ブルーノ・ムナーリのこと

BRUNO MUNARI 1907〜1998
BRUNO MUNARI 1907〜1998

すべては無なり、または有なり

こどもの心を保ち続けると言うことは、好奇心と知る、理解する、だれかとなにかを伝えあうことを楽しむ心を保つと言うこと。

特集の最後はこの人に飾っていただくとしましょうか。
イタリアンデザインの父にしてイタリアの至宝デザイナー、
ブルーノ・ムナーリさんの登場です。
888と書いて、ヤァ!ヤァ!ヤァ!、でもいいけれど
ここはひとつパチパチパチということで。

さて、今更この方に、どこまで、どんな説明が必要でしょうか。
デザインにかかわるもの、志すものたちが避けて通れぬ道標。
ぼくは、それをムナーリへ続く道「ムナーリ道」と勝手に呼んでいるわけですが、
すでに生誕100年を過ぎ、2018年に開催された神奈川県立近代美術館葉山での
大々的な回顧展『ブルーノ・ムナーリ こどもの心をもちつづけるということ』では
その全貌を改めてみて、考えさせられ、魅せられたのはいうまでもありません。

絵本作家、グラフィック&工業デザイナー、著述家・・・
それらをひとくくりにしてアーティスト、とでもいえばいいのでしょうが、
ぼくは、強いて定義づけるなら、ユーモリストがいいんじゃないか思う。
あるいは、あるいは子供心をわすれないための育成兼案内ガイド。
よって、やっぱりこどもの心をもちつづける伝道師とか。
そう呼びたくなるのは、それこそがムナーリさんの本質ではないかと思うからです。
それはムナーリさんの長い活動に、どれかひとつにでも触れてみれば、
すぐにわかる理屈抜きのことだから、といえましょう。

どの絵本をとっても、ユーモア感覚と
それぞれに機知に富んだ工夫がほどこされた、
いうなれば、「仕掛け本」とよばれる奇跡に出会います。
たとえば、僕が最初に出会った素敵な一冊は
パラフィン紙(トレーシングペーパー)や穴を使った『きりのなかのサーカス』。
ムナーリさんの代表作でもあります。
手にとって、ぱらぱらめくると、
これがなかなかにくい仕掛けがほどこされているのがわかります。
ひとことでいって、ニクイ本なのであります。

まずは、はじめにミラノの町並みに市内を走るバスや車をひろいあげて
トレーシングペーパーを使って霧のムードを演出し、
開催中のサーカスに向かうというつかみになっています。
つぎには、カラーペーパーに大小穴を型抜きし、
愉快なサーカス団のムードをひとつずつ描きながら
いったりきたり、前後のページを見透かしたりできる、
そんな立体性をもった「グランドサーカス」が繰り広げられている。
サーカスが終わると、再び霧に包まれた自然のなかを帰ってゆくという構成。
いってみればアナログ3Dフル活用。
このデジタルでは味わえない素朴さ、簡素さ、そして温もりがいいのです。
とはいえ、これは子供向け、というにはあまりにもったいない。
まさに洗練されたデザイン美、アート本としても十分楽しめる作品になっています。

かとおもえば、5歳の愛息アルベルトのために作ったしかけ絵本シリーズでは
シンプルな線と形と色を駆使して、動物や身近にあるモティーフを使って
日常の小さな物語を膨らませてゆきます。
『みどりのてじなし』『たんじょうびのおくりもの』『トックトック(トントン)』
『決して満足しない』などといった
大胆で遊び心満載の仕掛けいっぱいの本が世に次々に送り出され、
その名を知らずとも、きっと一度や二度、どこかで見知っている人もいるでしょう。
あるいは、『木をかこう』や『太陽をかこう』では、絵というものの概念を
いちどまっさらに解体して、素直なアプローチで描く方法を伝授したり、
まあ、どれをとっても発見と学びがある、
そんな素敵な絵本を創造してきた人なのです。

