メリークリスマス。ミスターミュージック。
クリスマスという日に、聴くべき音楽が色々とあるってな事を考えるだけで 幸せな気分が舞い戻ってくるってのは本当だ。 本当は、コレだけ毎日音楽ってものを浴びているけど クリスマスのバリエーションってのはそんなに増えてはない気がする。 そんな昔から聞いてきたクリスマスの音楽を、 ここに書き出してみようかって思う。
クリスマスという日に、聴くべき音楽が色々とあるってな事を考えるだけで 幸せな気分が舞い戻ってくるってのは本当だ。 本当は、コレだけ毎日音楽ってものを浴びているけど クリスマスのバリエーションってのはそんなに増えてはない気がする。 そんな昔から聞いてきたクリスマスの音楽を、 ここに書き出してみようかって思う。
それこそ音楽なら豊富に浮かんできるが、 映画や文学となると、やれ恋人と、やれ家族と といった副次的快楽を共有するようなものを 得意げに差し出すような気の利いた感性は持ち合わせおらず、 ひたすら、己の琴線に触れてくる、 微妙なものを独断的、偏愛的に取り上げているに過ぎない。 しかし、あえて言葉を添えるなら、 これほど殺伐とした世の中で、 どこへ言っても他人の視線、他者との関係性を無視できない中で まずは、自分という個をしっかりとあらわにして 超然たる思いで、この年末を軽やかに乗り切りたい。
日本映画史をざっとみわたして見て、 もっとも著名、それでいて、 日本男児たる威厳と尊厳に重ねて チャーミングさをも持ち合わせた絵になる俳優、 となると、これはもう間髪なく、世界のミフネこと、 三船敏郎の名をあげるしかないだろう。 ミフネを語らずして、日本映画は語れまい。
ラストシーンは驚くほど能天気な執行猶予付きのカップルが 颯爽と自転車で楽しげに並走して終わる。 この無常観は、風呂場でいとしげに死体を清めた 室田日出男の哀しさとは真逆のものである。 快楽と無軌道は唐突なことで日常を揺るがすものだが、 といって、誰もがそこで立ち止まることはない。 川の流れのように続いてゆくのだ。 やるせない気だるさだけがそこにある。 そうした空気が全身にまといついて離れない。 ちょっとした衝撃を受けた。
その芹明香演じる十九ピチピチの若く蓮っ葉な娼婦が、 日夜たちんぼうをしながら、男を漁り渡り歩くわけだが、 ギラギラ夏の太陽が照りつける大阪のドヤ街の片隅で 「うちなぁ何か逆らいたいんや」 そう呟くオープニングシーンのふてぶてしくも、 たくましさと気だるさとともに、思わず視線に緊張が走る。 けれども一時間強のドラマを観終わった後には そんな彼女が実に愛おしくなってくるのだ。
市原悦子というと一連の「家政婦を見た」で つとに名前が通っているのだが、 長谷川和彦『青春の殺人者』で見せたあの狂気の母親像をはじめ、 独特の存在感をもつ女優として この映画を通してもっと評価されるべき姿を 純粋に突きつけられた気がしている。 同時に、そんな女優がこの映画を後に この世から去ってしまった現実に一抹の寂しさが募る。
確か、「傷天」のプロデューサーだった清水欣也は ショーケンにジェームス・ディーン像を重ね合わせてみていたけれど、 この『青春の殺人者』を見れば それはむしろ水谷豊の方だったのかもしれない そう思わせるものがここにはある。 現に、長谷川和彦はその『理由なき反抗』のジェームス・ディーンを 当時の水谷豊に託したかったのだ。 そういって『傷天』の乾亨が抜擢された青春の一頁なのである。
ちなみに今日のタイトル「弔いのあとにさすらいの日々を」は 実際の『傷だらけの天使』の最終回 「 祭りのあとにさすらいの日々を」をもじったものだ。 さすらいの旅に出たオサムは ついに永遠の流浪者になっちまったわけだ。
かくいう自分も高峰秀子、通称デコちゃんの大ファンである。 好きな女優さんは他にたくさんいるけれど、 やはり、ちょっと格が違うのだ。 もの凄い美人でもないが、凛とした気品がある。 そのくせ、銀幕を離れると、意外にも家庭的、庶民的。 そのギャップもまた素敵だ。 いうなれば、飾らない、至ってナチュラルな女性像。 もちろん、会ったこともなければ、なんの繋がりもない。 数々の映画と残されたエッセイなどからの請負、 イメージだけの妄想にすぎない。 いや、妄想なんかじゃなくて、実際そういう人らしい。 それはエッセイなんかを読めばよくわかる。
東京の実家に舞い戻った原節子を訪ねてくる上原謙と ふとしたきっかけで仲直りをし、 再び大阪へ帰阪する車中のシーンだ。 三千代は初之輔に書いた手紙を結局窓から破り捨てる。 その横で、夫はまた以前のような姿で疲れ惚けて眠っているが、 妻はその時すでに、覚悟を決めて、生活そのものを受け入れるだけである。 不本意ではあるが、それはそれで、女の幸せとは 所詮そんなものだという諦めの境地が、 この大女優のくたびれ顔に 一筋の光を照らすなんとも感慨深いシーンなのである。