『デ・キリコ展(Metaphysical Journey)』のあとに

オデュッセウスの帰還 1968 ジュルジュ・デ・キリコ
オデュッセウスの帰還 1968 ジュルジュ・デ・キリコ

デ・キリコ、迷宮の神話学

ジュルジュ・デ・キリコという画家の不思議な世界は
その奇妙な遠近感と、唐突なモティーフの登場などから、
いわゆる形而上学的絵画などと言われているが
シュルレアリストをはじめとした前衛画家たちの作風の中でも
とりわけ異質な情緒を掻き立てる画家だと、長年理解してきた。
伝統と革新が同居するという、なにやら、迷宮に足を踏み入れる怖さも手伝って
キリコの絵は、あのマグリットの明らかな挑発的絵画とは趣きがちがう、
みるものに、沈黙を余儀なくさせるだけの威風を堂々漂わせている。
それらは一目でキリコの絵だとわかるほどに
明確な個性に彩られ、威厳を放ってはいるにもかかわらず、
どの絵が好きか、どの絵に惹かれるか、
あるいは、いったいキリコの絵はなにを語っているのかと
面と向かって言われても、即答できない自分がいた。
他人から夢の話をいくら聞かされたとて、そこに共感できない壁があるように、
これといった一枚に身をよせることさえできず、
これまで曖昧な沈黙と感覚でやりすごしてきたのだ。

それでも脳裏にキリコの名が強烈に刻み込まれているのは
おそらく、シュルレアリストを熱狂させたその先見性であり、
時代を見抜く視線を、強く垣間見せられるからかもしれない。
いみじくも、キリコの絵に「形而上絵画」として
シュルレアリスムの薫陶を与えたのが、
シュルレアリスムという語彙の創始者である詩人アポリネールだったのも
単なる偶然ではない。
とはいえ、僕自身は、ダリやエルンスト、そしてマグリットのようには
これまでキリコを一度もシュルレアリストだとみてとったことがない。
その、ちょっと古めいていながらも、どこか新しさを兼ね備えた厳格なる世界は
いうなれば、せいぜい松本零士の「銀河鉄道999」的世界に
熱狂を嵩じる程度のファンタジーをもって、
大人になる過程に、少しばかりの知性を蓄えていくことで得られる、
新たな好奇心をかきたてられる感覚に似ているのかもしれない。
そんななかで、改めて、今回の大回顧展に臨むことになった。

鑑賞者の数に反比例する、静まりかえった広間に、
ひとたび足を踏み入れた瞬間、ぼくは確証した。
キリコは、やはりキリコでしかないのだと。
この唯一無二な世界。
そこは長年の思いが裏切られず、安堵で迎え入れられる瞬間であった。
だが、すぐに「現実」から引き剥がされてゆく。
名を持たぬ彫像、長い影、廃墟のような都市、そして顔のないマネキンたち。
ここは記憶のなかの都市か、それとも夢にしか現れない街なのか?
キリコの描く世界は、あらゆる論理や時間の流れから遊離した、
詩的でかつ形而上的な迷宮に相応しい。

この大回顧展では、キリコの初期から晩年までの軌跡を、
100点以上の作品で一望することができた。
まさに、わがキリコ像を刷新するに十分な刺激的な絵画が並んでいた。
ギリシャでの少年時代に始まり、ドイツでのニーチェに傾倒する哲学的思索、
そしてシュルレアリストたちの歓迎のもと、パリでの名声の日々。
各時代において、キリコが描き続けた自画像と肖像画には、
自我をめぐる探究の軌跡が刻まれていた。
顔を正面からとらえることを避け、あるいは仮面のように描いたその様式には、
どこか、ギリシャ彫刻のように、凛々しくも深い、
「自己とは何か」「自分は何をみるか」という問いが常に伴走しているのがわかる。

やがてキリコは、「形而上絵画(Pittura Metafisica)」を創出する。
廃墟の広場、アーケードといった無機質な建築物と長い影。
ブランクーシの彫刻を思わせるマネキン、奇妙な道具たち、
これらのモチーフは、意味を語るのではなく、ひたすら沈黙を漂わせる。
それは詩のように、解釈を強要せず、ただ「存在する」のだ。
シュルレアリストたちはこの様式に熱狂し、
法王アンドレ・ブルトンは、彼を「夢の王」と称え崇めた。
とはいえ、みずからもその称号にとどまることを潔しとはせず、
自らの過去作を否定し、やがて西洋古典絵画の伝統へと回帰していく。
伝統を破壊すると同時に、伝統に回帰するというその姿勢が
逆に、シュルレアリストから反感を買い、
グループからの排除の道を辿ることになる。

ルネサンス風の遠近法、バロック的な劇空間、神話の主題。
これらを取り入れた彼の中期作品には、技巧への野心と共に、
「永遠なる様式」への希求が顕著に表出することになるのだが、
それは近代美術の革新とは逆行する選択であったものの、
キリコにとって、芸術とは、もはや「時代の鏡」などではなく、
「時を超える建築物」としての必然だったのだろう。
キリコといえば「バラ色の塔のあるイタリア広場」や
「ヘクトルとアンドロマケ」「預言者」などのマネキン、
その代名詞たる形而上絵画が有名なわけだが、
この展覧会で、個人的にとりわけ印象深かったのは、
晩年の「新形而上絵画」と呼ばれる再制作群で
「オデュッセウスの帰還」や「燃えつきた太陽のある形而上的室内」など
実にポップで軽やかさだった。

