アンガス・マックベインをめぐって

ニセ廃墟のご隠居はアンガス峡でお茶目な写真を撮っていた

流れゆく雲、廃屋のようなセット、
水溜りに浮かんだ顔が風で震える。
白い馬。そして子供と老人。
「i(私)」と書かれた風船が空に舞う……
イメージの断章、それは記憶の中の一風景なのだろうか。
ミュージシャンのポートレイトでその名を知られ、
数々のミュージッククリップや映画をも手掛けている
オランダ人の写真家アントン・コービン、
そのプロデュースによるデヴィッド・シルヴィアンのシングル
「Red Guitar」(1984)でのモノクロームのクリップビデオに登場するのは、
英国の写真家、変わり種アンガス・マックベインという老人である。
当時その写真集をいたく気に入っていたというシルヴィアンと、
偶然こちらもかねてから
その名をリスぺクトしていたというコービンを迎えての、
アンガス自身のイメージビデオといってもいいかもしれない
ユニークな作品ができあがった。

Flora Robsonをモデルにした、そのタイトルに案じされるまでもなく、
シュルレアリスティックながらもユーモアや機智に富んだ
アンガスの写真「surrealised」1938をモティーフにして、
アート青年たる二十代のシルヴィアンが、
その背景に自ら肩をむき出しに納まっているのだ。
多分にナルシスティックでありながらも、
イマジネイティブかつ詩的インスピレーションの結晶には、
当時の、シルヴィアンのアート嗜好を端的に表わしているといえる。
どこかコクトーの「詩人の血」を連想せずにはいられない4分強。
そこに、なんともいえぬ慈愛にみちた眼差しの
老いたるご隠居アンガス自身が、
あたかも風景の一部のような自然さで顔を出している。

アンガスといえば、ビートルズ『please please me』の
ジャケット写真なども手掛けているが、
本来は、スタジオに突飛なセットをつくって、
トリックなどはもちいず、
それを背景にして俳優たちのポートレートをおさめる、
という風変わりなスタイルで一世風靡した写真家というのだから、
異色というか希有な人物である。
銀行員やセールスマンを経て、
いわば趣味がこうじた形で、
ロンドンの名物写真家へとのしあがったのだという。
廃虚のようなスタジオというのも、
戦争がもたらした副次的産物であるらしい。
シルヴィアンがある意味、実にイギリス人らしい音楽家であるように、
アンガスもまた実にイギリス人らしい写真家である。
そのひととなりがつたわってくる写真たち。
人並みはずれた頑固なこだわり、ウイットとユーモア。
独創性の根底には良き英国の伝統という下地が
横たわっているわけなのだ。

いみじくも、そのアンガスとシルヴィアンを結ぶ不思議な糸がある。
奇遇にも、この英国写真家を、
かつてだれよりも早くこの日本に紹介したのが、
一時美術評論家として活動していた瀧口修造という詩人であった。
ちょっと長いが、そのひととなりを伝える面白いエピソードなので、
瀧口によるマックベインの経歴について引用しよう。

アンガス・マックベインは1904年にイングランドの西部モンマスに生まれた。彼がはじめて今日のような俳優の写真に手を染めるようになったのは1936年、三十歳をすぎたころだが、それまでにウェールズの炭坑町の銀行員を四年、ロンドンの家具デパートのセールスマンを七年もつとめた。カメラは手札のレフレックスを持つほど、趣味としてはかなり深入りしていたらしいが、生来ボヘミアンなところがあった彼は、暇々に人形劇団の背景や衣装をデザインしているうちに、身が入りすぎて、とうとうセールスマンを廃業し、あの有名な顎ひげをはやしはじめたのである。そして装飾用の仮面をつくって生活の足しにしていたが、これはあまり売れなかったらしい。
当時彼は仮面と写真とを一緒にならべてささやかな展覧会をひらいたところ、彼の予期に反して、あまり自信のない写真のほうのが評判よく、それが機縁で有名な肖像写真家のヒュ-・セシルの助手を半年ばかり勤めることになった。このあいだに彼は技術もおぼえ、また大型カメラを買うだけの貯えもできた。そして地下室のスタジオを借りて、写真を撮るかたわら、好きな劇の小道具をつくりはじめたが、むしろこのほうが主な収入になった。芝居の小道具作りと写真、どちらが本職ともつかぬ、一見関係のなさそうな二つの商売が結びついて、彼の人生がひらけるとは夢にも思いつかなかったことだろう。

(出典:コレクション瀧口修造6 アンガス・マックベイン みすず書房 91年発行)

こうした伝説的な美術評論による炯眼ぶりが、
いまなお輝きを失わずにいるのだから、
この邂逅は必然といっていいのかもしれない。
その瀧口修造を、精神的な父親のような存在と
慕っていた音楽家といえば武満徹。
彼こそは、ジャンルを超え境界なきアートを探究する
デヴィッド・シルヴィアンという希有な音楽家の存在を、
はやくから認めていたわけだから、
実に不思議な因縁ではなかろうか。

父>子>孫、時代と国境を超えた魂の系譜は、
芸術の分野でもかように繰り返されていることが興味深いのだ。
シルヴィアン自身の言葉でいうなら、
「価値のあるものは他の価値あるものと
必ずどこかで繋がっているものだよ」ということなのだろうか。

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