勝新太郎『新座頭市物語 折れた杖』をめぐって

折れた杖 1972 勝新太郎
折れた杖 1972 勝新太郎

杖は折れてもただ転ばぬ男の、やり放題は芸の道

世の中、好き放題、やりたい放題。
そうした贅沢三昧をつくしたものの行末は
たいがい相場がきまっている。
天国を夢見た分、地獄行きは免れ得ない。
これ即ち、バランスの法則とでも申しましょうか。
勝新自ら、独立制作プロダクション設立の波に乗じて
立ち上げた勝プロの映画作りは
ズバリ、その法則に当てはまるような気がしている。
その演出や企画は、どれも斬新で
話題作りにはこと困らなかったが
80年代に入ったあたりを境に、経営は泥沼化してゆく。
そうした好き放題は元を正せば
サービス精神、芸道へののめり込みが要因の、
いわば因果応報のならい。
よって、勝プロ倒産は既定路線だったのかもしれない。
ただ、事実上地獄を見たのは、後ろ盾の妻玉緒の方であって、
表立った、世界のカツシンには馬の耳に念佛と言うわけだ。

この型破りな男、勝新がなくなってすでに20年を超える。
この六月の二十一日が命日だが、この人はいいもわるいも絵になる人で、
その印象は死んでなお、伝説のように一人歩きしている。
なにかにつけワンマンですべてを自分でしきりたがる人だったが
それはすべて芸に対する強いこだわり、思い入れからきており、
その意味では、〇〇と天才は紙一重、というのを地で行く人だった。

そんな勝プロを立ち上げた、野心満々の出向いきなりの『顔役』からして、
素人には理解しかねるアヴァンギャルド路線によって、
はやくも、先の不安を予言していたものだ。
続く第二段『新座頭市物語 折れた杖』は恒例のドル箱路線、
「座頭市シリーズ」に割って入る、
いわば勝新スタイル満載で、これまた斬新といえば斬新、
芸術至上主義の余興といやあ余興の出来映えで、
それまでの分かりやすいチャンバラエンターテイメントとは
一線を画した盲目の剣客座頭市を
その独自の美学でで色を塗り替えてしまった。
いわゆるシリーズきっての問題作というわけである。

なにしろ、役者勝新はただ単に
そのキャラクターを演じていればご機嫌だが、
監督ともなれば、全体を見渡すだけの客観性、
そして構成力などが要求されるのは映画制作の本質である。
ましてやプロデューサーとしての計画性、
その算段がなければ、製作も続くわけもあるまい。
いうなればまったくの別物だ。
野球を始め、スポーツでも
プレイングマネージャーの難しさは
よくいわれるところだが、
映画において、この構造は
すこぶる致命的欠陥をさらけ出しかねない諸刃の剣。
多くの関係者はそのことを見抜いていた。

要は、映像に並々ならぬこだわりをもつがゆえに、
物語や内容が少々ぶれてしまうという悪癖が
最終的に顔をもたげてしまうのだ。
そのあたりのことは、関係者は皆承知の上で、
天皇勝新へは逆らえないのである。
スタッフ泣かせの問題児であった。

しかし、その点は、今、時を経てみると不思議にも、
これはこれで、勝新ならではの、という括弧付きであるにせよ、
斬新なスタイルとして、むしろ再評価の道すら開けてみえるものがあるから、
やはり、映画の申し子勝新に偽りはなかったともいえる。
今だから、冷静にそれこそが魅力だと言えるだろう。
このあたりの論争は、へたすれば
贔屓の引き倒しになってしまうのであえて深入りはしないが、
やはり、職人気質で固められた大映でのシリーズとは
異質の座頭市像が立ち現れている。

話としては、旅の途中で出会った老婆を
川底に落としてしまう結果となり、
自分の不注意で死なせてしまったという思いから
その血縁を求め向かった宿場町で、」「
大地喜和子扮する身体を売る女錦木という女郎を
わざわざ足抜きさせて、更正まではからせる、
といった按配の話である。
そうしたストーリーに、これでもか、といった具合に
勝新のこだわり美学が炸裂し、盛り込まれることで、
なにがなんだかかわからないスジへと
成り下がってしまっているのである。
要するに感性先行型、アイデア詰め込みスタイルと言うやつである。

とはいえ、ひとつひとつの映像をとってみても、
挿入されるエピソードをとっても
確かに面白いのものばかりだ。
あいかわらずの定番、ツボを外した目に
賭けさせて最後はそれをあっ、これは失敬とばかり
袖からサイコロを出して、掛け金をごっそり巻き上げる、
といった賭場でのいかさまシーン。
少女と少年のエピソードや頭の弱い少年の強制自慰シーン。
シリーズにはほぼ見られない、勝新と錦木との濡れ場。
それぞれが、ものがたりを遠回りさせてまで
挿入されるべきものではないのだが
そこは勝新のひらめきに、常識は通用しない。
天才勝新の名の下に繰り出されるそうした思いつきは、
他の職人監督の元ではむしろ御法度のように避けらるものばかりだ。
吊り橋から落下する老婆の映像コラージュ。
これが何度もくりかえされる。
それがこのストーリーの導線だとするのなら、
やや安直な正義感なのだが
そもそもが、命を張ってまで、
女郎を足抜きさせる動機には薄すぎる因果関係と言うわけである。

そんな中で、座頭市を究極の振り子で貶める悪役は
あのコロンボこそ、小池朝雄扮する鍵屋万五郎である。
小池と勝新とはいみじくも同期であり、絡みが多い。
実際、二人の共演はなん度も繰り返された。
二人の関係性やエピソードまではよくわからないが、
少なくとも、その絆は思いの外深いものだと推測される。
TVシリーズ『警視K』では大学時代からの親友
と言う設定の警視正役があてがわれていた。
まさに味わい深い俳優、そして欠かせぬ悪役どころである。

かくして、勝新の贅の極みが尽くされた『新座頭市物語 折れた杖』は
傑作、かどうかは別にして、
マニアにはたまらない作風となって語りつがれている。
こんな作り手も現れないだろうし、またそれを許す配給会社もないこの時勢、
実に、貴重で、実に勝新らしい一本として、
ファンならずとも、ひとりでも多くの映画ファンに知って欲しい作品である。

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