我らが友、日本の映画たちとともに
今、日本はいろんな意味で危機に直面している。
コロナ騒動を経て、元に戻ったというよりは何やらひどいことが次々に加速し
いよいよまったなし、と言った時代に映る。
その時代は容赦無く、たえず選択をせまってくる、
しかも静かに、そして粛々と事を成すために・・・
なんだろう、この違和感、不快感、そして疎外感。
人口は減り続け、一方物価は上がり続け、人々の暮らしはよくならない。
人々の精神は病み、日々災害に怯えながら、世界からの孤立感をも深めてゆく。
人に変わるAIが支配し始め、周辺には行き場を失った人間であふれかえろうとしている。
未来はそこに運命としての広がりこそ見せてはいるが、
まさに混沌とした先の見えない時代であることには変わりがない。
世を知らねばどんどんと搾取され、置いてきぼりを食らうだろう。
政治はむろん、メディアもまた信用ならぬまま、情報だけが一人歩きしている。
いままでの常識など、もはやなんの意味ももたない時代が
まさにそこに不敵に聳え立ち、かつ平然と日常を迎えるのだ。
そんな危機感を前に、われわれはどうするのだ?
いったい何ができるのだ?
簡単に語りつくせるような問題ではないのは承知の上、
あえて言わねばならない。
そう、まずは変化だ。
他人などどうでもいい、自分がまず変わろう。
そして、この世の空気に絶えず敏感でなければならない。
知ることだ。
見ることだ。
理解することだ。
なんだか、たいそうなことを書いているのかもしれない。
が、いいたいことはひとつ。
情報社会とはいえ、世の動向に無関心ではいられないということだ。
無関心は最終的には身を滅ぼすだろう。
つまりは、自分で自分を守る意味でも、
幸福に近づくにも、まず敵は知らねばならない。
状況は的確に判断せねばならない。
そして自らの基準で人生を切り開いていかねばならない。
そんな意味で、今一度、深く世を見渡そう。
自分が考えようもしないようなことから
自分が気になること、そして、世界のなかの些細な出来事に至るまで
映画というものはいろんなことを教えてくれる。
いつまでもコンフォートゾーンでぬくぬくもしていられないのだ。
日本はかつて、映画王国だった。
世界に誇りうる映画産業が、文化の一部を着実に担ってきたことを思い返そう。
映画こそは時代の鑑なのだ。
最近の映画を見ていると、構造が複雑なものが増えたように思う。
ストレートでシンプルなものは少ない。
テーマも多岐にわたり、それによって時代を意識せざるを得ない感覚に捉われる。
過去やノスタルジーにとらわれてばかりもいられないが、
良き日本のことを忘れたくもない。
それはそれとして、受け止めねばならない。
この流動的で、変化に富む現代において、
時代を照らし出す映画というものを通して
いまいちど、日本人の誇り、そして素晴らしさを再確認したい、それだけだ。
そんな映画をここにあげてみるとする。
とりたてて、時代、ジャンルやテーマ、評価、
有名、無名の枠にとらわれることなく、
世界に通じる日本映画のソコヂカラを存分に味わえる作品を
独断と偏見ながら、ランダムにあげてみたいと思う。
2000年を軸にして。前半、後半に分けて紹介したいと思う。
そして勝手に考察してみよう。
むろん、これを持って日本映画のすべてが網羅できるわけでもなければ
人によっては、まったく価値観を共有できない作品もあるだろう。
しかし、そんな世評などどうでもいい。
一方的な脳髄のコレクションからひっぱってくるだけのことで
そのあたりに整合性など全く無いとしても、なにかを感じることはできるだろう。
まさに映画の力は決して小さいものではないからだ。
混沌とした時代からこそ、あえてその道をあるがままに照らし出しうるような、
そんなエネルギーに満ちた作品を、無意識に選んでいるのかもしれない。
すべては感性の赴くままに生きるが術だ。
ここに、改めて日本映画と日本の未来の可能性を信じていることを確信するのだ。
Ryuichi Sakamoto :async
教授がいなくなって早一年が過ぎてしまった。教授が生前奏でた音楽の数々は、まさに近代日本人の叡智であり、戦いだったのもしれない。だれよりも日本を愛し、憂いていた音楽家の一人だった。ありとあらゆる万感の思いの詰まった、晩年のアルバムとくに『async』は胸に刺さってくる。彼の豊穣な軌跡がこの先の未来の日本を照らしつづけますように。祈りのような思いがこみ上げてくる。
特集:日本映画ソコヂカラ(前半)
- 焼け跡潜れば肉体の悶・・・鈴木清順『肉体の門』をめぐって
- 究極の隠し悪人探しエンターテイメント・・・黒澤明『隠し砦の三悪人』をめぐって
- 残菊の候・・・成瀬巳喜男『晩菊』をめぐって
- 無用の用・・・小津安二郎『おはよう』をめぐって
- 顔を隠して心隠さず・・・ 勅使河原宏『他人の顔』をめぐって
- 砂丘と子宮の冥府魔道を拝もう・・・三隅研次『子連れ狼 三途の川の乳母車』をめぐって
- 仁義なき、ヒロシマ弁モナムール・・・深作欣二『仁義なき戦い・広島死闘編』をめぐって
- そもさんせっぱの誘拐事件簿・・・伊藤俊也『誘拐報道』をめぐって
- 薬ばやめっぺか、人間ばやめっぺか?・・・柳町光男『さらば愛しき大地』をめぐって
- キッズリターン トゥ フォーエヴァー・・・北野武『Kids Return』をめぐって
特集:日本映画ソコヂカラ(後半)
- どこまでも逃げ、ましょうの女・・・阪本順治『顔』をめぐって
- 復讐するは法にあり・・・森田芳光『39 刑法第三十九条』をめぐって
- 好きこそものの上手ナレーション・・・吉田大八『桐島、部活やめるってよ』をめぐって
- B級低級すべて杞憂、屑たちに捧ぐ嘲笑のレクイエム・・・小林勇貴『全員死刑』をめぐって
- 父と娘の捜索卓球便・・・片山慎三『さがす』をめぐって
- 土の匂いのするシネマ・・・中江裕司『土を喰らう十二ヵ月 』をめぐって
- なりふりかまわず、なりすまし・・・石川慶『ある男』をめぐって
- ぼくらのギョギョおじさん・・・沖田修一『さかなのこ』をめぐって
- おばけなんてナイスさ・・・森井勇佑『こちらあみ子』をめぐって
- 哀しきファムファタル、どこへ行く?・・・戸田彬弘『市子』をめぐって
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