ヤン・シュヴァンクマイエル『オテサーネク』をめぐって
さすが、チェコという国は かつてカフカを産出しただけあって この手の不条理ナンセンスに長けた作家を多数輩出している。 そのチェコを代表するヤン・シュヴァンクマイエルは 美術家というべきか 映画作家というべきか、 はたまたアニメーターというべきか 何れにしてもシュルレアリスティックな作風で 狂気とユーモアとカオスを併せ持つ独自の世界感で 我々をたちまち魅了する錬金術師である。
さすが、チェコという国は かつてカフカを産出しただけあって この手の不条理ナンセンスに長けた作家を多数輩出している。 そのチェコを代表するヤン・シュヴァンクマイエルは 美術家というべきか 映画作家というべきか、 はたまたアニメーターというべきか 何れにしてもシュルレアリスティックな作風で 狂気とユーモアとカオスを併せ持つ独自の世界感で 我々をたちまち魅了する錬金術師である。
ただし、一言で片付けるなら、なんじゃこりゃ? 理解しようとする思いがことごとく粉砕される。 次第にその狂騒劇のようなばかばかしい魅力に悪酔いしまうだけなのだ。 圧倒的なまでのエネルギー。 物語を追う意味はない。 いや、どうにもこうにも追いきれんのだ。 このはちゃめちゃぶりを素直に受け止めるべし。 恐るべしやロシア帝国。 いや、おそるべしはゲルマンか。 カンヌでの上映の際には ことごとく観客を離脱させてしまったものの、 あのスコセッシが「何が何だかわからないが、すごいパワーだ」といったとか。
そんな女たちの生き様が哀しくも、たくましく 滲み出る生活臭ととも描き出される話だ。 途中に挿入される字幕。 そして監修にも名を連ねる滝田ゆうのイラストが これまた絶品なまでの風合いを帯び、郷愁を誘う。 これで、ラストがまた、たまらなく切ない。 「夜霧のブルース」を聞いていると 思わず彼女たちを抱きしめてやりたくなる。 記録に手を貸してやりたい気さえしてくる。 そう、そんな赤線なら、 ついふらっと通いたくなってくる自分がいるのだ。
実際の伯父さんよりも ぼくには身近につながっている“伯父さん”がもう一人いる。 長身でソフトハットにパイプを咥え チェスターコートから蝶ネクタイがのぞかせ 寸たらずのズボンを履いてこうもり傘を手に持って 自転車に乗っている、というのが ジャック・タチの代名詞である 「ぼくの伯父さん」ことユロ氏である。
人類滅亡後の未来から過去へのタイムトラベルをし その原因をさぐるために男は記憶をたどり あるひとりの女と出会う。 それは幼少のころの記憶なのか? それは再会なのか? それとも「時」の終焉なのか?
時は、安政3年11月13日〜15日にかけての まさに怒涛の幕末の暗殺劇を凝縮した形だ。 いわゆる近江屋事件を、低予算ATG制作、 ドキュメンタリー畑の黒木和夫監督が 豪華な俳優陣を引き連れメガフォンを撮った異色作である。 前衛でありながらも、決して個としての龍馬の魅力を損なず、 そのまま原田芳雄の魅力と相まって この不朽の英雄伝に、一転アウトローが醸す、 人間臭さを大いに巻き込んだ群像劇へと標榜させている。
好きなクリスマス映画を10本あげてみな、 ってなことをとっさに言われたとして、 『スモーク』に『戦メリ』に、あとなんだっけか? なんて言っているぐらいだから、 そもそもがどうしようもないんだけれど、 で、よく考えてみれば、こいつもクリスマス映画って言えるのかな、 そう思って浮かんだのが『アパートの鍵貸します』
その名もずばり『スモーク』って映画は、 ニューヨークでたばこ屋を営むひとりの男をめぐる物語。 ポール・オースターの短編 『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』がまずあって、 そこから映画用にオリジナルでオースターが書き下ろした脚本を ウェイン・ワンが映像化した珠玉の映画だ。 日本では90年代にミニシアターで上映され、 多くの人々の心をわしづかみにしたっていう、 とってもハートフルなストーリー。 誰の身にもついてまわりそうな、 それでいてひとつひとつが実に誠実で、 つい心にひっかかってしまう話で構成されている。
大島渚の、微塵もクリスマスらしさを感じさせない問題作 『戦場のメリークリスマス』を、映画館で観たのは随分と昔の話で、 いま頭に残っている内容の方はというと、 こころもとなく曖昧なところだが、 なんとなく、大島渚らしくない映画だったような気がしている。
それこそ音楽なら豊富に浮かんできるが、 映画や文学となると、やれ恋人と、やれ家族と といった副次的快楽を共有するようなものを 得意げに差し出すような気の利いた感性は持ち合わせおらず、 ひたすら、己の琴線に触れてくる、 微妙なものを独断的、偏愛的に取り上げているに過ぎない。 しかし、あえて言葉を添えるなら、 これほど殺伐とした世の中で、 どこへ言っても他人の視線、他者との関係性を無視できない中で まずは、自分という個をしっかりとあらわにして 超然たる思いで、この年末を軽やかに乗り切りたい。