クロード・ルルーシュ『男と女』について
男と女の恋模様、というと、そのタイトルからも この映画に触れぬわけにはいきませんね。 あの大人の恋愛映画の決定版、といえば クロード・ルルーシュの『男と女』について書かぬわけにはいきません。 ピエール・バルー&ニコラ・クロワジーユのあの歌 ダバダバダ、ダバダバダで有名なあれ。 改めて言うまでもない、あの映画のことです。
男と女の恋模様、というと、そのタイトルからも この映画に触れぬわけにはいきませんね。 あの大人の恋愛映画の決定版、といえば クロード・ルルーシュの『男と女』について書かぬわけにはいきません。 ピエール・バルー&ニコラ・クロワジーユのあの歌 ダバダバダ、ダバダバダで有名なあれ。 改めて言うまでもない、あの映画のことです。
よって、サーカス、そして祝祭的な人間讃歌がそこにあるのだとして フェリーニ映画を代表する作品、という認識は間違いではない。 人、状況、そして自らの創造性(芸術性)、 こうした映画作りの現実を前に、さんざん困惑し、もがき、苦悩し、 にっちもさっちもいかない袋小路な状況下にまでおいやられながら 結局は、ラストシーンで、出演者が手をつなぎ、 「人生は祭りだ、共に生きよう」と結ぶフェリーニ的映画の帰結の流れが 心の底からフェリーニ的映画人生のイメージに寄り添い、 われわれをいかにも陶酔へと誘い、 これみよがしに包み込んでくれる作品には、感動の言葉こそが似つかわしい。
ここでとりあげる映画『コーヒー&シガレッツ』などは最たるもので 文字通り、登場人物がタバコを吸ってコーヒー(紅茶)を飲みながら、 目の前にいる人物たちと、とりとめのない会話をするだけの映画だ。 退屈さと面白さ、その背中合わせの空気が 手短に11話収められたショートショートのオムニバス作品で、 しかも、十年かけて撮りだめられた作品集、というわけだ。
何も起きないから退屈ではない。 むしろ何も起きないからこそ、生まれる空気というものがある。 ぼくたちはそんな日常に生きている。 ジム・ジャームッシュの出世作『ストレンジャーザンパラダイス』はまさにそんな魅力に満ちている映画だ。
内観する存在物としてのボウイ デヴィッド・ボウイ。あの巨大な星が視界から消えてブラックスターとなりて、はや6年の歳月が流れている、この事実の前に、この頃なんとなく無頓着になりつつある。というのも、あのボウイが今仮に生きて...
すべてのECM音源が自在に拝聴できる素晴らしい時代に ふたたび、この特筆すべきサウンドカラーを 発信しつづける豊穣なライブラリーから 新たな発見をする前に、 自分なりに過去聴いて来たECMレーベルの 少ないコレクションのなかから 自分好みの音を今一度再認識しておく意味でのベスト コレクションをまずここに挙げておきたいと思う。
ブルーノートがモダンジャス、あるいは 良きアメリカ文化を体現しているとすれば マンフレッド・アイヒャーが設立したECMレーベルというのは 何ものにも似ない格式の高いヨーロピアンテーストであり 洗練された美意識に通じた音をを配信するイメージがある。 とりわけNEWシリーズなどはクラッシックや現代音楽を意識した ポストジャズのカラーを前面に押し出している。
ブルーノートというと、創始者であるアルフレッド・ライオンのことを 真っ先に取り上げるべきだろうが ここではカバーアート、ジャケットデザインのことに限っておく。 そうすると、なんといってもリード・マイルス そしてフランシス・ウルフのフォトグラフ、 この才能の素敵な邂逅が、音楽業界とグラフィック・デザイン業界に与えた影響力に自ずと触れることになる。 まさに文化遺産ものだ。 デザインに関わる人間なら おそらく影響を受けていない人はいないんじゃなかろうか?
ここでは、音からではなく、ビジュアルから入る音楽の楽しさを 考察しているわけだが、 やはりファーストインプレッション、第一印象にして 目を惹くというものは、人間の摂理上、 普通にあることではないだろうか?
自分はある時からモノとしてのコレクター生活を放棄してしまった。 モノからは隔ったとはいえ、今もその思いは消えてはいない。 所狭しと並ぶレコードは圧巻だ。 かつてはそもそもレコードショップしかなかったのだから。 そこで、一枚一枚手にとって眺める楽しさは忘れられない。