SteppenWolf 1974 Fred haines文学・作家・本

フレッド・ヘインズ『荒野の狼』をめぐって

『荒野の狼』は現代文明に対する皮肉であり、 その洞察力はハリー・ハラーを通じてこの物語を支配し、 他の作品以上に、色濃く反映されているように思われる。 だが、フレッド・ヘインズのよるこの映画化は、 単に文学からの映画化というのでもなく、 また、精神的世界を映像化すると言ったものではなく 実験的でありながらも、どこかユーモアや諧謔精神のようなものをうまく取り込んで、 ヘッセの世界観をうまく抽出した映像化に成功している。

Sans toit ni loi 1985 Agnes Varda映画・俳優

アニエス・ヴァルダ『冬の旅』をめぐって

アニエス・ヴァルダの『冬の旅』 (原題は「屋根もなく、法もなく」で、 最初の邦題も、いつしか『さすらう女』へと変更されている。) そうした現実を決して美化することなく ひどく厳しい現実をさらけ出す。 旅とさすらいを同じ目線で語って良いものか? そうした矛盾が暴きだされはするが、その主張はあまりに無情である。 18歳の少女が、そのさすらいの果てに命尽きる映画である。 女路上生活者として生きた数日間、 出会うさまざまな人間を通し回想しながら 彼女の人間像に触れようとする。

Paris,Texas 1984映画・俳優

ヴィム・ヴェンダース『パリ、テキサス』をめぐって

それにしても、今は映画の重要なタームの一つにさえなってしまった 「ロードムービー」という言葉を、もっとも強く意識した映画が 思い返せば、この『パリ,テキサス』からだったような気がしている。 それはたんに地図上の、どこそこからどこそこへ といった空間移動のみならず、 魂の移動,彷徨という意味をふくんでいたのは間違いない。

田園に死す 1974 寺山修司映画・俳優

寺山修司『田園に死す』をめぐって

田園の真ん中で、 少年時代の自分と今の自分が向き合って将棋を指している。 なんともシュールな光景である。 寺山修司の自伝的映画『田園に死す』の ここからがいよいよクライマックスシーンである。 これほど現実離れした光景があるものだろうか? まさに夢か幻想としか言いようのない世界である。 ところが、なぜだかグッと迫りくるものがある。 なぜだろう?

Endless Poetry 2016 アレハンドロ・ホドロフスキー映画・俳優

ホドロフスキー『エンドレス・ポエトリー』をめぐって

詩というものが、 なにものにも支配されず、 いわゆる言葉の連なりや叙情からも解放され、 完全なる自由を勝ち取ると同時に 一人の人間の生き様の中に、 脈々として流れ、宿るものだということを 身を以て教えてくれたのがランボーだった。 彼は詩を捨てたのではなく、 砂漠の商人として、新たな詩を新たに生き始めたのだ。

Alain-Jouffroy 1928−2015アート・デザイン・写真

アラン・ジュフロワ『視覚の革命』をめぐって

フランスにアラン・ジュフロワという美術評論家がいた。 6年前の2015年にすでにこの世をさっている。 評論家、というよりは詩人といった方が正しいだろう。 ぼくにとっては、この出会いこそは一つの啓示のようなものだった。 まるで雷にうたれると同時に また、雨に濡れる官能を知ったときのような 不思議な歓びと驚きといった、 いくぶん大げさな感慨をもつ書物というものがあって、 まさにジュフロワの『視覚の革命』にはものすごく感銘を受けたのだった。