映画・俳優

La Vie de bohème 1992 Aki Kaurismäki映画・俳優

マッティ・ペロンパースタイル『ラヴィ・ドゥ・ボエーム』の場合

この映画におけるマッティ・ペロンパーの哀愁こそは カウリスマキ自身のそれと重なるはずだから・・・。 たとえ貧しかろうが、境遇が酷かろうが、 恋人に振り回されようが、決して自暴自棄にならず、 じっと耐え忍びながらも、己れを信じること、 それが唯一の希望なのだ。 ルネ・クレールやジャック・ベッケル 、 それにジャン・ルノワールといった良き時代、 当時の古きフランス映画を意識した銀幕の画面作りに マッティの残像が静かに余韻を残す、しみじみとした良質の映画である。

天使の入江 1963  ジャック・ドゥミ映画・俳優

ジャンヌ・モロースタイル『天使の入江』の場合

日本では長らく未公開作品だった ジャック・ドゥミによる『天使の入江』を観た。 噂に違わず幻の傑作である。 オープニングやタイトルからは、どんな話なのか想像がつきにくい。 地中海に面する「天使の入江」と名付けられた海岸通り沿い、 ニースの通称「英国人の散歩道」を優雅に歩いているのは ブロンドヘアーのジャンヌ・モロー。 アイリスインし正面から捉え、 そこからドゥミ&ヴァルダ夫妻の作品で馴染みの ジャン・ラビエによる一気の高速移動撮影に ミシェル・ルグランのドラマチックなピアノ曲がかぶさってくる。 うーん、実に素敵なオープニングだ。

『ラッキー』2017 ジョン・キャロル・リンチ映画・俳優

ハリー・ディーン・スタントンスタイル『ラッキー』の場合

ジョン・キャロル・リンチ監督の初監督作品『ラッキー』は まさに掘り出し物だった。 劇場で観終わった後に、久々に純粋な映画体験として 幸福な気持ちに包まれた映画だった。 監督のデヴュー作が主役ハリー・ディーン・スタントンの遺作とが 重なってしまったという運命的なオマケがついているわけだが、 そんなことより、隣の誰彼構わず、良い映画だから観てみてよ、 と思わず吹聴せずにはいられない愛すべき映画だ。

第七の封印 1957 イングマール・ベルイマン映画・俳優

マックス・フォン・シドースタイル『第七の封印』の場合

死神に一度憑かれてしまえば抗う方法などないのだ。 けれども、少々の延命なら交渉次第。 そこが物語として面白いところだ。 そんな話がベルイマンの『第七の封印』である。 中世は北欧、海岸に佇む死神、 そして十字軍遠征から戻ってきた騎士アントニウスと従者ヨンス。 待ち受けていたのは黒死病、いわばペストが蔓延する現実社会と それを傍に見つめる死がある。

『グロリア』 1980 ジョン・カサベテス映画・俳優

ジーナ・ローランズスタイル『グロリア』の場合

カサヴェテスの『グロリア』っちゅうんを ひさびさに観直してみたろ、ちゅうことでね。 うむ、やぱりジーナ・ローランズいうんはかっちょええ女やなあ。 これぞ、姐御のなかの姐御、 毅然とワルに立ち向かうアメリカ版ゴッド姐ちゃんやん。 ま、元がワルの姐御なんですけど、 あるとき、親友の夫がマフィアの情報垂れ流したとかで、 一家丸ごと惨殺されるきっつい運命で、 この子をどうかよろしく、ってなふりで、 ちいこい坊やフィルくんを抱え込むことになりよるねん。

Falstaff 1966 Orson Welles映画・俳優

オーソン・ウェルズスタイル『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』の場合

酒に女に耽溺する太っちょの不世出の大ボラ吹き。 狡猾かつ豪快な男、 それまで散々放蕩の限りを尽くしてきた 老いたる騎士を自ら演じている。 まさに、シェイクスピア劇の名物脇役は この人しかいないという感じの、はまり役である。 しかも愛嬌たっぷり、実に可愛いのだ。

ELLE ポール・バーホーベン2016映画・俳優

イザベル・ユペールスタイル『エル』の場合

それにしても、奔放すぎる、 ちょっと変という声も理解できないわけではない。 ミシェルのような女性の行動を理解するのは簡単ではない。 また仮にこうした女性がいたとしても、 日常を生きてゆくのは別の意味で 大変なことなんじゃないかと思わせるほど、 常識からかけ離れてはいる。 まさに最強の鉄の女像がここにある。

映画・俳優

ジュリエッタ・マシーナスタイル『カビリアの夜』の場合

バカな子ほど可愛いと言うが、 それは女にも当てはまる。そんな話をしよう。 所持金欲しさに、のっけから恋人だと思い込んでいた男に裏切られ、 いきなり川に突き落とされる散々なカビリアが 子供達に助けてもらった恩すらも返さず、 とにかくどうして自分はこんなに不幸なのかとプンスカプン。 その人生を目一杯呪いながら、 親友や神や聖母にまで悪態をつく始末。 言うなれば哀れな女であり、 このイタイ女の物語がこのフェリーニの『カビリアの夜』の骨子である。

『十九歳の地図』1979 柳町光男文学・作家・本

中上健次『十九歳の地図』をめぐって

一方、それは柳町光男によって映画化されているが こちらのほうは原作のもつ青年のやるせなさ、 虚無感がうまく描かれているように思う。 主人公の本間雄二もいいけれど、 蟹江敬三が実にいい味をだしていた。 「かさぶたのマリア」が泣けてくる。 ダイレクトシネマのような手持ちカメラが、 中上文学のエッセンスをつかんでいると思う。 きれいに収まりきった澄まし顔の映像よりもすがすがしかった。