スティーブ・ライヒを求めて

Steve Reich 1936〜
Steve Reich 1936〜

熱燗好きのお銚子ものはミニマルお猪口で目を回す

仕事帰りに屋台や飲み屋で一杯引っ掛けて
もうすぐ春ですねぇ、恋をしてみませんかぁ♪
なんて鼻歌まじりにご機嫌なお父さんを見かけたら
なんだか嬉しくなっちまいますねえ。

えっ? 見かけたことがない?
今はみんな仕事が終りゃ寄り道などせずに家に帰るだぁ?
なんたって、自粛第一だからね・・・
そうすかそうすか。
ようござんすよ、それはそれで。
せっかくの花見シーズンも台無しですしね。
ま、いつまでも昭和のエレジーを引きずっていてもしょうがないやな。
なら、あっしがその役を一人でやりやしょうか。
まだ、もうっちょっこ、
このいい季節を楽しむといたしやしょう。

いやあ、近頃めっきり飲む機会が増えましてね。
肝臓先生が、いかんぞなーと弱音を漏らすことなく
かんばるぞえーってな具合でいってくれるもんだから、
ついつい飲み過ぎてしまうんでやんすがね。
いけねえやな。

こう見えて、別に江戸っ子でもないんでやんすが
飲むと江戸っ子風情になる、
ってえのはなんなんすかねえ?
やはり日本酒に目が無いからなんでしょうかねえ。
別にアルコールなんかなくったって
不自由なくやっていけなくもないんでやんすがね、
あったほうがそりゃあ楽しいっすよね、やっぱり。
そしてどうせ飲むんなら、日本酒なんでさあ。
だもんで、飲む機会があればそれなりに飲むんでやんすよ。

で、通常なら、まずはビールいっとく?
ってなことになりますでしょ。
本音をいうとビールって、そんな好きじゃないんすよ。
真夏の夜のナイター観戦とかなら、
喜んでぐびぐびいくんでやんすがね。
なら? ってんで冬なら、迷わず熱燗!
冷やでもいいっすよ、ええ、ガラスの尿瓶、
じゃなくて、グラスに入った冷やでいいっすよ。
冷のマス酒ってのもねわるかぁないねえなあ。
ありゃあいいわ。
ただ、できれば、
あの昔ながらなおとっくりに御猪口ってえのが、
たまらなく好きなんすよね。
そしてお猪口のそこに二重丸なんかが描いてあるの、あるっしょ?
ありゃあいいわ。
シンプルでね、あれこそがミニマルってやつでさ。
いやあ、これってオツっすよねぇ。
ちとぬるめでね、おっとっと、
なんていいじゃないすか。

こうした風情は、 大人になって、
ようやくわかるようになりやした。
なんざんしょう、ちびちびやるっていう習性が、
自分に合っているんでやんすかねぇ。
そもそも、がぶがぶ、ぐびぐびとか、
ほら、一気一気っていうと、
どうも気分が乗らないんでござんすよ。興ざめなんす。
そういう呑みっぷり、ダメな口でござんすねえ。
あれは全然粋じゃないっすから。
小粋でもないっす。
もとから大勢でワイワイってのが苦手なんすよ。
やはり酒てえのは雰囲気を味わうものでやんすからね
ゆっくり、いろんな話をしながら、
適度に酒の肴に箸をのばしてっすね……。

酒の肴は何だってよーござんすよ。
なんなら、鍋でもかまやーしない。
なきゃ、ないでテキトーに
枝豆に、ポテトサラダ、お新香あたりでやりましょう。
なんなら昨夜の残り物でもかまやぁしない。
そういうところでは、小津安二郎の映画なんか、絶品すね。
いい歳をした中年紳士たちが、 小料理屋なんかに集まって、
たわいもない話に花を咲かせながら、
チビチビやってる、あの感じ。
酒が映画の小道具になっちまう。
ああいうの、いいっすよねえ。

たとえば「秋刀魚の味」なんかたまんないっすね、
つくづく思うんでやんすよ。
歳を重ねれば重ねるほど、わかってくる味ってんでしょうか。
哀愁なんていうとじつにありきたりっすが
毎回繰り返し繰り返し、テーマを繰り返す、
ってえのがツボなんすかね??
あのスタイルはなかなかどうして、斬新なものっすよね。
しかも、ちゃんと日本人のアイデンティティを
うまぁくくすぐって来ますからねえ。
あっしのような単純な野郎はころっと参っちまうんでやんすよ。
単なるホームドラマじゃないねえよな。
それはまた、映画のコラムで、
じっくり書かせていただきやんすがね。

今日の音楽シーンにおいても、
ミニマル的な構築ってもんが
かなり顕著にコアになってたりしてますからねえ。
えっ、いきなり音楽の話題じゃまずいっすか?
熱燗も、まさにあの量、あの形状、あの風情あってのもの。
そういうの、ミニマル嗜好といってもいいんじゃないんすか。
お銚子ものには、ちょうどいいってな具合すよ。
あれもこれもっていう欲張りは
ちっとも粋ってもんを生みだしませんから。

