大島渚『絞死刑』をめぐって
大島渚の『絞死刑』はこんな風に始まる。 ほとんど誰もみたことのない風景が前の前にある。 (死刑をめぐる)問題作なのは言うまでもないが、 この先いったいどんな深刻なストーリー、 どんな恐ろしい結末が待ち構えているのか? 出だしからして緊張を強いられる映画である。 しかし、これは果たして死刑制度の是非をめぐる映画なのか? という疑問が次第にあらわになってくる。
大島渚の『絞死刑』はこんな風に始まる。 ほとんど誰もみたことのない風景が前の前にある。 (死刑をめぐる)問題作なのは言うまでもないが、 この先いったいどんな深刻なストーリー、 どんな恐ろしい結末が待ち構えているのか? 出だしからして緊張を強いられる映画である。 しかし、これは果たして死刑制度の是非をめぐる映画なのか? という疑問が次第にあらわになってくる。
天使の代償に蘇生は許されない かつて、アメリカとその均衡を二分化していた大国ソビエト連邦はいみじくも崩壊したが、いまだロシアは広大な領土を持ちえている。じつに不気味な国家である。 そのロシアの底力、とばかり、レンフィルム...
とにかくすごいパワフルな映画です。 そもそも、内容がぶっ壊れている映画、 壊れているが、その壊れ加減こそが石井聰亙の真骨頂である。
中島貞夫による和製ニューシネマ、 といった風情のなかで二人の逃避行は、加速する。 はじめは単に金の持ち逃げだったのが、 人を巻き込み殺人にまで発展する。 最後は、その渡瀬の上をゆく肝っ玉っぷりの 梶芽衣子節が炸裂するのだ。
ボクは今さっき、ずいぶん久しぶりに 『俺たちに明日はない』を見終わったばかりだけど 十分その乾きは癒されたもの。 ラストシーンの衝撃に至るまで、 フェイ・ダナウェイを愛おしいと何度思ったか。 できれば二人をもっともっと生かしてやりたい 逃がしてやりたいと思ってしまったよ。
透明さを通じて不透明さを知る。いまこそ風の言葉に優しい眼差しを 今年もまたあの忌まわしい瞬間がやってきてそして風のように過ぎ去っていった。今から10年前、3月11日午後14時46分の記憶。この覚えのない痛みを、どこからと...
こうしてメリエスから始まり、ラモリスが昇華させたこうした感性が あのトリュフォーの処女作『大人はわかってくれない』にも受け継がれていったのだろう。 子供騙しの商業ファンタジーに対する答えがここにある。 ポエジーの奇跡がもたらした映画に改めて乾杯! そしてViva Lamorisse!
こういう親子ドラマというのが、実は好きだったりする。 お祖父ちゃん役のチャンバラトリオ、南方英二もいい味を出している。 昭和であれば、こういうドラマがいくつもあったし それをテレビを通じてふんだんに見て育ってきたのである。 最近じゃなかなかみられなくなっているというのもあるが、 これはこれで、しっかり笑いとペーソスが噛み合った情的ドラマである。 はっきりいってB級もB級ではあるが、そこは単なるB級には終わらない、 らも節というものが、随所に流れているのだ。
ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌは この主演によって女性解放運動の旗手として、 多くの女性からの共感を呼び、映画自体もヒットを記録。 まさに女性解放が叫ばれる映画にふさわしい、 時代の夜明けを象徴していると言っていいだろう。
沈んでゆく太陽が放つ緑の光線が幸運をもたらすという ジュール・ヴェルヌの話をもとに 揺れ動く一人の若い女の子の心理に被せて 構成されている『緑の光線』は男性が見る以上に、 女性が見る方がより理解できうる話なのではないだろうか?