序・『原郷から幻境へ、そして現況は?』鑑賞
木場の現代美術館にて、大規模な横尾忠則展『原郷から幻境へ、そして現況は?』に
なんとか滑り込みで行ってきた。
その圧倒的エネルギーの前に、ただ圧倒されてきた。
岡本太郎、草間弥生、そして横尾忠則。
いずれにも共通するとめどなきエネルギー。
それは理解の範疇をとっくに超えている。
だから、言葉に頼ることをあらかじめ、放棄しておく。
ひとりの人間の手から生まれたという、この芸術の洪水に浸って
ただ素直に、そのエネルギーの発露と対峙するにも
おなじようにエネルギーがいるのは、
単なる力学の問題ではないのを知る。
魂と魂の会話だ。
交感である。
横尾氏の場合、その道のりが、
どれほど我が国のアート&グラフォックシーンに影響を与えてきたか、
という思いは当然あるにはあるのだが、
あえて画家宣言し、地道にそのジャンアントステップスを刻んできた偉大な魂を前に、
あらたに、生きる意味、希望を見出す自分を重ね合わせてみることでみえてくるものがあった。
その行為によって、ひとつにつながる宇宙意識のようなものを
確認する行為、ここでは、それを鑑賞と呼ぶことにしたい。
とはいうものの、時期が時期で、わざわざマスクをして、距離を意識して
そこに絵と対峙している不気味さがあった。
なんとなく、落ち着かぬ気配のなかで、
横尾氏の膨大な宇宙に浸っていることが不思議な思いでつながってゆく。
横尾氏の変遷はまさに革新的であり、
あらゆる20世紀のアートそのものをのみこんだ、
果てしない絵巻物としてのクロニクルな時空のなかで、
自由にタイムトリップする感覚に通じる、そんな思いがした。
現実に起こっていることも不思議だが、
やはり、その芸術の謎は簡単に解けそうもない。
正直、一枚一枚、横尾氏のやってきたことに
いまさら発見というべき、そんな初々しい気分は起きなかった。
あくまでも、行為や魂のありようを確認するだけのことであり、
日常の延長上の、なんでもない出来事でさえあるかのように、
ごく自然に、その空間に、安らぎを見出そうとする自分がいる。
同時にそれは横尾氏が今立っている境地なのだろう、と思った。
しかし、それをやすやすと許さないだけの、
深淵で、恐ろしいまでの決意のようなものを感じる時、
今さらされているのこの世に映し出される諸々の闇に
唐突に解き放たれることへの畏怖を感じる体験
つまりパラレルワールドでもあるのだと。
横尾氏のスタイルは、時代そのものであり、
もっとも、同時代人がその波動をどこまでシンクロして感じるか
人それぞれであり、はたしてどういうものかまではわからないが、
自分のなかで、じんわりと化学反応が起きるのを見つめていた。
それをすぐに言葉で表明出来ないのはもどかしいとはいえ、
芸術はすでに、その先の未来を予言している。
決して遠くない未来。
そして、それはどこか懐かしく、失われた思いでいっぱいだったのだ。
Yの悲劇
単なる画家、グラフィックデザイナーという枠のイメージに
収まりきらない横尾忠則というアーティストが
むかし、YMO第四のメンバーに加わるという構想があったという。
もし、実現していたらどうなっていたんだろうか?
横尾さんが初期YMOのメンバーだと考えただけで、
なんだか痛快な気分にさせられるエピソードである。
もっとも、楽器を奏でるミュージシャンではないのだから
コンセプチュアルな関わりに過ぎず
いうならばヴェルヴェット・アンダーグランドに置ける
ウォーホルの位置ぐらいなら、なんとなく想像はできる。
横尾さんのもう一つのイメージ、
それは精神世界をアートに持ち込んだというか
すなわち今日のスピリチュアルブームの先駆け、
つまりは便宜上そう言っておくだけだが、
ことさら細野さんの音楽に、
そうしたスピリチュアリズムの傾向が漂い始めたのは、
まごうかたなく、横尾イズムの影響だろう。
その横尾さんを精神世界へ向かわせたのは、かの三島由紀夫で、
三島の自決後、 インドへと向かい洗礼を浴びている。
何しろ、若き日の横尾さんにとっては
三島由紀夫は神のごとく存在だったわけである。
以後、三島氏は横尾さんにとって
インスピレーションの泉であり続けた。
だから、ときおりそうした残像が作品に見え隠れして
あたかも三島氏の声を現代にとどける媒体であるかのようにさえ映るほどだ。
こうしてたスピリチュアルの流れが、
文学や絵画を通し、サブカル的に発展しながら
日本の音楽シーンにも入ってきて
浸透していったのものだと漠然と思っている。
もちろん、こんな混沌とした文化において
純然たる潮流が機能しているとは思えないし、
あんまり、スピリチュアルなものを、
ポップの領域に押し上げて語るのは気のりしない。
胡散臭く、安っぽくなってしまうからである。
横尾ワールドに潜むスピリチュアリティは、
別段威圧的でもないし、アカデミックすぎもしない、
むしろどこか祝祭的であり、快楽性があふれ
生の充溢=ポップであることに惹かれてしまう。
まさに享楽の坩堝である。
ただ、横尾さんの作品からは
どこかアニミズムを感知させられる。
コマーシャリズムとは対極の磁力を兼ね備えているのだ。
そのスピリチュアルでホーリーなアンテナが張り巡らされ
いろんなカルチャー文化を取り込んで
現代のアイコンを散りばめてゆくのが横尾芸術の
きらびやかな一面でもあるのだが、
その根源は意外にも素朴というか
普遍的な親和性にも支えられている気がする。
そんな横尾さんの出身、兵庫県西脇市には
そうした原点がある、というのは紛れも無い事実であろう。
当初は郵便局員に憧れていたというのだから、
エピソードとしては意外である。
エリザベス・テイラーに宛てたファンレターの返事を通して
郵便の流通マジックに憧れたと言うから
青年としての当時の純朴さが伝わってくる。
そうして、横尾さんは地元の印刷屋に就職し、
そこから新聞社を経て
時代の寵児たるグラフィックデザイナーとして席捲するに至る。
70年代から80年代にかけての活躍は目覚ましく
言わずもがなのカリスマ性にあふれ
個人的には、その横尾ワールドを
どこまで消化し、理解してきたのか上手く説明がつかない。
恐れ多いというのか、
当時はまだ美術やアートというものへの認識が疎く
単にその世界観がピンと来なかったからというのは言い訳にすぎず
要するに分からなかったということの方が正しい。
その魅力は、むしろ本業ではなく、
テレビドラマ『寺内貫太郎一家』での和服を来た
倉田という謎の男で出演していたときに、
なぜだか無性に気になった存在だったのを記憶している。
元々『寺内貫太郎一家』のオープニングのグラフィックが、
横尾さんによるものだったこともあって、
おそらく、その関連で出演の運びになったのだと思うが、
まったく縁もゆかりも無い、
俳優でもない横尾さんがいるだけで、
ドラマに不思議なインパクトと魅力を与えていたのを目の当たりにみて、
子どもながらに、この人のオーラの不思議さに
吸い込まれていた。
この人はいったい何の人なんだろう?
