細野晴臣について(前編)

細野晴臣 1947〜
細野晴臣 1947〜

シガツバッキャロースプリングフィールド

四月一日と書いて「わたぬき」と読む。
実際にこんな苗字の人がいるんだから
日本語ってなんだか難しいのも頷ける。
「四月一日に綿入れの着物から綿を抜くから」
なんて言われても
そうですか、と口では言えるけれど
“わたぬきさん”だとはなかなか納得し難い。

こういうわけだから、
つい物事を斜に構えて見てしまうんだよね、
なんていう苦しい言い訳には結びつくわけもない。
君は何をそんなに構えているのだね?
思わず、耳元にそう言う声が聞こえてきて
だからと言うわけでもないのだが
思わず聞いている音楽が
これまたエイプリルフールだったりするからややこしい。

別に構えてなどいないのだけれど
はっぴいえんどの前に細野さんが参加していた
伝説のグループ、エイプリルフールは
ちょっとばかし小難しい音楽のように思える。

特に意味はないのだけれど
細野さんのことを考えていたら
たまたま何かの綾で
エイプリルフールのことが浮かんできて、
聴いていただけのことなんだ。

このエイプリルフールのことを分析しようとしたり
はっぴいえんどと比べてどうのこうの
書き連ねようと言うつもりもないのだが
『HOSONO HOUSE』のセルフカバーというのか、
ついこの間リリースされた『HOCHONO HOUSE』を聴いて
いったい、自分の中で
第何期HOSONOブームが訪れているのか、
そんなことがふとよぎったのは事実なのである。

そもそも細野さんとの付き合いは結構長くって
もちろん、一方的なリスナーとしてだけど
思いおこせば、半世紀近く前、中学校の時にYMOに出会って
その音のマジックに薫陶を受けて以来のヘビーリスナーであるのだが
僕よりもはるかに長い細野さんの活動からすれば
それでも“途中参加”である自分なんかからすると
いったい、細野さんのどのあたりが一番好きなのか
いつ頃の細野さんが一番脂がのっていて
音楽的に優れていたのか、などと言う、
おそらくは絶対に答えの出ない論争を、いつもうろちょろ思い倦ねながら
ただ単に自分の気分に応じて、やっぱりYMO時代が最高だ、
いやアンビエント時代もなかなかいいんだよあ、
でも基本は、絶対はっぴいえんど時代だよね、
うん、トロピカル三部作時代だって外せないがね、
なんて、ああでもなくこうでもなく
好き勝手に思うだけの、無意味な遊びを繰り返しているに過ぎない。

この無意味な遊戯性こそ、細野ワールドの骨子ではないか。
などと大胆に言い放つつもりもないけれど
いってみれば、そう言う意味のないことを
楽しませてくれるぐらいに
懐の深い音楽家であることだけは間違いなくって
いよいよ、この音楽王も老境に差し掛かった昨今
未だ盛んに若々しい音楽を
事も無げに、いや、のらりくらりと
あの調子で繰り広げるこの日本の至宝を前には、
僕はやっぱり、飽きずに惹かれ続けてしまうのですよ。

結局は、どの細野さんも細野さんで
どれがいい、どれが好きなんて考える事は
すなわち贅沢な遊びであって、
何も僕だけがやっていることではないと思う。

その代表的なはっぴいえんどが
今日の日本のポップ・ミュージック、ロックの原点だとしたら、
エイプリルフールはさらにブルースに寄った
より実験性が強い音楽の原点だと言う気がする。
好きか嫌いかで言うと
おそらく、はっぴいえんどの方が好きな曲は多いとは思う。
それは何も細野さんがいるいないの話ではなくって
曲がいい、曲が好きだというだけのことだけど、
松本隆の詞が好きだったり、
大滝詠一の歌が好きだったり、
鈴木茂のギターがかっこ良かったり、
もちろん細野さんのベースが好きだったりするからで
結局はバンドとしてのはっぴいえんどが好きなんだ
って言うことになるのだが、それはYMOにしてもおんなじことなんだな。

