レオノーラ・キャリントンをめぐって

Leonora Carrington 1917 - 2011
Leonora Carrington 1917 - 2011

トマトと老アリスと黒いユーモアの話

ラ・トマティーナというスペインのお祭りをご存知だろうか?
バレンシア州、ブニョールというところで
毎年8月の最終水曜日に行われるという収穫祭のことだ。
日本では「トマト祭り」として知られている。
参加者がお互いに100トンもの熟したトマトを投げあうというこの祭り。
一度この目でそのカオスな光景を目の当たりにしてみたいものだ。
なんなら参加してみたいとさえ思うが・・・。
いや、やめておこう。

トマト好きとしては何分にもそそられる催しだが
流石に闘牛の本場スペインだけあって、
これまた町中あふれんばかりに情熱的な赤に支配されるらしい。
こちら、そんなカオスとは無縁だが
今夜のメニューはオクラの豆乳トマトスープ。
そこそこにはイケル出来映えだと自負している得意料理の一品だ。
オクラとトマトスープとは栄養学的にも見た目にも相性がよい。
そこにタマネギとしめじとレンズ豆(ここらは気分次第で)そして鶏肉。
なければシーチキンをいれ、最後豆乳(なければ入れなくてよい)で〆る。
で、豆乳はトマトとはこれまた相性がよく、よりまろやかになるのだ。
鶏肉は骨付きだとダシがでてより美味しい。
豆乳はいろいろ使い勝手がよく、冷蔵庫の必需品。
そういや、随分昔からコーヒーも紅茶もすべて豆乳を入れている、
健全なソイマニアってことなのよね。
出来上がりにはお好みでパルメザンとパセリをどうぞ。
これでたっぷりと野菜がとれる。

ちなみに料理話は一旦打ち止め。
で、トマトスープで思い出すのが、
マックス・エルンストのミューズでもあった
イギリス生まれのメキシコ人画家レオノーラ・キャリントン
(発音でいえばキャリントンが正しいので
以下はキャリントンと書くが、
出会い時にはカリントンとして記憶しているのだ)

その彼女が書いた『耳ラッパ』という小説があって
主人公マリオンは99歳のウルトラおばあちゃんで、
親友カルメラから耳ラッパという補聴器を贈られ
家族の会話を盗み聞くことができるが
あまりに歓待されていないことを知ると同時に
「友愛光明園」なる養老院に送られてしまう。
そこからの奇想天外、聖杯探究の話が展開されてゆくわけだが
一言で片付くような代物じゃない。
そんなマリオンが大のトマトスープ好きなのである。
トマトスープを作るたびに、この下りをいつも思い起こすのだが
その老女がいわば老人ホームで
個性豊かな老婦人達と巻き起こすシュルレアリスティクなファンタジーは
けしてまろやかというわけではなく、
あのブルトンさえも賞賛した黒いユーモアに満ちたそんな話である。

ちなみに親友カルメラとはスペインの画家で
実生活でも大の仲良しだったレメディオス・バロがモデルとされている。
(二人の絵画には類似点も多い)

ぼくが初めて手にして読んだのは
月刊ペン社の「妖精文庫」というところから出版されていた、
いまとなっては入手困難な本だが
すでに工作舎から『耳ラッパ—幻の聖杯物語』というタイトルで再出版されていて
知る人ぞ知る大人の童話として、
人々の心を捕らえている幻想文学だ。

キャリントンは元々画家で、
恋人以上の存在だったエルンストが
弾圧を受け、強制所送りを余儀無くされるという戦禍の傷によって、
自らも波乱万丈の人生を生きざるをえなくなり
そんな精神的ダメージを負うことになるが、
主にはメキシコへ渡ってから、その才能を開花させてゆく。
その産物である絵画作品も、とても素晴らしいのだが、
『美妙な死体の物語』という短編集や
この『耳ラッパ』の作家として特別の思い入れがある。
この本を、ある友達に貸したのはいいが、
結局貸してもらってないといわれ、
キツネにつままれるようにして、
再度古本屋で見つけて買い直した本ということもあり
とりわけ思い入れが強い一冊でもある。