前者は室内に突拍子もなく、海とボートを漕ぐ人間がフィーチャーされ、
後者では、まるでキースヘリングが描くグラフィカルなアイコンのように
描き込まれた太陽と月が漫画のようにコードで繋がっていたりする。
それらは、アンディ・ウォーホルの賞賛の声をまたずとも
ポップアートの先駆けと呼んでも差し支えないほどに
新たな絵画の地平線をのぞかせているのだ。
そこで、はじめて、ぼくはキリコから
新たなるポップアート的な洗礼を浴びたのだ。
かつての自作を模写しながらも、色彩はより鮮やかに、
構図は、より装飾的な造形へと変遷しているのがわかる。
自己模倣と批判されながらも、キリコはその行為を
「自己の神話化」として昇華していったのだと思う。
キリコは語る、「私は私の最もよい模写者である」のだと。
この言葉に表れているのは、「時間をさかのぼりながら自己を更新する」という
まさに逆説的な創造精神である。
キリコにとって絵画とは、完成されたひとつの作品ではなく、
「変奏されつづける存在の問い」だったのかもしれない。

展覧会を歩きながら、ぼくはひとつの確信に至る。
キリコの最大の貢献とは、芸術を「見るための窓」なんかではなく、
「迷うための扉」に変えたことではなかったか、と。
彼の作品は、我々を安易な道に導きはしないどころか、むしろ迷わせるのだ。
見る者に「いま、ここ」にある不確かさや不安を突きつけ、
記憶や夢、沈黙や時間の裂け目に引きずり込む。
キリコという人は、いうなれば、時空の蟻地獄なのだ。
彼はその巣に陥ったものたちを次々に捉え、謎かけをする。
そして、破れ去ったもの、理解がおぼつかないものたちを
ただ無尽蔵にその亡骸として積み上げる、そんな残酷さを見るのだ。

その意味で、キリコは20世紀美術の真の先駆者だというのは当たっている。
彼こそはシュルレアリスムの始まりを告げ、運動を熱狂させ
同時にそれを超えたがゆえの要注意人物だったはずだ。
古典と前衛の狭間で揺れながら、
「時間の哲学者」としての画家の在り方を示した人物として、
いまもはっきりその事実が美術史に刻印されていることからも
疑う余地はない。

とはいえ、結局のところ、静寂の画面に問いかけるように、
彼の絵はなにも語らないのだ。
だが確かに、そこには「見ることとは何か?」をめぐる
深い詩が流れていたのだと思う。
夢のなかの都市をあとにするように、ぼくは静かに会場をあとにした。
時間は動き出していたが、自分のなかの「見る」行為は、
まだ彫像のように沈黙から先へは一歩たりと進めない。
こうして、饒舌に言葉を綴れば綴るほどに、塩の柱にされてしまいそうだ。
あれほどまでにキリコの絵に「未来」を託していたつもりが、
ややもすれば、キリコの絵によって、いつのまにか
化石にでもされてしまったのかもしれない、
そんな感覚を抱くだけなのだ。

Bill Nelson – Metaphysical Jerks 

元ジャパンのミック・カーンが参加したビル・ネルソンの1983年のアルバム『Chimera』には収録されなかった「Metaphysical Jerks」という曲がある。ここでは、おそらく最初で最後の幸宏との貴重なセッションが収められている。あの頃は、ビル、幸宏、ジャパンのメンバーは、80年代それぞれ交流が盛んで、この曲はサウンド的にはYMO〜ジャパンの流れを汲んだエレクトリックポップに仕上がっている。自身のレーベルを、わざわざコクトーレーベルとするほどに、ジャン・コクトーマニアだったビル・ネルソンと、これまたコクトー好きのYMO高橋幸宏とは、それゆえ親交が深まり、ソロアルバムに呼ばれ、その後ツアーにもギタリストとして参加していた。ちなみにこの“Jerks”というのは、「ガクンと動くこと」や「けいれん」を意味する言葉で、スラングとしては「嫌なやつ、間抜け」といった意味もあるが、インストだけに、曲名のタイトルの真意はちょっとわからない。ただMetaphysical =形而上的、という言葉から、無理くりにキリコのイメージへと繋げてはみたが、キリコの絵の形而上学的な側面よりも、ここはポップアートの側面に合うような空気感がある。20世紀初頭のパリで、当時、コクトーとキリコとは、実際に交流もあり、1928年には『神秘的な水浴』で、実際にキリコのエッチング画が使われているほどだ。コクトーにはキリコの似顔絵なんかも残っていて関係性は概ね良好だった。二人はその形而上学的な絵画による結びつき、というよりも、ギリシャ神話や古典への見識においての共感がもたらした関係だったように思えるが、最終的には、シュルレアリスムの本流から外れたもの同士の共感だったのかもしれない。そういえば、コクトーの最初のシネマトグラフ『詩人の血』では、生きているかのように動き出す彫像が登場したりするが、彫像やマネキンを「人格なき存在=存在の謎」として描き続けたキリコテイストとは、どこか近親的な匂いがするのはなにも偶然ではなかったのだ。