で、一体僕は何を書きたいのだろうか?
まるで堂々巡りである。
こうして細野さんのことを書くだけで
まるで白日の狂気を感じながら
ヘラヘラしている危ないヤツになってくるではないか。
まさに“はいからはくち”ってなボクなわけだけど
春と言う季節は、なんだかどさくさに紛れて
全てを許容してしまうような、ふんわりした空気感があって、
実はそれが僕の細野さんに対する
長年のイメージなのかもしれないな、なんて思いつつ
細野ミュージックを今日もまた聴いている。
それは出会って以来全然変わることがない習慣だ。

そんな強引な言い方を許してもらえるなら、
はっぴいえんどには、季節感のある歌が結構多くって
とりわけ、春をテーマに書かれた曲が多いなあ、
と言う感想だけは、おそらく間違ってはいないとは思うんだ。
「春らんまん」「春よ来い」「明日あたりはきっと春」
3枚のアルバムにはそれぞれ、春をタイトルにした曲が
律儀に一曲ずつ盛り込まれているよね。
だからこそ、その流れがこのエイプリルフールにあるってわけなんだ。

これまた全然関係ないけど、
細野さんは親子三代に渡って蟹座だと言うから
当人は夏のひとってことでもないだろうが、
それでも、僕には細野さんっていうのは
やっぱり春の人、そのイメージが強くってね、
うららかな春の陽射しの中できく細野さんの曲は
それがテクノであれ、アンビエントであれ、
ロックやポップスであれ、何だって構わないのだけれど、
なんだってしっくりくる気がしているのです。

そこには何よりも
ニッポンという国が本来持っているイメージが
その中に実に巧妙に溶け込んでいる気もするわけで、
ちょうど初めて日本語をロックに乗せたバンドがはっぴいえんどで、
日本語ロック論争なんかを
改めて蒸し返すつもりもないのだけれど
僕が日本人というものを考える時に
この細野晴臣という存在が気がつけば、いつもその中心にいる、
まるで日の丸の赤丸のように、
それはまさに、日本民族のヘソ、そんな感じがしている。
全くもって言っている事がふわふわして、つかみどころがないのだろうけれど
実態はかなりすごくって、
なにか日本人のアイデンティティに繋がっている音楽でもあるのは間違いないだろう。
確かに、仙人のような人だというのは言い得て妙だ。

さて、どうやら細野さんの音楽は
決して西洋でも、東洋でもなくって
やっぱり日本人の魂の原型のようなもの
それを強く感じるというのは、自分が同じ日本人だからなのかどうか
それは未だよくわからないし、
言葉で説明したところでどうにも説得力がもてない。
それは令和という新しい年号と同じように
時間が経てば馴染んでしまうようなものなのだろうか?
昭和、平成と経た今でさえ答えはまだ見つかっていない。
そんな僕がひたすらずっと聴き続けている
ということだけが一人歩きしている。
だから、あんまり偉そうなことは書けないけど
ずっと大切に思っている音楽だという事が言いたいのです。
アイデンティティ。

うーん、なんだか意味のないことばかりしか書けない。
でも、細野さんのおかげで、音楽が好きになり、
音楽を愛してきた事実は変わらないわけでね、
そこで最もふさわしい言葉を綴って終わろう。
感謝。感謝。どうもありがとう。

ありがとう 君のでたらめにありがとう
お世辞も皮肉のことばにも ただどうもどうも
口から出ることば ただありがとうだけ

どうです 僕は大地のように
かかわるすべてを 受けいれるふり
だんだん馬鹿になってゆくのです・・

細野晴臣「ありがとう」より

ぼくにとってのHOSONO CHOICE (アルバム編)

エイプリルフール 1969

四月一日だから、というのもあるけど
細野さんのながい活動歴の中で、のちの「はっぴいえんど」の前身だとはいえ、
貴重で珍しいサイケで激しいロックの真髄が聞こえてくるし
日本のロックシーンを考える意味でも実に大きな1ページでもある。
正直なところ、この日ぐらいしか聞いていないけど
これはこれで細野フリーク、とりわけベース小僧にとっては
聞き逃せない一枚だろう。
そういえば、吉田喜重監督の映画『エロス+虐殺』のサントラもエイプリルフールだったけな。