ミニマルついでに書くってえと
あっしは、案外、日本酒とミニマルミュージックとの相性って
案外いいんじゃねえの?ってな塩梅に考えているんでやんす。
とりわけ、ライヒなんかをこう、聴きながらね、
日本酒をチビチビやるっていうのを想像すると、
なんだかとっても愉快になってくるでやんすよ。
ホカホカしてくるんすよ。
素敵じゃないっすか。
日本酒とスティーブ・ライヒ、最高っすねえ。

でもなかなか、ライヒがかかっているバーなんて知りませんしねえ。
ライチ?  ライチじゃありませんよ、ラ・イ・ヒ。
世間じゃコンテンポラリーミュージックってなものに分類されてますがねえ
あっしに言わせりゃ、元祖テクノっすよ。
テ・ク・ノ。
最小限のフレーズを繰り返して
心をふわふわ、ワクワクさせる楽しい耳障りのいい音楽っすよ。
それでいてまるで酔ってるかのように
ある時から音と音が微妙にずれだしてね
なんてえのか、この気持ちの良さってのはうまく説明できねえな。

『18人の音楽家のための音楽』って名盤があるんすけどね、
これがまた最高に気持ちいいんだ。
今度機会があったら聴いてみて下さいな。
もうかれこれ三十年以上聴き続けてるから、レコードが擦り切れてらあ。
えっ? CDでも擦り切れるのかって?
いやね、そんな事はどうでもいいんすよ。
昔はレコードしかなかったんすから。
ま、脳内のミゾが擦り切れるって意味に解釈しておくんなまし。
で、あっしの部屋にはね、ライヒボックスが置いてあるんすよ。
これとパット・メセニーの『エレクトリック・カウンターポイント』ね
それぐらいは 一家に一枚置いておい置いて欲しいなあ。
そのライヒを聴きながら、日本酒をチビチビやるのが
あっしが考える最高の贅沢な飲みの席なんすよ。
わかるかなあ?
わからないだろうなあ。

それが演歌だとなんだか調子が出ねえんだ。
家ではあんまし呑む習慣がないんで、
まだ試して見たことがないっすから、
いつか仲間を呼んだ時みでも
やってみようとは思ってるんでやんすがね。
その際には、また調子よく書きやしょう。
ミニマル飲み会、二重丸の巻ぃなんてね。

ちなみに、ドイツ系と東欧系のユダヤ人の両親をもつライヒさんね、
アメリカなんかだと、ライシュとでも言うんでござんしょ?
あっしなら、『スティーブライ酒』とでも命名した銘柄の日本酒を
プロデュースでもしてさ、
大々的売り出したいぐらいなんでやんすがねえ、
誰かスポンサーいないっすかねえ、
そこの旦那、いかがっすかね??  

ま、反応がないならしょうがない、
一人でちびちびやりますか。
ええ、それもまたオツなもんでやんすよ。

ライヒを理屈ぬきで体感するためにおさえておきたいアルバム

Steve Reich Works 1965-1995

初期の作品「It’s Gonna Rain」や「Come Out」では
二台のテープレコーダーで再生しているうちに
どんどんとズレが生じてくることを偶然に発見するといった、
のちにライヒのフェイズ音楽の概念を形成してゆくことになる原型を
感じ取ることができる。

前者ではキリスト教ペンテコステ派の聖職者が説く
世界終焉への警鐘が繰り返されることで、言葉が次第に音になってゆき、
後者では、黒人少年が白人警官によって射殺された事件から
暴動の際の逮捕者である少年の証言の一部を切り取って、
そこから、フェージング効果を利用し、社会性を有した鋭い作品に仕上げているのは
いずれも、ユダヤ人としてのライヒの精神性の萌芽を
ここに読み取れる重要な作品である。

また、アフリカ音楽のポリリズムに影響され、
フェイズ音楽の集大成である初期の代表作である「Drumming」、
金字塔「Music for 18 Musicians」へと続く、6台のマリンバの心地よい「Six Marimbas」
楽器と音程が交差しながら、明確な主旋律が流暢に流れ交わってゆく「Eight Lines」
ヘブライ語のテクストによる複雑なリズム構成の「Tehillim」
世界の終末感漂う不穏でドラマチックなミニマリズムの「The Desert Music」
11本のクラリネットとバス・クラリネットからなる「New York Counterpoint」、
2台のマリンバで演奏される軽快でメロディアスな『Nagoya Marimbas』ときて、
最後には、サンプラーを駆使し、もっとも「ミュージック・コンクレート」を感じさせる
「City Life」に至るまで、
ずっしり網羅された、この10枚組BOXSET。
置き薬ならぬ、置き音楽。
ま、手っ取り早く、このノンサッチ・レコードからリリースされた一式
まるごと買って聴いてしまえばいいわけですが、そうもいきますまいな・・・