『耳ラッパ』とキャリントンの描く世界観は全く同じで
純粋直感に導かれた魂の遍歴の物語と言っていい。
レオノール・フィニがそうであったように
裕福な家庭に生まれたものの
このキャリントンもまた反抗的、反権力的な姿勢で
多感な10代を過ごしシュルレアリスム絵画に出会うことで
その方向性が導かれてゆく。
その先に、エルンストとの運命的な邂逅がある。
(エルンストのミューズ遍歴は実に豪華で凄いのだ。
その件はまた場を改めて書くとしよう。)

 彼女自身はフィニやヴァロと同じように
シュルレアリスムの教義には関心がなかった人だった。
それは因習的な意味合いでの女性解放への道でもあり、
むしろ神秘主義への傾倒からの世界観が
その作品に現れるようになってゆく。
1950年代の初頭にはチベット密教にハマり
また近代日本最大の仏教学者たる鈴木大拙とも交流をもつに至る。
アルメニアの神秘思想家グルジェフのワークグループに
参加したのもこの時期であり、
かのカルト映画作家ホドロフスキーとの交流もあったというから
筋金入りだ。

そんなキャリントンの波乱に飛んだ人生の中で
絵画と文学はともに重要な精神的な発露であった。
ちなみに『耳ラッパ』は母国語の英文で書かれたものであるにも関わらず、
初稿がフランス語で出版された経緯を持つ。
僕が読んだのは初稿フランス語版(原題Le Cornet Acoustique)の翻訳で、
英文版の方は原題The Ear Trumpet。
フランス語版の序文を書いたマンディアルグは
メキシコのキャリントンを訪問し交流した際に
手渡された初版原稿を託され、本当なら
まずは母国イギリスで、英文出版となるはずだったが
何かの行き違いで原稿が紛失し迷宮入りしかけていたという。
その後、キャリントン自身が
著名な翻訳家で友人であったパリのアンリ・パリゾに送って
出版の運びとなるという事態になってしまったのが
この『耳ラッパ』のもつ数奇な運命である。
マンディアルグはそのことを「原文の特徴を越えて、優れた魅力を獲得している」と書いている。

ちなみにマンディアルグ曰く、
キャリントンは無類の粗忽者だったらしい。
本来なら、原稿が紛失して失意にくれるような事態が起きてしまったわけだが
何年かして、家のどこかからオリジナル原稿が
ひょっこり見つかったのだというからやれやれである。
こうして、世紀の奇書、この世にも素敵な“老アリス”の物語が
無事人の目にさらされることになったのである。

自分が手にしたのは1978年初版の
月刊ペン社「妖精文庫」から出版されたもの、
つまりはフランス語翻訳バージョン(嶋岡晨訳)の方で
工作舎から出た方の新しいものは未だ読んではいない。
おそらく、だいぶ印象が違っているはずだが
キャリントンの世界観にそう大きな差はないと思うがゆえに
気にはしていない。
できる限り多くの人に読んでもらいたいし、
いずれ機会があれば自分もそちらも読んで見ようと思う。

Le cadavre exquis · Serge Gainsbourg

Le cadavre exquis(優美な屍骸)とは、シュルレアリストたちがやっていた言葉の遊びの一種だ。あるとき、複数の人間がそれぞれ書いた文章を、前後関係なくつなげたところ、“Le cadavre exquis boira le vin nouveau.”(優美な屍骸は新しい葡萄酒を飲むだろう)という予想外の言葉が生まれ、それを面白がったというのが始まりである。こんな曲を書くという芸当ができるたのは、言葉(パロル)に敏感だったゲンスブールぐらいだろう。一時、デヴィッド・ボウイがハマっていたウイリアム・バロウズのカットアップ手法だとか、この優美な屍骸などは、偶然に起きうるハプニングを重視し、できるかぎり、意図や意味の縛りから解放され、より自由な表現へと辿りつくための試みに過ぎない。いかにもシュルレアリスム的な遊びだ。キャリントンによる小説『美妙な死体の物語』はそんな手法で書かれた短編集である。

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