ウイリアム・ウエグマンとその愛犬ワイマラナ-犬をめぐって

William Wegman

見者の俳優犬(もうひとりのマン・レイ)

マン・レイは実に優秀なモデル&俳優だった。
そういうと、??? あれ、それって「撮る」ほうじゃなかったの? 
と思われるかもしれない。御安心を。
そう、それはあの写真家マン・レイ、のことではない。
確かに本家マン・レイ自身、優秀な「俳優」的資質ももちあわせていたが、
ここではそのオリジナルのユーモア精神を引き継いだというべく、
ウイリアム・ウェグマンの愛犬、
ワイマラナー種のマン・レイのことをいっているのである。
まちがっても、動物虐待などとは思わないでいただきたい。
その真逆なのだから。

大型ポラロイドを用いたこのマン・レイシリーズ「MAN’S BEST FRIEND」は、
ウェグマン自身の傑作というだけではなく、
犬と人間の驚くべきコラボレーションのドキュメントとして、
思わずにっこり、おもわずふむふむ、
なにかと気を惹かずにはいられない。
なにげに大それた写真集である。
頭から全身粉まみれ、あるいはかぶりものや装飾品でいいようにされ、
あるときはカエルだのゾウだのこうもりだのにまんまと変身させられ、
ときに無理なポーズの注文にも、
このマン・レイどんは、ただひたすらに忠実に応えていくのである。
写真=撮るものと撮られるものの関係性を端的にあらわすメディア、
という意味では、この関係性の妙に、
ただならぬ愛着を感じずに入られない。
ユーモアで片付けられても笑えない、
そこは写真の雄弁さゆえの、
むしろ、哀愁やらセンチメンタリズムやら、
人間が背負うどうしようもない情感をめぐる空気の充溢を、
なにより犬自身が体感し、醸し出しているという点で、
この作り物の世界を傑作たらしめている。

興味深いのは、マン・レイ自身、
とある新聞広告が縁で、ウェグマン家に飼われることになった、
なん変哲もない子犬から、
次第にウェグマンの忠実な共犯者へと成長を遂げたということだ。
調教というには、あまりにもみごとな意志の疎通、
相互浸透が滲み出している気がするのである。
(くれぐれも動物虐待などというコトバは慎んでいただきたいし、
同時にあなたの愛する犬をかような
過酷な愛情で哀しませないであげてくださいね)
つまり、写真を通じて、「嘘」を提示しながら、
彼等は犬と人間という関係以上の
「リアル」な親密さを発見してゆくのである。
残念ながら、相棒マン・レイはすでに1982年にこの世を去っているのだが、
ウェグマンは、フェイ・レイという新たなる共犯者をへて、
ワイマラナ-犬をモティーフにより洗練されたフィクションを
つぎつぎに制作し続けていく。
(フェイ以降の歩みは、wegmanのオフィシャルサイトwegmanworldにある
Family treeを御参照されたし)。
 このウェグマンとワイマラナーの関係、写真を通して
相互に理解しあう創造的同等者となっていくその過程に、
ここで本家マン・レイ、そのおことばを重ねてみよう。

はじめのうちこそ作品の写真を問ってほしいという芸術家たちの要請に従っていた格好だったけれど、そのうち気付いたのは、写真は当面の生活のかてに手に入れる手段であるほかに、彼らの人となりを理解するよすがを与えてくれたということだった。そうして、それに付随して、彼らの肖像写真をも同時に撮影すれば、これらの創造者たちを理解するのにずいぶん役立つのだった。わたしはつねに、自分が興味を抱いた作品の創造者の人間的な側面を知りたいのだとおもってきたし、彼らの伝記はわたしにとっては作品と同じように魅力にあふれたものだった。

man ray

写真家と犬という関係は、
かくして人間以上の絆を築きあげた結果、
それはお互いが創造的同等者という意識のレベルに気付いたのである。
それが「MAN’S BEST FRIEND」という傑作に刻印されていることの奇跡に、
われわれは感動するのだ。
さて、マン・レイにしろ、フェイ・レイにしろ、
人間以上に人間らしい表情をのぞかせるが、
ことばで語られてしまうと
それはあまりにも寓話的なフィクションで終わってしまう。
ことばで語る側の人間たちに、
実のところことば以上のことばでもって、
切になげかけてくることばを発しているところがなんとも不思議だ。
ウェグマンがあえて、犬との共同作業にこだわりつづけるのは、
むしろ人間がうしないつつある情感の郷愁を
実に雄弁にかかえもっているのが
偶然にも彼等ワイマラナーであった、ということなのかもしれない。
いや、彼らは物事をちゃあんと理解しているに違いない。
要するにわれわれは騙されているのだ。

「ぼくらだって、哀しいときは哀しいし、
嬉しいときは嬉しいんですよ、だって犬なんだから」
なぁんて、口にだしてはいわないと思いますけどね。
なぜなら、「ぼくらは俳優ですから」と。

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