映画・俳優

白い指の戯れ 1972 村川透映画・俳優

村川透『白い指の戯れ』をめぐって

こうしてみると『白い指の戯れ』での荒木一郎が、不思議と 『勝手にしやがれ』のジャン=ポール・ベルモンドや 『俺たちに明日はない』ウォーレン・ベイティあたりの ちょいワル感がかい間見えてくるのだ。 普通に、ちょっと背を伸ばせば届くような加減がいい。 それにハマってゆく伊佐山ひろ子との絡みもバッチリだ。

少女地獄 1977 日活 小沼勝文学・作家・本

小沼勝『少女地獄』をめぐって

“少女地獄”という響きが現代でも心を捉えるのか 度々アニメやドラマの題材になっていてびっくりするが 夢野久作〜小沼勝のラインに受けたような どうもそんな関心までは起きない。 やはり、随分と解釈の差を感じるのだ。 とはいうものの、今、夢野久作〜小沼勝を話題にしたところで 一体どの層がどんな風に食いつくのかなんて 全く想像ができないのだが。

赫い髪の女 1979 神代辰巳映画・俳優

神代辰巳『赫い髪の女』をめぐって 

これがあの神代辰巳の世界であり、 たまたま日活ロマンポルノというだけのことで、 仮にポルノという称号のみで遠ざけられているとしたら それはあまりに哀しい現実だ。 切なすぎるではないか。 映画という名の情熱。 男と女の情熱。 かつてそれら思いを互いに求めあった結晶の産物。 映画好きなら見て損はない、赫の他人の睦みあい。 うーん、豊かな時代があったものだ。

Sans Soreil 1983 Chris Maker映画・俳優

クリス・マルケル『サン・ソレイユ』をめぐって

アイスランドの三人の少女の映像から始まる冒頭。 それを「幸福の映像」と呼んでみるわけだが、 どうも他の映像にうまく馴染めそうもないと悟って、 マルケルはそこに黒い画面を挿入する。 そして、こう続ける。 「幸福がかいまみれなかったとしても、黒だけは見えるだろう」 この冒頭のカットをみて、僕は確信する、 少なくとも(表層にはびこる)嘘や欺瞞に出くわすことはないのだと。 まさに僕はこの詩的な感受性に胸踊らされてきたのである。

マルメロの陽光 1992 ヴィクトル・エリセアート・デザイン・写真

ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』をめぐって

10年に一度しか撮れないのか、撮らないのか? 『みつばちのささやき』から10年後に『エル・スール』。 そのまた計ったように10年をかけ、 エリセが満をじして温めていた構想が テーマがかぶるということで、企画を断念せざるを得なかったのは 呪われた作家ゆえなのか? 幸い、そんな思慮深い作家が 気持あたらに手を伸ばしたもう一人の神秘があった。 スペイン美術を代表する画家アントニオ・ロペスである。

彼女の名はサビーヌ 2007 サンドリーヌ・ボネール映画・俳優

サンドリーヌ・ボネール『彼女の名はサビーヌ』をめぐって

サンドリーヌが11人兄弟の7番目で、 しかも、精神を患う妹を抱えているという事実を、 この映画を機に、初めて知ることになるのだが、 やはり、この女優に、常々何か一本芯のある強さを感じてきたものとして その理由の一つに、なるほど、たどり着くことになる。 早熟にならざるを得なかった環境があり、 改めて思わずにいられないのだと。