原一男『極私的エロス 恋歌1974』をめぐって
この世のもっとも神聖で、記念すべきドキュメントが 出産劇であることに誰も文句のないところだろう。 最初にして最後のこの一度限りの出来事がなければ そもそも生そのものはなく、よって死もへったくれもない。 だが、そんな重大なセレモニーを記憶しづけることは 男がもっとも介入できない困難な領域にある。 なぜなら、出産において、男は絶えず傍観者であり、 究極の他者であるからだ。
この世のもっとも神聖で、記念すべきドキュメントが 出産劇であることに誰も文句のないところだろう。 最初にして最後のこの一度限りの出来事がなければ そもそも生そのものはなく、よって死もへったくれもない。 だが、そんな重大なセレモニーを記憶しづけることは 男がもっとも介入できない困難な領域にある。 なぜなら、出産において、男は絶えず傍観者であり、 究極の他者であるからだ。
この映画は、この無邪気な精霊のように歩き回った老婆 小見山久美子さんに捧げられている。 この映画が完成したあと、あたかも使命を果たし終わったかのように 2015年に魂の故郷へと帰っていったのだという。 この映画を実際にみて、彼女の目には、どう映ったのだろうか? きっと案内しきれなかった場所をあれやこれやと思い浮かべて 次なる案内を楽しみにしていたのだろうか・・・ 本意ではない形で、切り離されてしまった我が息子への愛情の代価を この映画の中で、充足できたであろうか? 静かに寄せて返す波の音が、そんな彼女への鎮魂歌のようにも聞こえてくるのだった。
映画館の闇に座ってワープする異空間。 まるで17世紀スペイン黄金時代の絵画を彷彿とさせる佇まい。 網膜、鼓膜それぞれを刺激してくるザラザラとした質感。 画質、画面から伝わってくる何か。 物理的、あるいは精神的なノイズを感じる。 さりとてそれは美しく、詩的だ。 にしてもだ、久しぶりだ、この感覚。 この感性は只者じゃないのは直ぐにわかった。 ペドロ・コスタの問題作『ヴァンダの部屋』である。
アレハンドロ・ホドロフスキー。 いやはや、こんな男、ちょっといない。 彼の映画を見るたびにそう思ってきたのだが、 今回はとある未完成映画を巡る裏側とホドロフスキーという 人間そのものの魅力を暴き出してゆくドキュメンタリー映画の話をしよう。 これが実に興味深くて面白いのだ。
それにしても、なんてステキな映画だろう。 人生の素晴らしさが、 宝石のように至るところにちりばめられている。 ものすごくホンワカもするけど、 要所要所ヒネリも効いているし、かと言って、 全然こ難しい映画というわでもない。 それでもって全然大作然としていなくて 完璧過ぎるわけでもないから自然に入ってゆける。
映画というものに潜む虚構性への挑戦。 演技のドキュメント、映画作りのドキュメントといったテーマに立ち向かい、 結局のところ、映画とは何なのか? リアルとは何を意味するのか? 真実とは? 嘘とは? という本質的テーマに立ち返ることになるだけである。
臨死の守りかメメントモリか、賢者の凝視はかく語りき 何年か前のことだった。高齢の母親の入院の際、我が家族は、病院からのヒアリングとして、何かあった時に、延命治療を施すかいなかの誓約を求められ、しばらく考えたのだが、その際...
佐藤さんの映画というのは そうした映画作りの本質を鋭く暴き出していた。 『阿賀に生きる』という映画をみたときの衝撃は計り知れない。 それは決してアバンギャルドなものでもなく 何かしら、時代を意識させるような華々しいイコンに満ちているとか そうした娯楽性を重視したものではなく ただ、その地域に生きる人間の生の生活を丁寧に追い続けた 長年の記録が映し出されていたのである。
牛腸茂雄という、ちょっと変わった名前の写真家がいました。 「ごちょう」と読む珍しい名字ですね。 新潟に多いと聞きますが、当人は新潟県加茂市出身、 高校卒業後に上京し、桑沢デザイン研究所で、 あの武満徹なども在籍した実験工房のメンバーの一人だった 大辻清司に写真を学びます。 3歳から胸椎カリエスという奇病を患っていたがゆえに、 若くして他界されているのですが、 ありがたいことに、残された写真は 写真集『SELF & OTHERS』を通して 彼の人となりを朧げながらに見ることが出来ます。
それでも、これはビュル・オジエのデビュー作として、 その麗しきコケティシュな魅力に彩られた作品として 記憶されるべき映画である。 見ているうちに、その後のリヴェット作品の核にもつながる、 過剰なまでの演劇性、舞台志向の予兆が十分に垣間見れるのは貴重だ。 アイドル遊びに夢中になっている若き日のミューズの姿にひとまず乾杯しよう。 この馬鹿馬鹿しい虚像を演じつつも、 一足先のことを見据えているのが、したたかなアイドル達の眼差しなのだ。