  • 「It’s Gonna Rain」(1965)
  • 「Come Out」(1966)
  • 「Drumming」(1970~71)
  • 「Clapping Music」(1972)
  • 「Six Marimbas」(Six Pianos、1973)
  • 「Music for 18 Musicians」(1974~76)
  • 「Eight Lines」(1983)
  • 「Tehillim」(1981)
  • 「The Desert Music」(1983)
  • 「New York Counterpoint」(1985)
  • 「Sextet」(1984~85)
  • 「City Life」(1995)

ってなわけで、ミニマリスムの見地からして
以下、ライヒという音楽家の真髄、影響力を、
そしてなによりも其の魅力を体験するために、最低でも聴いてほしいのがこれですね。

Music for 18 Musicians

ライヒといえばまずこれでしょう。
ECMのNEW SERIESからリリースされたこの一枚を
わたくしは、長年愛聴してきておるわけですが、
秋がきても、飽きは来ない。
いやあ、これほど聴き続けても全然古くならないこの音楽の魅力とは
いったいどういうものなんざますか?
なんていう声が、ちらほら聞こえてきますが、うまく説明できません。
中身はというと、ピアノ、クラリネット、マリンバ、女声など
総勢18人のミュージシャンたちが演奏する音(フレーズ)が
重なったり微妙にずれたりしながら
それをなんどもなんども繰り返すことで、
快楽を増してゆくわけですが、
しかし、これを快楽とみなすがどうかは、
実のところ、知性の問題のような気がしますがいかがでしょう。
この『Music for 18 Musicians』をプレイしていると
かなりのドーパミンが分泌されている気がしているわけですが
つまり、それほどに、なにか精神への効能は大きい音楽なのは確かで、
だから、万人にとって快楽的か、気持ちがいいか、
そこんとはわからないけれども、少なくとも、僕にとっては
これは百薬の長といって過言ではない音楽なのです。

Electric Counterpoint:Kronos Quartet & Pat Metheny

クロノス・クァルテットは、ライヒとは別の意味で、偉大な弦楽四重奏団である。
ジャニスやコルトレーン、ジミヘンから、インド、アフリカあたりの民族音楽まで
とにかく、ジャンル横断はお手の物で、
とっつきにくい現代音楽や格調高いクラシックの概念をとっぱらい
独自の路線を貫く、まさに時空を超えた未来のクラシック(意味的には破綻しているが)
つまりは、真のコンテポラリーミュージックの伝道師といえる。
そのクロノス・クァルテットが、ライヒの古典的名作「Different Trains」を
みごとにさばいて見せれば、
かたや、ジャズ界のネオジャイアント、パット・メセニーが
これまたライヒの神曲「Electric Counterpoint」をひとりギターで多重録音に挑んで
じつに、新風を吹き込んでいるのがこのアルバムである。
ジャケットからして、実に素晴らしいコンセプトで、
線路とギターという組み合わせが、実にクールで、かっこいい。
都会に暮らしているからこそ、聴きたい音楽なのであります。

Reich Remixed

ライヒ公認のRemixアルバム。
テクノ、エレクトロニカ世代への影響の大きさを改めて考えさせられる。
ひょっとすると、邪道なものもあるのかもしれないが、
その根底には気持ちよさ、というものが共通の意識としてあるのだと思う。
日本からは、タケムラノブカズに、ケンイシイ、
その他、Howie B、Tranquility Bass、DJ Spooky、Coldcutといった
エレクトロニカの達人たちが顔をそろえてREICHをカバーしている。
クラブ好きにはたまらんでしょうね。

DRUMING:加藤訓子

『Reich Remixed』がテクノアーティストたちによるオマージュだったとすれば、
こちらは正統派のライヒイズム継承者で、
しかもわれわれと同じ遺伝師パルスをもつ日本人であるところが、ミソである。
ライヒの初期の名作「ドラミング」の全パート
パーカッション(ボンゴ、マリンバ、グロッケンシュピール)とヴォイス、ピッコロ、口笛
計12にわたるパートをすべてひとり演奏し多重録音したスタイルで、
家元からもそのスジのよさはお墨付き、ということもあって、
注目しないわけにはまいりますまいな。
ということで、加藤訓子という、コスモポリタンなパーカショニストのソロを
とりあげておきます。

Music for 18 Musicians Ensemble Signal

「敏捷にして精確無比、そして情感豊か。ぜひ聴いて頂きたい」
そういってライヒ自身が絶賛しているのは
ニューヨークで活動するアンサンブル・シグナルによる『Music for 18 Musicians』。
2008年にデビュー、あの名門USAハルモニアムンディからリリース。
一聴するに、音がダイナミックでかなりいい録音物だというのがはっきりわかる。
グループ率いる音楽監督ブラッド・ラブマンはライヒとの付き合いが長く、
いわばミニマル音楽を熟知したマスターだが、
初演時にはうまれていない世代による演奏者を引き連れたライヒ解釈には
新鮮な空気が吹き込まれている。
これはもはや、トランスミュージックの域である。

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