伊藤俊也『誘拐報道』をめぐって 

誘拐報道 1982 伊藤俊也
誘拐報道 1982 伊藤俊也

そもさん、せっぱつまった誘拐事件簿

昔、ダウンタウンの漫才ネタに『誘拐』というのがあった。

松本「もしもし」

浜田「はい」

松本「あんなあ」

浜田「はい」

松本「お前のとこに小学校2年生の息子おるやろ?」

浜田「いますけど」

松本「うちには6年生がおんねん」

確か、こんなつかみだったと思う。
で、これはゲイシャガールズのラップでも使っていたフレーズで
「緑のカバンに500万入れて、白の紙で黄色のカバンいうて書いて、赤のカバン言いながら置いてくれたら、おれ黒のカバン言うて取りに行くわ」
というフレーズがあって、実に斬新な発想をするものだと思ったのを覚えている。
まるで北園克衛の詩みたいな漫才だと。

さて、昨今、人物の行方不明のニュースはしばし聞くところだが
誘拐事件というものがそもそもニュースを飾るなんてことはほぼない。
SNSを始め、これだけ情報網が発達してしまえば、
誘拐なんて割の合わないリスキーな行為を誰もやらないのだろう。
それとは逆に、ニュースをめぐる事件映画というものは
サスペンスやスリラーとしての題材としてはネタの宝庫であり、
映画の元になっているケースは少なくない。

誘拐ものというと、昭和の時代には定番というべく、よくあったものだ。
映画では真っ先に黒澤の『天国と地獄』を想起するが
伊藤俊也の『誘拐報道』も濃さじゃ負けてはいない。
実際にあった1980年の宝塚市学童誘拐事件から、
読売新聞大阪支社の社会部のドキュメンタリーを原作に映画化されたが、
「女囚さそり』シリーズで名を馳せた奇才伊藤俊也が
本作に熱を入れ「なんとしても」との思いから企画が実現したという経緯がある。

この作品、キャスティングが素晴らしいのだ。
まず、ショーケンと小柳ルミ子この組み合わせがフレッシュに活きたと思う。
いずれも監督たっての希望だったという。
ショーケンは、この映画のために10キロも減量して臨み、
まるでドイツ表現主義的な形相で、鬼気迫る誘拐犯を熱演すれば、
小柳ルミ子はここで映画初出演とはいえ、
大胆な汚れ役を厭わず、それまでのイメージを覆すが如く
誘拐犯の妻を、文字通り身を投げうつような覚悟で演じ切った。
以後、彼女のキャリアを前に大きな爪痕を残したといっていい。

兎にも角にも、昭和の熱気が漲る映画である。
冬の丹後半島の情景の素晴らしさはもとより、
公衆電話、逆探知、ポケベル、ヘリetc、まさに時代を感じさせながら
カネをめぐる欲望と人間の限界を、
各々体当たりな演技で凌駕しようとするその迫力、熱量十分は感じられるはずだ。
そして、加味されるのが生活臭、人間味というやつかもしれない。
事件ものには必ず、挿入される母親の情。
実家に戻って機織りのが原夏子演じる母と絡むシーンが切ない。
あるいは、誘拐した少年に、徐々に情を持ってゆくくだり。
悪に徹することのできない主人公を演じるショーケンを見ていると
「傷天」などでもまれた経験がここに活かされているように思える。
子供との絡みでいえば、「傷天」第一話、
子役坂上忍と絡んだ「宝石泥棒に子守唄を」を思い出した。
子供好きな主人公が、子供に怪我させたという思いから
事件に巻き込まれてゆく話だった。
まさに、昭和ならではの人間臭というものの匂いが
ひしひし伝わってくるのはショーケンの醸す哀愁か。

事件をめぐる人間の群像劇がなのだが、
ショーケンと小柳との夫婦間のいざこざと愛憎をはじめ、
そこに絡むすれてない子供たちとの情感。
(ちなみに、娘役の香織は高橋かおりの子役デビューである!)
また、誘拐された家族、秋吉久美子と岡本富士太夫婦と
警察組織の焦燥感の攻防。
冒頭で新聞社の部長丹波哲郎が歌うカラオケ「ダンシングオールナイト」や
ショーケンとの昔馴染みという設定の女池波志乃との情事、
あるいはヘリを操作する菅原文太の登場(これには驚いた!)、
若手の記者宅麻伸と恋人役の藤谷美和子の関係性などなど、
こうして書き出すと、なかなか豪華ラインナップの映画だったなと改めて思うが、
全てが必然シーンだったかどうかはさておくとしても、
救出までのサスペンスにはノスタルジックな情緒を感じながら
もっと肩の力を抜けよ、などとは到底いえないような空気感がみなぎって
追い詰められた人間たちの、切迫感がヒリヒリと感じられる映画だった。

ショーケンの場合、テレビドラマでもそうだったが、
激昂すると、何を言っているのか聞き取れなかったりするのだが
こういう役柄だと、セリフの中身よりは
犯人の緊迫した心情としては、何を言っているかわからない方が
より追い詰められた感じでリアルに響くのかもしれない。
クールな殺し屋はそれはそれでいいのだが、
こちらはテレビ演出の悪しき影響といえばそれまでだが
昭和の事件簿では、やはり、ガナリまくった半狂乱のイメージの方が
その臨場感は高いのかもしれない。

GEISHA GIRLS / Grandma Is Still Alive

番組の思いつき企画で始まったプロジェクト。ダウンタウンの漫才をラップ調にするという発想そのものが凄いのだが、それをちゃんと具現化する坂本龍一のプロデューサー力、全てが奇跡のようなプロジェクトであるゲイシャガールズ。今聞いてもかっこいいし、時代はまだまだ追いついてはいないかもしれない。一度きりだからよかったのだろうが、もっと聴きたかったという思いもある。どちらもプロフェッショナル。さすがである。

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