魂を貫通す、世にも純粋なるモンスターペアレンツストーリー。
人それぞれに人を見極める判断基準というものがあるはずだ。
自分の場合は、純度ということになるだろうか。
ウソやごまかしそんなものが関係性を結ぶにはひどく邪魔になる。
男であれ女であれ、できることなら“裸の付き合い”がしたい。
無論、そんなことは限りなく幻想だとしても、
畢竟するに、その対象が何であれ、純粋なものに惹かれると言うことだ。
良い人、悪い人、
頭が良い、悪い、
何かすごい才能をもっている、いない
そうしたことはあくまでも資質の側面に過ぎない。
純度と言っても、それを推し量る基準は
我が眼にしか映らないものなのだから
言葉で説明するのは野暮である。
が、あえていうと岡本太郎というモノサシを
常にどこかで当てはめて吟味しているように思う。
なんとも大雑把なガイドではあるが、
これがいつからか有効な手段なのだ。
岡本太郎のことを改めて説明する必要などないが
太郎の日常を直に見たことなどないのだから
彼がいかに純粋であったかを力説するのは
いささかお門違いかもしれない。
しかし、自分にはかけがえのない純粋物として
いつも忘れずに心の片隅に持ち合わせてきた。
少なくとも、生前、および、その残された作品から感じるのは
ただひたすらに純粋に生きたということのみである。
作品などは二の次である。
妥協せず、迎合せず、感傷に浸らず。
太郎の一生は太陽の塔のように揺らぎなくかくも純粋直感だ。
それは何も僕だけが感じていることではないと思う。
そこでおもむろに彼の芸術観を闇雲に語りたいわけでない。
そこで、その純粋さの拠り所、原点のようなものを
人間太郎を司る礎なるものを
なんとか言葉にかきしたためておきたいと思ったまでだ。
そこで手にしているのは『一平 かの子―心に生きる凄い父母』という
太郎自身による両親への回想録である。
太郎はいうまでもなく、芸術一家に生を受けた。
父は漫画家一平、母は小説家かの子である。
もう軽く一世紀を経てしまった現在は
あくまでも伝説としてしか、耳に入ってこないであろう。
だからあまり一つ一つの逸話を取り上げる必要は感じてはいない。
それはドラマや映画に任せよう。
時には寓話のようにさえ伝え語られる
強烈な個性の両親の元に生まれ育ったわけだから
岡本太郎の個性が、必然的に
こんな風に死後何年経過しても
圧倒的なまでに人の心を鷲掴みにする魅力に満ち溢れているのも
当然だという気がする。
とりわけ、太郎は、母かの子の多大なる影響を受けている。
かの子は童女のようでいて、潔癖なまでに純粋を貫くがゆえに
周りの情緒をも狂わせる女の狂気を孕んで生きた。
本人は情愛の化身のように小説に身をぶつけ、
時には母として、時には恋人、あるいは娘、妹・・・
眷族の垣根を超えて交わる魂の交歓を求め、
激しく、そして誰よりも太郎を愛した。
太郎もまた、芸術に挑むのと変わりないエネルギーを
この母に傾注した。
もっとも、太郎はそれを対等な関係であり
通俗的な母と子の因果関係の馴れ合いではないと強調する。
小さい頃の太郎は“タゴシ”と呼ばれ
かなりのやんちゃであったらしい。
豪家大和屋の長女として生まれたかの子は
箱入り娘として後生大事に育てられ
気稟の才は兄大貫晶川の影響を受け、
次第に芸術に目覚めてゆく。
ちなみに、兄雪之助は谷崎潤一郎とたいそう仲が良く
当時から文学的な空気に満ち満ちていたのだろう。
両親はすでに「この娘は普通の子じゃない」という
周知の元で嫁がせたのだという。
そのかの子を見初め求愛し
血判を押してまで身を引き受けた父一平は、
放蕩者であり、世知に鋭く野心を内に秘めた美青年で
そんなかの子に甘美なる夢を見せた。
文学者、絵描きを目指していたが
生活のため、新聞社で漫画を描き始めた。
当時の“ポンチ絵”と呼ばれる風刺漫画のようなものを描き
一世風靡した漫画家である。
激情型、女としてのあふれんばかりの母性
純粋なる狂気を孕みながら生きた母かの子に比べて、
一平は飄々としていて洒脱、典型的な江戸っ子気質で
本質的にはニヒリストだと太郎はいう。
太郎に言わせると「かの女はきわめて正当なポエジーを
事ごとに遮断してしまう一平に対して絶望した」という。
