんて考えはじめると、これがまた難しい。
でも、やっぱりこれにしよう。
マイナーからメジャーへの転調あたりが実にぐっとくる名曲『Chega de saudade』
こいつを伝説の東京公演のバージョンで聴いて〆たい。
若い頃もいいけど、晩年のジョアンにはたまらない哀愁があるね。
まさに、これぞサウダージ、ってやつかなと思うね。

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