ルイーズ・ブルジョワをめぐって

Louise Bourgeois' MAMAN
Louise Bourgeois' MAMAN

母と娘、100年のロマンを紡ぐ鉄の蜘蛛をめぐるお話

「ママン」と名付けられた彫刻と聞いて、
あなたはどんなもの(オブジェ)を想像しますか?
大抵は、女の人そのものか、
あるいはフェミナンなものを感じさせる何か、
例えば、花とか、小鳥とか、
そのようなこぎれいで優しいイメージを
思い浮かべるのではないでしょうか?

実はママンと名付けられたのは
一匹の足の長い蜘蛛なのです。
日本では東京の六本木ヒルズで
目にすることができる鉄の彫刻です。
ちなみにママンは世界7カ所で見ることができる
巨大モニュメントなのです。

ルイーズ・ジョゼフィーヌ・ブルジョワという女性アーティストの作品で
元はフランス人で、タペストリーを修復する家庭に生まれ、
アメリカ人美術史家と結婚しニューヨークを拠点に
活動し世界的名声を得るのですが、
その織物職人だった母親こそは、ルイーズ創造の嚆矢であり、
子供の頃に培った思い出そのものが作品の源泉となっているのです。

タペストリー工場を営んでいたブルジョワ家にとって、
当時、所望されていたのは、家業を継ぐための男の子でありました。
ですが、その想いに逆らうように、長女に続き次女ルイーズが
この一家にとってどれほどの失望を与えたか。
出産時、医師の第一声が「マダム・ブルジョワ、残念です・・・」
という沈痛な声だったといいますから、
さぞや落胆があったのは想像に難くありません。
それでも、生まれた子供に罪はなく、
いや、それを愛でぬ親などありますまい、というのが人情というもの。

そんなブルジョワ家の主人、つまりブルジョワの父ルイは
この次女ルイーズに辛く当たることは日常茶飯事。
暴言のみならず、ときに暴力も辞さない横柄で尊大な暴君でありました。
いわば封建的父権の行使によって、家族は抑圧され
この多感な彼女を精神的に追い詰めます。
まさに呪われた運命を生きるしかなかったルイーズですが
反抗というよりは、いかにして父親を見返してやるか、
その思いは様々な素材で父親を形取っちゃ人形相手に
手足を切り落とすなどという復讐をしていたというから
相当なものだったと想像できます。
が、そんなルイーズを負のスパイラルに追い込まず呪縛を説いたのは
タペストリーのドローイングへ向かわせた母親ジョゼフィーヌ。
「誰にも代われない必要不可欠な存在になることよ」
そういって教え諭して、常に勇気付けてきた希望の存在だったのです。
その思いが彼女の才能を開花させてゆくのですが、
この蜘蛛の彫刻には、そんな母親への強い愛情が込められているのです。
だから、単に気味の悪いオブジェでも
わけのわからない立体物でもないのです。

そのような内容のことが絵本になっているのです。
ルイーズの伝記にカナダ人イザベル・アルスノーという人が絵を描き
エイミー・ノヴェスキーがテキストを書いたことで
グラフィックノベルとして子供から大人まで
アートに興味があるなしに関わらず
興味を惹く素敵な仕上がりになっています。
この『ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家』
という絵本を手にとって読みながら、
あの一見恐ろしくもある蜘蛛の彫刻について
思いを馳せていたのです。

ルイーズ・ブルジョワという彫刻家に関しては
今から十数年前に横浜で開催された美術展にも足を運んでいたので
彼女の存在や作品はすでに知っていましたが
そうした出どころまでを知らず、
そこからしばらく忘れかけていた存在が
絵本を通じて呼び覚まされ、
日本にも彼女の彫刻がパブリックでみられることを
遅まきながら知って驚いたのです。

クモは 巣をこわされても 怒らない。
もういちど 糸をはき なおすだけ

蜘蛛の巣と母親のタペストリーの修復を重ね合わせたルイーズの感性。
一見おどろおどろしい雰囲気があるけれど
決してそうではないのだと、
そこに母と娘の一代ロマンが隠されているのだと知って
はっとした思いでこの絵本を眺めていたのです。

そんなルイーズですが、
もうすぐ100歳という大台に手が届くか、というところまで生きて
現役で創作活動を続けていたようですが
2010年にすでに他界しています。
驚くべきは、彫刻家として認められたのがなんと72歳のとき。
MOMA展で開催した自身の回顧展で
初めてその所業が認知され光が当たった人なのです。
実に長い長い物語を抱えながら
ひたすら蜘蛛が糸を紡ぐように創作を続けてきた人。
それがルイーズ・ブルジョワという人なのです。

そんな大人の絵本を眺めた思いを抱えて
あの蜘蛛の彫刻を眺めたとき、
改めてどんな思いに変わるのか?
今度この目で確かめようと思います。

つなぎあわせ 修復することー
それは うしなわれたり 欠けたりした部分をなおすこと。
完全なかたちに もどすこと。

物事というのはいったん壊れたら
二度と元へは戻らないもの、自分はそう思って生きてきました。
けれども、蜘蛛の巣を壊された蜘蛛のように、
またゼロから黙々と作り直してゆくという考えもあるのだと
ルイーズに教えられたような気分で
ある意味それって夢というか、希望というか
そういうものにもたとえなおすことができるな
なんて思ってみたのです。

何かを失ったことを悲しみとはせず、
そうした思いを乗り越えて
新たに夢や希望を叶えるためにひたすら進んでゆく
そんな美しいポジティブなメッセージのようなものを
新たに感じる素敵な絵本なのです。
できるなら、お母さんがお子さんに読み聞かせてあげてほしい本であります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です