夢見る童女に虚無を抱えたこの放蕩者がいかに交わったか。
その答えが太郎という結晶に露わになるのだ。
そんな相剋する二人に育てられた家庭環境のなかで
太郎自身は二人の本質を引き継ぎながらも
少なくとも成人後は情熱と知性を兼ね備えた人物に育ってゆく。
それでも世間からは“ゲイジュツは爆発だ”のイメージ通り
奇人、変わりもの、変な人という一面だけが一人歩きして
いまだにそのイメージが払拭されない運命をもっている。
その辺りは、まさに生前のかの子自身が受けつづけた
雷鳴のごとき感傷に
抗うように痛烈に生きた代償だったのかもしれない。
そんな太郎にも人並みに情というものに突き動かされていた時期がある。
一人っ子でかつ生涯独身を貫き通した太郎には
実は豊子、健二郎という弟妹がいたというのだ。
いればやはり両親同様にその生き方を巡って対峙していたはずだが
ともに生まれて間もない二歳程度で夭逝の運命を辿った。
そのほかにもかの子亡き後一平の後妻八重との間に
いずみや和光という腹違いの弟妹もいたという。
一平が死んだ後にはその八重に泣きつかれ
月間誌に画を寄稿し、その稿料を生活費に送金したり
弟の進学にも随分と骨身を削って面倒を見たりと
言うなればPTA的苦労を重ねたらしい。
この辺りの下りを読むと人間太郎の優しさ、
哀愁がにじむところではあるが、
自身の件になると、そこは猛烈な拒否反応が生じる。
人をフランス語でクリエーション、
つまり創造という言葉のうちには
子供を儲けることを意味するニュアンスが含まれている。
岡本太郎はそのことに猛烈に反撥する人間で、
子供ができる、作る、ということが許せないらしい。
創造的行為だなんて、なんともナンセンスだという。
世情の結婚、いわゆるマイホームなどは
「小さな帝国主義」だと揶揄して相手にはしないのである。
それも一理あるし、神からの授かりものという意味では
創造と言えなくもない、と思う自分には
猛烈に反撥する太郎氏の真意は別のところにあると考える。
つまり、一般的な家庭、と一括りでいうつもりはないが
少なくとも、一平とかのこという強烈な個性の芸術家を両親にもつ岡本太郎ならではの発想だとして
それには兼ねてから興味津々であった。
太郎は「人間にとっての親は、一人の孤独な他者である」
と書いた。
「共に生き、影響し、覆いかぶさるような力をもって影響しながら、また、はね返され、影響し返され、共にたたかい生きた後に、やがて忘れられる、子にとってはもう一人の人間である」と。
それを聞くと、なんだかドライな
非人間的な発想のような感じを受けるが
太郎は子供のまま大きくなったような部分と
実は好奇心の強い知性的、理論的な一面を兼ね添えた上で
世間や常識に挑んで生きる芸術家の道を選んだのである。
それはおそらく母かの子が目の前で抱え込んでいた
絶望や煩悶への太郎なりの答えであったのだろう。
そうしてかの子からはまさに芸術的情念のようなものを
一平からは理知的で、世界を冷静に見据える思想家の目を養っていく。
晩年、太郎は養女に平野敏子を迎える。
敏子さんは太郎の一番の理解者であり、
多くの人に太郎というキャラクターの純粋さを説いた。
いわゆる実質的な妻、公私のパートナーといわれる所以だが
太郎はそれをも否定する。
そもそも結婚という概念に常識を持ち込まないのが太郎であった。
それもこれも一平とかの子の相反する二つの魂の相剋を
目の当たりにしてきたわけだから。
私は、あれほど純粋に、“いのち”いっぱいに生ききった人間をほかに知らない。
二人とも。
私はそういう真の人間とともに生きたことを誇りに思う。
結局この一家は純粋という名の狂気と戯れながらも
死をもってしても清算されえない絶対の関係の中で
その運命をただ受け入れ格闘することを美徳としたのである。
JOHN LENNON:WOMAN
偉大なる作家であり、芸術家岡本太郎の母であり、一平の妻である岡本かの子、言うなれば偉大なる一人の女を讃える曲は、このジョン・レノンの女性讃歌、この場合は小野洋子に捧げた「WOMAN」が似つかわしい。所詮、全ての男たちにとって、母親とは女の原型であり続けるのだ。
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