浅野忠信スタイル『FOCUS』の場合
浅野忠信という俳優が好きだ。 なぜ好きなのか、そんな直球の思いを 理論立ての説明で詳しく語れるほどの自信はない。 よって、大した含みもないままに ウダウダと思いを垂れ流すように書くしかないのだが 映画というものへの取り組み方が、少しばかり 既存の日本の俳優たちの中でも 共感できる部分が抜きんでているような気がしているのが 自分にとっての浅野忠信という俳優なのだ。
浅野忠信という俳優が好きだ。 なぜ好きなのか、そんな直球の思いを 理論立ての説明で詳しく語れるほどの自信はない。 よって、大した含みもないままに ウダウダと思いを垂れ流すように書くしかないのだが 映画というものへの取り組み方が、少しばかり 既存の日本の俳優たちの中でも 共感できる部分が抜きんでているような気がしているのが 自分にとっての浅野忠信という俳優なのだ。
画面における迫力、人間味。 悪というか、邪念というか 人間としての業の奥行きをこれほどまでに 凄みを持って滲ませる俳優進藤英太郎は素晴らしい。 山椒大夫はちょっと誇張の域を出ないが 守銭奴、あるいは吝嗇な人間、 はたまた助平爺や物分かりの悪い頑固おやじなど 完全なる悪、ではない小市≈民的な悪の権現として この人ほど似つかわしい役者を知らない。 それは名匠溝口作品で証明されている。
中島貞夫や深作欣二といった東映アクションものを リードしてきた大御所たちの作品で その存在感を遺憾無く示し「恒さん」として 常に現場で上からも下からも一目置かれていたというこの俳優が そこまでに至った過程を 事細かく調べたわけでも見てきたわけでもないが、 『鉄砲玉の美学』『狂った野獣』、 あるいは『暴走パニック大激走』での熱を帯びた演技を見せられれば 確実に、映画のバイアスを担って アクションの主導を握ってきたのもうなづけよう。
さて、これは実に壮絶な女の世界である。 しかも女囚とくる。 設定が多少前時代的なのはご愛嬌。 実に血なまぐさい女臭が半端なく漂うが、 可憐だの可愛いだのそんな甘っちょろい少女趣味は微塵もない。 あくまでも男顔負けのどす黒い情念と権力志向で爛々としている。 それにしても、まるで漫画のような世界である。 ありえないような世界の連続である。 B級にもほどがある。 だが、これが映画なのだ。
座頭市といえば勝新、勝新といえば市。 言わずもがな、専売特許と申しましょうか。 このイメージは勝新亡き後、 いくら月日を経ようとも変わることなどないでしょう。 作家子母沢寛の書いた盲目の剣豪についてのごく短い話から、 このもっとも知られた盲目の侠客キャラクターが ここまで自由にキャラクター化され、一人歩きして 出来上がった26話にわたるシリーズ、 その上、テレビ版は100本を数え、 もはや、市は勝新のもう一つのペルソナとして マニアならずとも、その闇をさすらう旅人として 記憶を一人でに行き来する永遠のアウトローであります。
この勝新&田村高廣の天下の名コンビ、 大宮貴三郎と有田上等兵が繰り広げる 戦地でのドタバタコメディーは実に痛快極まりない活劇天国。 なんだか胸がすっとするだけでなく、大いに笑えますし、 ハラハラドキドキ、興奮いたしやした。 いやあ、至福の戦争映画、というと誤解されるところだが、 そういう縛りを抜きで見るべき映画なんだと思います。
大映が誇る、大ヒットプログラムピクチャーの決定版、 勝新三部作のひとつ『悪名』シリーズ全15作を この数ヶ月かけて見直ししていたのであるが、 原作/今東光の河内ど根性節を、 ちゃきちゃきの江戸っ子・勝新が我が物顔で演じきっても、 いっこうに不自然さがない。 ややもすれば非関西圏の俳優による関西弁の違和感が耳につくのが相場だが、 このカツシンな朝吉においては、 みじんも感じさせないのは、役者馬鹿を通りこえて、 やはり天才と言わしめる所以といったところ。
少なくとも、好きになった映画の、 そのたまらない空間の中に俳優に恋をする、まさにそんな感覚に過ぎない。 言うなれば、その映画が傑作であれ、駄作であれ、 俳優だけで観れてしまう映画というものもまままある。 その俳優が写っているだけで、何かを話したり、何か気になる仕草をしたりすることで 我々観客の心を奪ってしまうほどの存在。 ここでは、そうした比較に基づいて書き始めようなどという大それた考えは一切ない。 ただその映画が好きだという理由を あえて俳優目線に落とし込んで考えてみたい、それだけのことなのだ。
ホラー特集のトリを飾るのは、やはり、これしかない。 泣く子も黙る『エクソシスト』だ。 いわずもがない、ホラー映画の金字塔、である。 昨今、様々なホラーアプローチはあるが、 自分にとっては、最初に出会ったホラーであり、 この怖さは、いまだ記憶の袖を離さない。
いうまでもないことだが、スティーブン・キングは実に偉大な作家だ。 モダンホラーというジャンルにおいての地位を確立し、 その原作を元にした映画化があとを絶たないことからも、 映画界においても貢献度というものは実に計り知れないものがあり、 また、一定の水準以上のクオリティを誇っている作品が多いのも、 そのことを証明している一端だといえるのかもしれない。 もっとも、自分は原作の熱心な読者でもなく、 あくまでも映画化されたごく一部のスティーブン・キング作品のファン、 というだけのことであるが、 そのまさに第一歩が全てデ・パルマによる『キャリー』に始まっており 記念すべき、この第一章について、語らぬわけにはいかない