成瀬巳喜男『女が階段を上る時』をめぐって

女が階段を上る時 1960 成瀬巳喜男
女が階段を上る時 1960 成瀬巳喜男

上がるべきか、降りるべきか、銀座を巡る階段話

遠い昔のことだ。
とくに自慢することでもないが、
花の銀座に堂々店を構えるカフェバーで
少しの期間、働いていたことがある。
もっとも、いうほど素敵な店でもなかったし
もちろん、やりたかった仕事でもなく、
生活のため、カネのためだけに紛れ込んだ。
バーテンダーだの、ホール係だの、調理補助だの
言われたままの仕事に忙殺されていただけの記憶しかない。
でも不思議に楽しかったような気がする。
ただそこは銀座という街の看板を背負っていただけのことはあった。
その場に出入りする人種とすれ違うだけで
華やかな空気の片鱗に触れた思いがどこかで残っているからか、
言葉は悪いが“腐っても銀座”というわけだった。

そんな銀座が舞台の映画がある。
成瀬巳喜男の『女が階段を上る時』を久々にDVDで観た。
画面越しに漂う秋の気配が寂しさを誘う。
しかしこのムード、なんど見ても素晴らしいのだ。
総合的に見て、この監督はあらゆる面で
バランスの取れた映画を撮れる監督だと思う。
サイレント時代から活躍する成瀬に、
駄作というものがまず浮かばないほどに
まさに匠の域にあった監督、演出家であると思う。
長い年月をかけてもいいから
成瀬作品を一本一本丁寧に語って行きたいものだ。

昔、同じく銀座にあった映画館並木座で
初めてこの匠の技を堪能させられて以来、
DVDBOXを購入してまでも、なんども観返していたのだが
それでも年月とともに細部が色々飛んでしまっている。
やれやれ困ったものだが、その分見返す楽しみがある。
それに今だからわかることもある。
当時はただ闇雲にみていたんだな。

夜の街銀座のやとわれマダム圭子を演じる高峰秀子が今みても素敵だ。
ナレーションに私的思い入れが募る。
着物の柄まで、当人が選んだのだという。
円熟期、かなり気合が乗っているように思える。
というか、やっぱり上手い女優さんなんだなあ。
いるだけで画が立派に見える。
これこそは大人の映画だ。

脇を固める俳優たちもいい。
成瀬カラーを彩るには無くてはならない存在ばかりだ。
森雅之、加東大介、中北千枝子、仲代達矢、団玲子、中村鴈治郎、小沢栄太郎等、
華やかな世界の光と影を巧みにドラマとして仕立てる手腕は名人の域だが
そうした職人たちやスタッフがいなくてはなし得ない世界である。

階段を上がる、とはつまりバーのマダムとして
仕事に赴くということである。
「この街で働く女たちは、皆生きることに必死だった」
そうモノローグで語られるように
歯を食いしばって必死に生きる女たちの舞台である。
けれどもその風態はおおよそクールだ。

階段を上がるマダムの足のショットとリズムが
この映画そのもののリズムになっており、
ためらいがちに、苦みをかみしめるかのように
一歩ずつ上ってゆく足のショット。
母親がシケモクを吸おうとして
その娘にたしなめらタバコを差しだされるシーン。
あるいは結婚詐欺常習犯の男に騙され、
その妻に事の真実を告げられるときの高峰秀子の表情。
森雅之との情交のシーンで床に転がるコップのショット、
この映画には素晴らしいショットが
さりげなくもいくつもちりばめられている。
その仕事場で、入り乱れる男の影。
それを振り払いつつも
女の弱さに崩れてゆく様を見事演じ切る高峰秀子は
やっぱり成瀬巳喜男のなんともいえぬ
“だるく強くいやあな感じ”を誰よりも醸し出せる女優だ。

成瀬〜高峰秀子ラインでの最高傑作は
『浮雲』だというのがもっぱらの定説で
それに関しては異論はないのだが、
この『女が階段を上る時』や『放浪記』だって
今見ても捨てがたい魅力がみなぎっている。
あるいはあの気の強いお島のあらくれぶりが忘れられない
徳田秋声の『あらくれ』なんかも捨てがたい魅力があるし
あるいは『稲妻』なんかも悪くはない。
あっちの方がいいと思うことさえもある。
いずれにせよ、成瀬巳喜男にはこの高峰秀子という具現者がいなければ
きっと、単に“やるせなきお”になっていたのかもしれない。
それぐらいに重要なヒロインである。

その上で、この映画における森雅之のグズグズ感、
仲代達矢の小生意気なニヒルっぷり
頑張って生きる女たちの周辺を巡って
男たちは絶えず甘い汁を吸おうと集まってくる。
女は人生に翻弄されながらもたくましく生きてゆく。
こうした一つ一つが積み重なって奇跡のように
上質で無駄のない日本映画の黄金時代を証明する作品に仕上がっている。

とりわけ、森雅之とのコンビは成瀬作品の栄光に
大いに貢献していると言っていい。
まさにいぶし銀のように渋く眩しい俳優である。
初めて見た二人の絡みがこの『女が階段を上る時』で
森雅之のあまりの煮え切らなさ、
男としてのダメさ加減に呆れて見ていたのだが
今思えば、そんな男の哀愁を
あそこまで自然に表現できる俳優としての懐に
今改めて感服してしまうのである。

Gradated Grey – YMO

YMOの後期傑作『テクノデリック』収録の大好きな一曲。
普通に考えれば、成瀬巳喜男にYMO、一見ミスマッチに思える組み合わせだが、そのタイトルからの連想に過ぎないのだとしても、歌詞を追っていて、ふと感じたことを半ば強引に書いてみよう。

NOW I’M BACK IN THE TUNNEL AGAIN
EVERY MINUTE,EVERY SECOND
I CAN FEEL IT GETTING CLOSER
あ、またトンネルだ
ほんのすこしづつだけど
近づいてきている気がする、少しずつ。

男と女の恋物語って、そういうことの境界線をめぐる攻防なのかも。
これもまた幻想か。

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