ライブ!!  はっぴいえんど 1974

まあ、はっぴいえんどの三枚の中で、支持は圧倒的に
ファーストの『風街ろまん』なのはしょうがないし
実際そうなんだけど、残りの二枚も捨てがたい。
なので、ここでは思い切ってライブ盤を上げておこう。
なんといってもはっぴいえんどの終焉の記録でもある。
これはこれでザ・バンドの『LAST WALTS』に匹敵する名盤であり
聞きごえたえあるなあ。

トロピカル・ダンディー 1975

一番頭を悩ますのが一番頭を悩ますのが『トロピカル・ダンディー』始まる
『泰安洋行』『はらいそ』と続く「トロピカル三部作」の扱いである。
はっきり言って、甲乙つけられないし、
僕の中では3枚セットで一つの作品なんだよな。
でも、一枚だけと言われると、
まあそこはトロピカル三部作ということもあって、
一応『トロピカル・ダンディー』ということにしておく、
その程度のことだ。

Solid State Survivor 1979

YMO世代としては、YMOの功績を一番に上げなくちゃいけないんだろうけど
ここまでくると、これも長い活動の単なる一ページってことなんだな、
それでも、これを聴いた当時の衝撃は言葉じゃ言い尽くせないし
それをバックボーンに育ってきたってことは
僕個人にとっても誇りだ。
で、YMO自体は、細野さんというより、3人のものだから
まあ、ここはとりあえず、大好きな細野ナンバー
ABSOLUTE EGO DANCE」が入っているこれを上げておきましょう。

PHILHARMONY 1982

はっぴいえんどやティンパンは、リアルタイムできいていなけど
この辺りは、まさにリアルタイムできいてきた世代としては
まさに、YMOからの流れを汲んで最もリアルに聴き込んできたアルバム。
奥村氏のシュールなジャケットもいいな。
リンドラムとかエミュレーターとか、当時のエレクトロニクスの音が懐かしい。

Mercuric Dance 1985

細野さん環境音楽、ニューエイジ、アンビエント。
呼び方はどうでもいいけど、
細野さんの中に流れるスピリチュアルな一面が反映されているアルバムだ。
A面 天川〜戸隠サイド、B面 鹿島〜東京サイドに別れており、
それぞれ、ちょっと雰囲気がちがっている。
戸隠の山中で録音されたというA面に、心が癒される。
このころの細野さんは、横尾さんからの影響を音の中に消化しはじめ
ちょっと方向性がこうした精神世界へと向かっていたのだろうな。

銀河鉄道の夜 OST 1996

唯一、映画館でリアルタイムで映像を見ながら
本作を聴いたアルバムなので、感慨が深いのだけれども、
(あっ、「万引き家族」もそうだったな・・・)
宮沢賢治ときいて、細野さん。
こんなバッチリの組み合わせないな、そう思ったものだ。
シンセだけで作られているから、ある意味、
テクノだと言ってもいいのかもしれない。

SWING SLOW  1996

YMO解散後もいろんなプロジェクトやユニットを立ち上げていて
みんなそれなりのクオリティも高いけど
個人的にはコシミハル嬢とのこのユニットが一番すきかもしれない。
ハルミちゃんの良さも、このアルバムを通じて教えてもらった気がする。、

HoSoNoVa 2013

タイトルのつけ方まで、どこをきっても細野さん。
ここまでくるともはや自在だなって思う。
ボーカルアルバムだとからといっておどろかないし、
どこまでも自然体で、なにをやっても細野さん、
こんなミュージシャンは、今後、現れないだろうな。
ますます、ひとつひとつの音、歌が、貴重に思われる。
傑作だとか凡作だとか、全く関係なし。
ずっと聴き続けてきてよかったなあ。。。
しみじみと思う今日この頃。

HOCHONO HOUSE  2019

2000年代以降の中で、一番衝撃を受けたのは
セルフカバーのこの『HOCHONO HOUSE』かな。
もちろん『HOSONO HOUSE』は名盤だし
本来なら外せないのは重々承知なんだけれども
デビュー50周年にして、自作を、
こんな風に再構築してしまう細野さんの偉大さを
改めて感じている次第。
この力の抜け具合こそが、まさに細野教を熱狂させるんだろうな。
ボウイの『HEROES』→『NEXT DAY』とは対照的だな。

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