玉石混交充実の秘境の旅、アウラな70’sグラフィティ(後編)

探偵物語 1979

だれもが通る凸凹たる十代。
それに伴う様々な青春が奏でられる時期。
僕らに時代は全てアナログチックなものに彩られていた。
個人的には、楽しいことより、
なんだか、辛い日々が多かったけれど、
人格形成には、とても大きな時期だったし、今の基礎がある。
自分のなかで、人生でもっとも変化した時期。いわば岐路が
おそらく、中学時代だったんじゃないかなと思う。
ちょうど七十年代後半からの、自我の目覚めにともなって
いろんな風景が広がりだしたのを、昨日のことのように覚えている。

教育熱心な親の元で育てられ、わざわざ電車にのって一時間半
中学から私立に通っていたから、
少なくとも、地元の同世代の連中なんかとは
全く交わる機会がなかったし、
学校でも、なじめず孤独な日々をおくっていたから、
どうしても、自ずとひとり、いろんなことを考えるようになっていった。

あくまで、偏狭で独断に満ちてはいたものの、
そこに、音楽があり、文学や映画、ファッションといった
心を癒すカルチャーの洗練が飛び込んできたのだから、
そりゃあ、自分でもびっくりするぐらい、
世界観が変わった時期だった。
それらはまるで、神の啓示のようであり、
自分には福音のように、心に届いたものだった。
そして、それがぼくの不透明な未来を唯一
照らしだしてくれていたような気がした。
そう、希望だったのだ。

風に刻まれた成長の記憶。70’sマイヒットチャート

ゴロワーズを吸ったことがあるかい :かまやつひろし 1975

ゴロワーズとは、ジタンとならぶフランスのたばこ銘柄だが、(昔吸ったことはあるが、少しきつかった)そんなことが曲名になっているのがこれ。1990年代に渋谷系といわれる界隈で再評価された「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は、まさにムッシュかまやつことかまやつひろしを、現代で再認識する際に、必ず通るべく名曲だと思う。
なんと言っても見逃せないのが、バックにアメリカンファンク、R&BバンドのTOWER OF POWER。スパイダース時代のことは、ほとんど知らないし、個人的には、声そのものがそんなに好きでないけれど、やっぱり偉大で、影響力のある人物だったのは間違いない。

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1975

当時、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「あんた、あのこのなんなのさ?」というフレーズだけが頭にこびりついている。「スモーキングブギ」などもそうだ。宇崎ー阿木コンビが、歌謡曲の裏方で、かなりの影響力をもっていたのは知っている。曲がどうのこうのというのは随分あとになってからの話だが、遅ればせながら、宇崎竜童というひとの歌を聴いていると、けっこういい曲があるのに気づいた。

Good Luck: 野口五郎 1978

微妙に、ひと世代上のアイドルとしてみていたのが野口五郎。当時、興味があったとはいいがたいが、いわゆる御三家のなかでは、子供心に、一番曲がいいなとは思っていた。今、この「Good Luck」を聴いていると、確かに、かっこいい。
歌謡曲というには、今注目のシティポップの流れにあるライトな曲調だといえる。当時の自分には、そんなことはまったくわかっていなかったが、あの坂本慎太郎もカバーしていたこともあって、今の方が受ける曲だと思う。

男と女のいる舗道:甲斐バンド 1976年

甲斐バンドの「男と女のいる舗道」は、ゴダールの映画のタイトルから付けられたものだ。そんなこともあって、甲斐バンドに歌にはどこか、ヌーヴェルバーグ的な感じがしたものだった。とはいえ、決して、どっぷりはまったこともないし、ずっと聴き続けてきたわけでもない。が、今改めて聴くとこの辺りはけっこう好きだ。とりわけ1974年にデビューした甲斐バンドの、七十年代においての充実ぶりには日本語ロックの可能性すら感じる。

祭りばやしが聞こえる:柳ジョージ 1978

R&Bの影響下にある柳ジョージの音楽ショーケンの出ていた『祭りばやしが聞こえる』というドラマは、残念ながら一度も見たことがないのだが、この曲はとても印象にある。柳ジョージは日本にはあまり馴染みのなかったR&Bスタイルを全面に押し出していた。だから、やわな歌謡曲とは一線を画した本物の響きを感じる。

タイム・トラベル原田真二 1978年

記憶では、原田真二はアイドル扱いだった気がするが、ジョン・レノンもみとめたという、そのソングライティングのセンスは今聴いても抜群だと思う。洋楽ピアノで弾きがたるスタイルは、実に新鮮だった。個人的に最も好きなのは、いかにもな松本隆の詞「時間旅行のツァーはいかが」と歌われる名曲「タイム・トラベル」。

海を抱きしめて:中村雅俊 1978

ぼくの記憶のなかでは、中村雅俊は歌手、というよりは俳優で、学園モノの先生のイメージがある。とりわけ、『ゆうひが丘の総理大臣』の印象が強い。このドラマが好きで見ていたけど、そのエンディングで湘南の海をバックに流れていたのがこの曲がとくに心に残っている。

ジングル・ジャングル :坪田直子 1977

石立鉄男主演で人気を誇った日テレのユニオンドラマシリーズ『気まぐれ天使」のヒロインとしてでていたのが東京キッドブラザースの坪田直子で、その彼女が歌ったこの曲がドラマの挿入歌になっていた。曲はルパンでおなじみの大野雄二。ちなみに、OPは小坂忠の曲が使われていたっけ。

大阪で生まれた女:BORO 1979

大学を卒業するまで、大阪で過ごした身としては、どこかでひきずってしまう浪花節のノリ。上田正樹の「悲しい色やね」と双璧の大阪ナンバーといえば、これだな。やっぱええ曲どすな。たくさんのカバーがあるけど、ショーケンの歌う曲もいいけど、やっぱし、オリジナルを尊重しておこうか。

Lonley Man:SHŌGUN 1979

当時、教室内では、いつも松田優作の代表作であるドラマ「探偵物語」の話題で持ちきりだった気がする。そのエンディングで流れていたのが、芳野藤丸率いるショーグンのこのナンバーだ。いまだにSHŌGUNの音楽的ポジションをうまく定義できないのだが、OPの「BAD CITY」と共に、今なお記憶から離れず、永遠に語り継がれているのは、このドラマの影響だと思う。

七十年代に聴いていた音楽をおおざっぱに振り返るに、
とりわけ今でも聞き続けている音楽というのは
たいてい、ドラマがらみだったりするものが多いことに、改めて気づかされる。
いわゆるセットで記憶されているわけだ。

それは制作側の一貫したスタイルというか、
いいものをつくろう、あとに残るモノをつくろうという
そんな気概の人たちのたまものだった気がしている。

少なくとも、僕が知見してきたモノに関しては
そうした流れのなかに産み落とされた、ものばかりだ。
それが時代と共に希薄になって、
コマーシャル主義、インスタントで中身が薄っぺらいモノにかわって今日に至っている気がしている。
もちろん、それは僕個人の感想だが、
それを結論として、昔は良かった、などというつもりはない。
が、そうしたものをリアルタイムで、体感できたことは
幸福な出来事であったと思う。

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