どこまでもまっすぐススム、そのジャイアントステップスを讃えよう。
テクノ・エレクトロニカ、ハウス、アシッドジャズ。
ミニマル、アンビエント、チルアウトetc。
そうしたジャンルをひっくるめたクラブミュージック。
名称、カテゴリー体系は別にどうでもいいが
身体が水分を求めるように求めてしまう自分がいる。
そうした音楽は自分のベースに根ざしており、
いつでも新鮮な体験を伴って
潤いある生活に優しく寄り添ってくれる。
いまや海外で高い評価を受ける日本人アーティストも増え
うれしかぎりなのだが、
自分にとって特別なアーティストといえば
筆頭は何と言っても細野晴臣である。
そのことは変わらない。
が、細野さんのことは最初にとりあげたので、ここでは触れない。
ここでとりあげたいアーティスト筆頭はヨコタ・ススムである。
残念ながら2015年に54の若さですでに他界している。
こじつけかもしれないが、それはどこか天上的な響きにも思えてくる。
天才、奇才、孤高の才人、冠の名称のほどはともかく、
2011年にはレイ・ハラカミを失い、
この十年で2人の注目すべきアーティストを若くして失ってしまったことになる。
この日本のクラブシーンの喪失感を埋めるには
まだまだ時間を要しそうだ。
そんななか自分のなかではヨコタ・ススムの存在は
日に日に大きくなっている気がしている。
自ずと聴く頻度も増えている。
ドイツのレーベルHarthouseより
1993年『Frankfurt Tokyo Connection』をリリースし
そこから始まる活動歴は圧巻だ。
何しろ23年にもわたるコンスタントな活動のなかで
40枚近くものリーダーアルバムを残し
それぞれにコンセプトをもちながら
まさにオリジナリティあふれる世界観を
ひたすら孤高のうちに発表し続けた
稀有なアーティストであり、
ここ日本よりむしろ海外の方が
圧倒的に評価が高いのもうなづける気がするほどだ。
実をいえば、そんなヨコタ・ススムの全貌を
最初から最後まで全て網羅しているわけではない。
あまりも多産な音源は、それぞれに圧倒的だ。
日々、これほどまでに濃密な世界にどっぷり浸かっていたのだから
命が削られたってしょうがないのかもしれないと思うほどだ。
そのうちの何枚かのサウンドに
強烈なインパクトを受けていることは間違いないわけで
残された音源を含め一枚一枚
日々気まぐれに愛聴し、いろんな発見を体験しているところである。
どちらかといえば個人的な嗜好は初期の方かもしれない。
ブライアン・イーノの再来と言わしめたヨコタ・ススムのサウンドストラクチャーは
機材の進化とは別に、感性重視のエレクトロニクスをひたすら極めてゆく。
とりわけ、『SYMBOL』には驚いた。
日本にもこんなサウンドの作り手がいたのかと。
クラシック、現代音楽とクラブエレクトロニカの融合は
言葉で書くほどヤワなものではないし
これほどまでに洗練されたミニマルミュージックを、日本で聞いたことがなかった。
要するに唯一無二なアーティストなのだ。
スティーブ・ライヒやメレディス・モンクの楽曲が
組み込まれた楽曲の完成度は高い。
まさに天才的な感性に国内外問わず、目利きたちは舌を巻いた。
その他アンビエント色の強いクラブミュージック、『SAKURA』
そこから『Acid Mt.Fuji』『The Boy and the Tree』など
初期〜中期にかけてのこの時期の作品が特に引っかかってくる。
もちろん、優劣などないし、音を分析できるわけでもない。
聴くごとに発見があるヨコタススムのサウンドに
この先も飽きることはないだろう。
ヨコタススムに注目してきたのは、
サウンドもさることながら、
そのジャケット・ワークスの素晴らしさである。
自らデザインを手がけていることからも
その関心とセンスのほどがうかがい知れる。
特に海外を意識したものでもないだろうが、
母国日本というタームへのしっかりした意識が
音のみならず、ジャケットにも見事に反映されている。
一度も生のサウンドを体験できなかったことが悔やまれるが、
そのなんとも惜しい不在感を噛み締めながら
そこはかとなく漂ってくる情緒風情に心を掴まれている。
膨大なアルバムの中から特選するのは骨が折れる。
サウンドは好みに分かれるだろうが、どれを聴いてもハズレはない。
その濃密で深淵なるエレクトロニカの波に夢のように身を任せよう。
音もさることながら、その素晴らしいジャケットワークを含めての
個人的なヨコタススムレコメンドコレクション。
とりあえず、ヨコタススムを聴こう。そこからしか始まらない永遠の世界5
SAKURA 1999
自身のレーベル、Skintoneからリリース。
イーノの再来、といわしめたアルバム。
だが中身の多様性は、ヨコタススム独自のものである。
ステーヴ・ライヒへのオマージュとしてのミニマルクラブミュージックが展開される。
おそらく、代表作ということになるのだろうか。
ただ、これはどうも、クラブの広い空間で浴びるような音に思えず
一人、部屋で電気を決して、聴いていたいそんな音のようにも思える内省性に誘われる。
Acid Mt.fuji 2002
べつに、海外受けを狙ったわけでもあるまいが、
北斎の「赤富士」をモティーフにしたジャケットが、なんともクールだ。
日本的か、といわれるとかならずしもそうではない。
少し、ダークで内省的なアンビエンスから、決して無機的ではない
トラウトテクノの影を帯びた有機的な電子音が空間にひろがっている。
初のヨコタススム名義の、記念すべきアルバムは、SUBLIME RECORDSからリリースされた。
The Boy and the Tree 2002
屋久島での滞在にインスピレーションを受けたというアルバム。
これまでのアンビエントに、無国籍なエキゾティカ風情が加わって、
そのミニマリズムに、さらに神秘性をました感が漂い始めている。
心地よさと不気味さの共存。
架空の原野がひろがりをみせる。
どこまでも深淵でありながら、新しい宇宙へと連なる音の曼荼羅が展開されてゆく。
Mother 2002
歌がエレクトロニカにとけこんで美しくも儚い蜃気楼のような世界をたちあげる。
ボサノバ、フォーク、ジャズ、といった、どのジャンルに当てはならない空気が
全編に宝石のように散りばめられているアルバム。
北欧のまばゆい光と影。
それは都市的であり、未来的でありながらも、どこかはかなさに満ちている。
デンマークのバンド、エフタークラングからカスパー・クラウセン、
アワー・ブロークン・ガーデンからアナ・ブロンステッド、
そしてロンドンからザ・チャップのクレア・ホープがフィーチャーされている。
女神たちが織りなす。天空の世界。
Symbol 2005
どれか一枚といわれると、これを挙げておく。
ベートーヴェンやチャイコフスキー、ドビッシーといったクラシックと
ライヒやモンクといった現代音楽、ミニマルミュージックの巨匠たちの音がサンプリングされ
組み合わされることでうまれる、優雅で高貴ささえも漂う耽美なロマン。
永遠のなかに埋もれながら、クラシカルな格調に横たわってみせる、
それは、エレクトロニカのループのなかで無限に再現され、夢見ながら、
甘美で贅沢な音楽となって空間を支配するのだ。
もはや、この世の現実が遠くなってゆく。
コメントを残す