という関心だけが強くわきたっていたと記憶する。
だから、あの登場人物たちを
線画で描いたビジュアルだけが
異様に心に残っていると言うこともあって
その関心の糸が以後ずっと持続してきたのかもしれない。
その後八十年代に入って、ピカソの啓示を受けたといい、
グラフィックデザイナーから画家へと転身する。
より自由になったというか、
やはり本当に描きたかったものを描き始めたという印象を受けた。
その辺りから僕自身の関心が
アートへと向かい、俄然関心が横尾忠則に追随してゆく。
ある時から、そうした分かり得ぬもの壁が
雲の晴れ目のように取り払われ
突破られる瞬間に巡り会えたのである。
それが『Y字路シリーズ』の絵画であった。
七十年代は、時代の寵児たるほどに、
煌びやかポップアートで一世風靡した横尾さんだが、
なんとなく、横尾さんらしくないというと語弊があるが、
Y字路という意外なテーマの作品を発表し始めたことで
逆に親近感が増していったのである。
そこにはあの主張の激しかった
時代の寵児たるアクの強さは皆無である。
一見すると現代アートのようにクールな印象を受けた。
その時の違和感、衝撃はむしろ
かつての横尾忠則を横尾忠則として
世に轟かせたあの世界観ではなく
もっと身近で普遍的なものに変わっていたのである。
その後『Y字路絵画』は写真へと移り
より突き放された様相を帯びた写真を前に
さらなる衝撃を受けた。
それらは単に東京各地のY字路の写真というだけはなく
横尾さんが自らが赴いてすべてを納めたものであり、
そこには人らしきものが全く除外された純然たるY字路のみが
連綿と続くコンセプチュアルな現代性を感じとるのである。
まるで神隠しにあったかのような人間不在のY地路に
現代の空虚感、孤独感を感じながら
そこから越境するための通底路にさえ見え始めたのだ。
それぞれの方向性の先に一体何があるというのか?
不思議な喚起力による物語性を持った写真である。
絵画と違って、そこには純然たるリアリティがあり
ゆえに不思議な親和性を帯びているものも多い。
仮に、これが一写真家の撮った写真ならば
おそらくそこまで衝撃を受けなかったのかもしれない。
少なくともこれまでに知る
横尾忠則と言うアーティストの生み出す
どんな作品よりも直接的に響く何かを感じたのである。
それがなんなのか、うまく表現する自信はないのだが
おそらく、Y地路というものが
人生を歩む過程の縮図である気がしたのである。
常日毎、我々はこっちへ行くべきかあっちを行くべきか
二者択一の選択を絶えず突きつけられており
今の自分自身がそのどちらかを選択して生きてきた成果であるとするならば
その一歩手前で、その道の前に佇み
永遠なるものに眺めいるような
恐ろしくも、なんだか幻想的で、それでいてなんだか、
牧歌的ノスタルジックでもあるといった
あらゆる感情が入り混じったある種の魔境の入り口として
魅力的な広がりをみせていたのである。
その両義性と均衡は
この世の普通と尋常ならざるものを
目の前でわけ隔てる岐路そのものとして投げ出される。
Y字路とはまさにアーティスト横尾忠則進むべく方向を
端的に提示しているように思われる。
細野晴臣「Cochin Moon」with横尾忠則
第四のYMOメンバーに予定されていて、会見間際までテクノカットにしてスーツまで揃えていたという横尾さんと、その横尾さんを兼ねてからリスペクトしていた細野さんは、YMOの結成前に、唐突に一緒にインド旅行に出向いている。細野さん曰く、その旅行では現地の「水」が合わず大変苦労したのだとか・・・そんなエピソードを聴くと、水の音だかお腹のキュルキュル音だかわからない不思議な音が聞こえてきます。「出るものはなんだって出しちゃえばいい」なんてフレーズもありますが、この「Cochin Moon」は、そんな強烈なインド体験を経て、かのYMO結成へと向かうことになるいわば、原石のつまった奇跡のような霊感的なアルバムともいえるのかもしれませんね。
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