森村泰昌 セルフポートレイト・ドヌーブとしての私3アート・デザイン・写真

森村泰昌『全女優』をめぐって

今、手元にある一冊の写真集を眺めている。 森村泰昌による『全女優』というタイトルの それこそ、究極の女装写真集である。 ドヌーブ、ヘップバーン、モンロー、ガルボ ・・・ そんじょそこらにいる佳人とは比べようのないオーラを放つ美の化身達。 大胆にそんな美のアイコン達になりすましてしまう氏の技は もはや芸術を超えた忍術の域である。 よって、当然趣味の世界という偏狭な枠組みのみで語るつもりはない。 また、芸術という高みにわざわざ同行する意思もない。 ここに、わざわざ美を見出すかどうかはさておき、 眺めていると不思議な高揚感が湧いてくる。 自分ができないことを、目の前のアーティストが一人、 可能な限りのアプローチで個々の女優に近づこうとする行為。 その行為は実に圧巻であり、神々しい。 審美を超えた、何物かであり 言葉より先に、網膜がひたすら圧倒される。 なんだろうか、このエネルギーは。

小早川家の秋 1961 小津安二郎 東宝映画・俳優

小津安二郎『小早川家の秋』をめぐって

定番のドンゴロスバックに、 白と赤のグラフィックなタイトルバックで始まる、 変わらぬ安定の小津調と思いきや この『小早川家の秋』はホーム松竹ではなく アウェイの東宝作品である。 東宝のプロデューサー藤本真澄ら、たっての希望により 招聘された客人映画として 通常の小津作品には見ることのない、 ちょっとだけ異質な空気感を孕んでいる。

アート・デザイン・写真

ブリューゲル『バベルの塔』をめぐって

あくまでイメージに過ぎなかった「バベルの塔」を しっかりこの眼で拝むことが出来たのは 実にファンタスティックな出来事だったと言える。 それにしても一枚の絵がこれほどまでに壮大なロマンを持ち得ることに 改めて感動を覚えずにはいられない。 とりわけこの東京芸大プロジェクトによる 300%の復元版の風格は凄まじいものだった。 (高さ340cm立体版「バベルの塔」もあるのだ!) ボイマンス美術館所有の原寸「ブリューゲル版」とでは 印象がまるで違うのだ。 ブリューゲル版は鑑賞用という前に、 板に描かれた油絵を何百年もの間後生大事に それこそ腫れ物に触るように、神経をとがらせて保管されてきた代物だろうし、 サイズもさほど大きくなく1mにも満たない、 いうなれば室内展示用のものだ。

映画・俳優

ダニエル・シュミット『トスカの接吻』をめぐって

ダニエル・シュミットのドキュメンタリー映画『トスカの接吻』について書いてみよう。 初めて見た時の感動は忘れないのだけれど、 年齢を重ねてみる感慨はまた違うものだ。 同時にいろんなものが見えてくる。 人間は歳をとっても本質的に変わらないものだっていう、そんな見本がここにある。 いいんだわ、老人たちの顔がね、素晴らしいの。

音楽

田舎者とは言わせないカントリーミュージックの魅力に触れてみよう

そうして、時代は流れた。時代のせいだろうか?カントリーミュージックが心に染みる年代になってきた。 もともと、フォークやルーツミュージックはカントリーの流れにあったわけで、カントリーに魅了されるのは時間の問題だったわけだ。こうして冷静に考えれば、アメリカンルーツミュージックにはいい音楽、つまりはお宝がいっぱい詰まっているのだ。今更ながらにそう思う。そんな中で、カントリーミュージックを再評価しようと思ったのである。素朴、純朴でありながらも、なぜか沁みてくるメロディ。その音に魅せられている今、ようやく音楽とは何なのかがわかり始めた気がする。そう、音楽はジャンルなんかどうでも良いのだ。カントリーもロックも、クラシックもジャズも、全てが魂を揺さぶる全ての音楽こそがここにあるのだ。

ろぐでなしVol2特集

ロピュマガジン【ろぐでなし】VOL2 秋コレクション

オータムコタム、山から小僧がやってきて・・・ 芸術の秋、食欲の秋。 深まる秋にちなんで、ロピュマガジンは とりあえず、第二弾「秋特集」を打ち出したいと考えまする。 私はこの秋という季節からが本番、 かき入れ時と申しまししょうか、収穫期と申しましょうか。 なんといいますか、いよいよ持って調子が出てまいります。