ヒエロニムス・ボスに馳せて
いくら文明が進化しようが、 この世に人間不在の世界など考えられはしない。 無人島や惑星をいくら想起したところで何になるのか、 ボスの想像力の前に対抗できる知能は、 この先どんな先進的な技術を持ってしても、 太刀打ちできるものなど現れないだろう。 所詮、そんなものは無意味だからだ。
いくら文明が進化しようが、 この世に人間不在の世界など考えられはしない。 無人島や惑星をいくら想起したところで何になるのか、 ボスの想像力の前に対抗できる知能は、 この先どんな先進的な技術を持ってしても、 太刀打ちできるものなど現れないだろう。 所詮、そんなものは無意味だからだ。
魚や鳥、果物や植物を構成して 肖像画を描いてしまうその想像力に舌を巻かざるを得ないのだ。 なんと刺激的で、魅惑的な絵画なのだろう。 ダリを始め、エルンストやマグリット あるいはチェコのシュワンクマイエルなど、 そのエッセンスは当然のごとく、 20世紀の美術に多大な影響を与えており シュルレアリスムの父とさえ呼ばれるところだが そのグロテクスなアンチンボルドの寄せ絵には、 どこか静謐さと品性が絶えず宿っており 少なからず、その人となりを伝えているように思われる。
西風の神ゼフィロスは春風の息吹きで 貝殻の上にそびえ立つ女神像を海岸へと押し上げ、 時と時節を司る女神ホーラは、 衣装を持って、ビーナスを包み込まんとしている。 周りでは花が舞い、波が押し寄せている。 この静と動の緊張が、この一枚の絵画を 比類なき美に高めているのだということに 今更ながらに気づいたのである。
そこには何か奇抜なものがあるわけでもなく、 瓶やじょうご、水差し、壷といった器物を中心とした ナトゥーラモルタ(イタリア語で静物画という意味を持つ)を 平面に並べて描くというコンポジションが主で 目を惹く仕掛けのようなものはただの一枚もない。 なのに「20世紀最高の画家」と言われる由縁はなんだろう? そういう思いからどんどんとモランディの絵に魅せられていく。 確かになにかが心にひっかかってくる絵なのだ。
スペイン最高の画家のひとりと称される ムリーリョという画家をご存知だろうか? 絵が好きな人なら、美術史に明るい人なら そんな野暮なことを聞くなといわれてしまいそうだが その代表作「蚤をとる少年」を ここの流れでいきなり好きだといっても、 唐突だと思われるかもしれない。
僕は絵の可能性、一枚の絵の魅力に取り憑かれた人間というだけだ。 絵描きという存在の復権を願って、ここに美術史の中から なんの脈略もなく、心に留まった画家を拾い集め 個人的な思入れを書いてみよう。 あえて、絵というものに終始固執した画家たちについて取り上げてみよう。 僕にとってはそうした絵描きは憧れであり、同志であり、夢先案内人だ。
そんな折にも音楽はいつだってそばにある。 なきゃ困る。 音楽というものに支えられ、励まされ、そして癒されてきた。 ありがとうミュージック。 ミュージックありがとう。 そのスタンスはこれからも変わらない。
やれ師走だ、やれクリスマスだ、やれお正月だ ってな喧騒と人ごみにもまれながらも、 耳もとで鳴っている音楽に癒される。 この季節はタフじゃないとつとまりませんぞ。 音楽はどこまでも寒さ知らず。 いや、今こそ音で暖をとることを覚えよう。 そう、暖をとるためのセレクション。
ひとまず、 こたつやストーブの準備をしながら のんびり、ほっこりと 気分をあたためて、 きたるべき冬将軍の到来に備えるといたしましょう。
ホラー特集のトリを飾るのは、やはり、これしかない。 泣く子も黙る『エクソシスト』だ。 いわずもがない、ホラー映画の金字塔、である。 昨今、様々なホラーアプローチはあるが、 自分にとっては、最初に出会ったホラーであり、 この怖さは、いまだ記憶の袖を離さない。