武満徹のこと

一足早くノーヴェンバーステップをふむふむと

石川セリの「翼 武満徹ポップ・ソングス」を
何気に聞いていたのだが
石川セリに関してはここではおいておいて、
ちょうどこの「ノーベンバーステップス」の頃合いに
武満さんのことが書きたくなった。
数々の難しい現代音楽を作曲してきた武満さんが
曲がりなりにも、というと語弊があるが
ちゃんとポップスを消化して曲を書いていることの驚き。
垣根のない、感覚的を以って作曲する現代音楽家。
そして何よりもポップにこだわった現代音楽家でもあった。
別に驚くことでもなんでもないのだが
そこにはある種の精神の自由さ無くしては
たどり着けない軽やかさがあることに、
改めて感動しているのだ。

武満さんの凄さは、その精神の自由さ、
であると同時に、僕にとっては
美術やとりわけ映画への造詣の深さが半端じゃない人
という側面が大きい。
それは若くして出会った運命の人
詩人瀧口修造直系の影響をモロこうむっているところからくる。
曲につけられたタイトル「妖精の距離」「遮られない休息」に代表される通り
武満徹を知れば、瀧口修造のことは
必然的に避けられない重要なキーワードになってくる。
武満さんからすれば、精神的な父親であったし
瀧口さんからすれば、自分の子供のように愛おしかったことだろう。
実際、子供のない瀧口家へ養子になる話だってあったという。

そんなわけで、武満徹周辺の美術に関しては、
福島秀子、加納光於、平沢淑子など
瀧口修造経由でむかしから見知っているなじみのものが多く、
“おさらい”という感じなのだが、
とりわけ瀧口修造主導の「実験工房」は
ぼくのなかのアート体験の礎にもなっているほどだ。

特筆すべきは、武満さんが瀧口修造亡きあと
その精神をしっかり踏襲している点なのだ。
あれは今から30年近く前、
季節もちょうど秋、九月だったと思う、
東京の品川寺田倉庫で催されたインスタレーションで
音楽家デヴィッド・シルヴィアンとアーティストのラッセル・ミルズによる
共同制作『EMBER GRANCE』に
武満さんが展覧会のカタログに文章を寄せたのを機に
友好関係がはじまったという、
この武満徹〜デヴィッド・シルヴィアン〜ラッセル・ミルズ〜大竹伸朗と連なる系譜こそは
現代における瀧口修造の精神の延長上にある
新しくも永遠なる導線であるのだと思った。
それは現代美術、アートなどという枠では
到底くくりきれない詩的魂の系譜だ。

その後その関係は武満さんが鬼籍に入られるまで続いたのであった。
武満徹の死に際して寄稿した「トオルのいない庭で」という
飾らないデヴィッドの文章を読んでいると、
瀧口〜武満の関係に似た、ある種の魂の絆、
ボードレールのいう“交感”を感じずにはいられない。
デヴィッドがまだグラマラスな容貌で
ジャパンを名乗ってポストパンクの特異な位相のなかにいたころ、
すでにタケミツの音楽を聞いていたのだという。
その後音楽家として驚くほど成長を遂げたのはいうまでもないことだが
坂本龍一を武満さんに紹介したのが
実はデヴィッドの方だったというのが少し意外だった。
当の坂本氏もそう言っている。
むしろ逆のような気さえしていたのだが、
それはデヴィッド・シルヴィアンという音楽家もまた
武満さんに劣らぬ詩的な波動を有する希有な音楽家だったからだと思う。
裏話のなかで、そんな三人のアルバムが画策されていたらしいのだが、
実現せずに終わったのは、今思うと返す返すも残念ではある。
(坂本氏は当初どちらかというと武満さんを否定的にみていたらしいのがまた面白い)

そういえば、その辺りからデヴィッドの楽曲に
やおら現代音楽というか、“タケミツテイスト”が頻繁に
入り込んできたのも偶然ではないのだろう。
一度きりの再結成バンド「RAIN TREE CROW」などは
1956年に作曲されたミュージック・コンクレート
『木・空・鳥』にインスパイアされているような気がする。
また、ファーストソロアルバム『ブリリアントトゥリーズ』には
武満さんが好む自然要素のメタファーがちりばめられており、
実際武満徹の曲をサンプリングして使っているのだという。

必ずしも音楽家・武満徹を熟知しているとは言い難く
熱心なリスナーではないけれど
ぼくがよく聴いていたCDは
『Music Zoneシリーズ』の1から3までで
一番多く聞いたのはやはり映画音楽だと思う。
実際作曲家・武満徹は、
日本映画史上の最大のスコアを担当しているはずだ。
勅使河原宏&安部公房シリーズの『砂の女』『他人の顔』
(ジャズ喫茶のシーンではエキストラとして出演している)
そして『落とし穴』。
あるいは、黒澤の『どですかでん』や『乱』
(この作品を巡っては黒澤との対立が生じた)や成瀬の『乱れ雲』
小林正樹の『切腹』『上位討ち』『怪談』から中平康『狂った果実』に至るまで
実に枚挙にいとまがないけれど、
とりわけ、録音をふくめ、総合的に担当した
『怪談』のアヴァンギャルドな邦楽テイストには
世界に名を知らしめた『ノーベンバーステップス』の武満ここにあり、
ってな感じでやられてしまったのを鮮明に刻印している。
映画も感動的だったが、音楽が実に素晴らしかった。
そこで生まれて初めて琵琶の音色を聞いたのであった。

もっとも、武満さんの音は単に美しいだけではなく、
幽玄的な美を奏で、時に難解であり
同時に厳格だといわれる音楽ではあるが
自分が共感するのは、それがある種の現代音楽家に通じる排他的な要素
あるいは、アカデミズムのような壁ではなく、
ひたすら詩的で、内省的であるという点なのだ。
瀧口修造の言葉を借りるなら
「純粋直感」で貫かれた気高い魂を感じないわけにはいかない。
美しい魂には美しい音楽が宿る、
まさにインディアンは嘘つかないのである。

そんな武満さんを巡るエピソードのなかで
気に入っている話がある。
デビューするまで、ピアノが買えなかった武満さんは
町を歩く中でピアノが聞こえたら、その家に言って
ピアノを弾かせてもらっていたのだという。
あるいは、ダンボールに鍵盤を書き込んで弾いていたという話もある。
それにみかねた黛敏郎氏が妻のピアノをプレゼントしたのだとか。
今では考えられないようなストーリーであるが
どうにも武満さんらしいエピソードだと思った。

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