ムナーリさんの考えの根本にあるのは、結果ではなくプロセスだと
そんな絵本で育った息子であるアルベルト自身が語っています。
「芸術のための芸術」などはひとつもありません。
物事をよく観察し、固定概念にとらわれずに、自分自身で答えを見つけ出すこと。
そのプロセスを楽しむ、表現する、その結果がデザインなり絵となるのだと。
元はというと、十八でマリネッティと出会い、フューチャリズモ(未来派運動)に参加し
その流れをくんで活動してきたアーティストで、
『読めない本』『本に出あう前の本』『役に立たない機械』といった
一見、文明に対するアンチテーゼ、現代アートにも通ずる
斬新でコンセプチュアルな表現も試みています。
ただそれは、真空管のフィラメントや電極といった部品を
アクリルに封じ込めた「西暦2000年の化石」であるとか、
あるいは旅行にも持ち運びが出来る「折りたたみのできる彫刻」などにも共通していて、
いうなれば、シャレであり、遊びであり、
実用性や、機能性から離れた、純粋な想像力の源泉に満ち溢れた世界観に
貫かれているのがよくわかります。

ぼくが、知らず知らずに、やっていたことのひとつに、
コピー機を使ったずらし遊びがありますが
それもすでにムナーリさんがやっておりました。
「ゼログラフィーア」というゼロックスコピー機を使った作品です。
コピーをする時に、原稿を動かしてはいけない、という常識を覆した
なんとも面白いアナデジな試みです。
あるいは、フォークの先を自由に曲げて28種類の手のサインを表現した
コミュニケーションシリーズ『ムナーリのフォーク』とか。
どれもひとつひとつをみると、子供じみた発想だといわれるかもしれません。
けれども、ムナーリという人は、そういった、
だれもが疑うことのない常識を覆し、
やってみることで見えてくる、
予想できない出来事や風景を楽しもうという人です。
そうしたイデアが子供達の発育にとりいれらて、
豊かな未来の担い手にとして育ってゆく、そんな夢前案内人なのですね。

ムナーリさん自身、親日家でもあり、それは作品も反映され、
たとえば、木という漢字をモチーフにした書を書き貯めたり、
詩人瀧口修造や武満徹らとも親睦を深めることで、いろいろ刺激を受けていたのです。
武満さんはムナーリに贈られた「読めない本」に感銘を受け、
「Munari by Munari」という楽曲を贈っていますね。

なんとなく、ムナーリという人を語るという行為がすぎると
逆に本質からどんどんずれてゆくような、そんな錯覚にとらわれる気がしてくるので、
このあたりで、言葉を〆たいと思います。
いずれにせよ、大事なことは、理屈や理論、計画ではありません。
物事を、ただ純粋に好奇な目をもって見つめることであり、
そのプロセスを心から楽しむことなんだと、ぼくは教えられたのです。
そもそも、芸術のための芸術が面白いと思えないし、
理解できているとは思いませんからね。

やはり、結局はこどものころにいだいた感性、感覚を忘れずにいたいな、
そう思うのであります。

ムナーリ作品を音楽に置き換えてきいてみる5曲

Milan, 1909: 坂本龍一

まずは未来派宣言ということで、教授の曲から。ムナーリというよりは、ちょっとアカデミックで政治的なな匂いもしないでもないけど、コンピューター主導の楽曲だが、いかにもサカモトサウンドという感じはする。

P: Machinery:Propaganda

今となっては懐かしいZTTサウンドから。ちなみにZTTとはマリネッティのサウンド・ポエム・タイトルからつけられている。ドイツ出身のこのプロパガンダの「P: Machinery」ビデオでは、人間モビールなことをやっていて、これはもうムナーリ賛歌としか思えませんね。

COPY:THE PLASTICS

「ゼログラフィーア」にちなんでコピーから連想する曲はプラスティックスの「コピー」。まさしくテクノポップの申し子であり、キッチュさ、軽さを兼ね備えながら、歌っていることは、まさに文明を皮肉るバンドだったというべきか。当時の東京はこんな空気だったのかな?

Im Zoo:Pyrolator

パイロレーターことクルト・ダールケは、DAF、デアプランといったバンドを渡り歩いた、ノイエ・ドイチェ・ヴェレ、つまりはジャーマンニューウエイブの中心人物だ。で、この曲は1984年のアルバム『 Wunderland』からのもので、全編シンセのみで作られたキッチュなテクノミュージックで、まさに子供向けのコンピューターミュージックというにふさわしい音楽に胸ときめく。

Sumire Yoshihara plays Takemitsu: Munari by Munari:吉原すみれ

ここでいきなり現代音楽? なんてと思うかもしれないが、これは、ムナーリに贈られた「読めない本」に感銘を受けた武満氏による音の書簡とでもいえばいいのか。静寂の中に響くシンプルで深みのある打楽器の音色に、何をよみとればいいだろうか。打楽器奏者吉原すみれによる武満徹には、色、言葉、情景、その他諸々ゆたかな映像が浮かび上がる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です