『ゾフィー・トイバー・アルプとジャン・アルプ展』のあとに

ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ展
ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ展 アーティゾン美術館

ARPからARCへ。ゾフィーとジャン、共鳴の芸術

私は信じる。美しいものを創り出そうとする欲求は、それが真実で真摯なものである限り、完璧さを目指す努力と合致するものであると。

ゾフィー・トイバー=アルプ

ギリシャ語で「叡智」を意味する「ソフィア」の女性名がゾフィー。
ぼくはその響きを、確か、ウルトラマンでその名を知った覚えがある。
そう、ウルトラ兄弟の長男に、ゾフィーがいた。

また、ルドルフ・シュタイナーの人智学にもある、
すなわちアントロポゾフィーとは、
アントロポス(人間)とソフィア(神的叡智)からなる教義であり
シュタイナーの定義によれば
「人間における精神的なものを、宇宙における精神的なものに導こうとする一つの認識の道」のことである。

そして、美術界の叡智。
ゾフィー・トイバー=アルプの言葉は、絵画でも彫刻でも、建築装飾でも織物でも、
ゾフィーの手を通して、この世に現れた“かたち”の数々を思い起こさせる。
あの少し緊張感を孕んだ幾何学的構成、色彩の静けさ。
均衡とリズムがまるで呼吸のように織り込まれた作品の前に立つと、
彼女の言葉が、ひとつの呟きのように耳に響いてくる。
祈りに似た創作態度とでもいうべきか。
まるで、生活そのものを詩にしようとする意志のような波動がそこにはあった。

ぼくは今回の展覧会で、はじめて彼女に“出会った”。
そう、それはジャン・アルプにつきまとう影ではなく
ジャンと「ともにある」存在としての、ゾフィーだった。
芸術家にとってのミューズ。
芸術におけるパートナーシップ、そんな堅苦しい言葉はいらない。
まさに、ゾフィーはジャンのミューズだった。

こうした形は、シュルレアリスムやダダといった
一見尖った芸術運動のなかにも繰り広げられた。
いや、シュルレアリスムだからこそ、ダダだからこそ、
彼らは真の理解者が必要だったのかもしれない。

マン・レイにはリー・ミラーがおり、
エリュアールにはヌーシュがいた。
そのエリュアールの元からダリの元へと走ったのがガラで、
ハンス・ベルメールにはウニカ・チュルンが、
エルンストに至っては、ガラに始まり、レオノール・フィニをはじめ、
レオノーラ・カリントン、ドロテア・タニングとその遍歴を重ねた。
そして、ジャン・アルプにはゾフィーがいたのだ。

そんな相棒、ミューズをジャンはある時突然失う。
就寝中、ストーブの故障から一酸化炭素中毒でミューズを失ったショックから
その後、修道院にこもって沈黙を続けたほどだ。
その悲しみ、痛みがふたりの絆を確かさを物語る。

美術が好きな人間にとって、
このジャン・アルプの名を知らぬ者など、そうはいないだろう。
本名はハンスだが、フランス国籍を取得しジャンに改名。
よってドイツではハンス・アルプ、フランスではジャン・アルプで通っている。
詩人であり彫刻家、ダダの詩的な顔をもつ。
あの丸みをおびた、自然から湧き出るような有機的なかたちの
「偶然の法則」と「生成のリズム」をもって、
抽象芸術を詩の領域へと開いた人物である。

私たちは実をつける植物のように創造したいのである。再現するのではなく。代理を介してではなく、直接に創造したいのである。
ジャン・アルプ

これは、彼の芸術観の核心であり、
ゾフィーとジャンの芸術が響き合った理由そのものである。
ふたりは、“植物のように”創造することを目指した。
計画された模写ではなく、内奥から芽吹くようなかたちの誕生。
ゾフィーのマリオネットや織物は、その思想のもうひとつの体現に思えた。
けして頭でっかちな思考の元に生まれた語る“ゲイジュツ”ではない。

ただゾフィーは、ジャンとは異なる言語を話す。
ジャンが「詩のかたち」を生んだなら、
ゾフィーは「かたちの詩」を紡いでいた。
それゆえに、ふたりが同じ空間、同じ意識を共有していたからこそ生まれた
美しいハーモニーが響き合うのだ。
展覧会では、二人の作品が並ぶだけでなく、
空間全体が“詩と構成”の対話のようだと思った。
リズミカルに吊られた壁面のドローイング。
ゾフィーの刺繍と、ジャンの彫刻。
どちらが主でもなく、どちらが従でもない。

生活と創造の境界が、とても柔らかく心地よく混ざり合っていた。
たとえば、家具や装飾品。
たとえば、舞台のセットやマリオネット。
日常の中に潜む詩情を形にした線
詩情のなかに宿る構造で編まれた造形。
すべてが愛おしさに溢れていた。
ふたりの家は“作品”であり、同時に“詩篇”だったのだろう。
生活と芸術が分かたれる以前の、濁りなき状態。
彼らの営みは、まるで抽象と具体が出会う接点をさがしあてたようだった。

ゾフィーが生きたのは、まだ女性の名が芸術史の頁にすら載りづらかった時代だ。
彼女の織物、刺繍、木工、建築装飾は、長く“装飾芸術”と見なされ、
“高尚な美術”の欄外に置かれていた。
開かれたアートの世界であれ、まだ男尊女卑の偏見が色濃く滲む時代。
それでもミューズたちが、そばで偉大なる芸術家たちを支えた時代。
男と女のいるキャンバス、そして創造という名の家。

けれど今、われわれは知る。
その“欄外”こそが、芸術の根だったのだと。
ゾフィーの作品は、装飾ではなく、生活に宿る詩そのものだった。
そしてジャン=アルプのかたちは、世界を謳うもうひとつの声。
ふたりは、ちがう言語を話しながら、ひとつのメロディを奏でていたのを
今こうして瞳で聴いているのだ。

「私たちは植物のように創造したい」
そして「真摯な創造は、完璧さを目指す努力と合致する」
このふたつの言葉が交差する場所。
それが、この展覧会だった。
なんという自然の邂逅だろう。
なんという共鳴だろう。

そしてその交差点で、ぼくはふたりの作品のあいだに漂う“呼吸”に、
ただ耳を澄ませていたのだ。
静かに、確かに、形と形が会話をしていた。
まるで、ふたりがいまもここにいるかのように。
そうして、ぼくは、忘れかけていたゲイジュツの幸福的価値を思い出すかのように。

ゾフィーとジャン。
かたちと詩。
構成と生成。
女性と男性。
日常と夢。
触れあいと沈黙。

そのすべてがこの目の前で、芸術という庭を開放し、
時空を超え、言葉を超え、
「ともにあることの美しさ」として、たおやかに花が咲いていたのだ。
そこに、ダダやシュールレアリズムといった権威を
わざわざ持ち出すこともあるまい。

はじめに形ありき。
ゾフィーとジャン、共鳴の芸術、ARPからARCへ。
それで十分なのだ。

The Beatles – The Ballad Of John And Yoko

ジョンにとってのミューズオノヨーコ。なんといってもジョン&ヨーコの関係抜きに、音楽界でのミューズによる共鳴関係は語れない。「The Ballad of John and Yoko」は、1969年に発表されたビートルズのシングル曲で、文字通りジョン・レノンとオノ・ヨーコの私生活を描いたバラッドだ。その内容は一風変わっていて、愛と革命、メディア批判と宗教的アイロニーが入り混じる、痛烈かつユーモラスな“ロックンロール版・新約聖書”といった趣きがあり、歌詞の一部分がキリスト冒涜として問題視されて、放送禁止処置を受けたほどだ。曲自体はとくに、特筆すべきような曲でもないフォーキーなロックナンバーだと思うけど、ジョンとポールの二人だけで作られ(PVにはリンゴやジョージの顔もあるが)、ポールがドラムを叩くという珍しい楽曲という意味では、貴重なナンバーかもしれない。