ドヤ顔で、ドヤ街をゆく野良猫のごとき哀しみの
芹明香という女優をどのぐらいの人が知っているだろうか?
特に美人でもなければ、可愛いというわけでもない。
演技がうまいかといわれると、
そういうわけでもない。
七十年初頭からロマンポルノの女優として活躍し、
テレビでもちょい役で(確か『前略おふくろ様』では
料亭の若旦那の愛人役だったっけか)見かけたが、
覚えている人は相当コアなファンなのだろう。
そんな彼女の本も出版され、劇場で特集を組まれるぐらいだから、
まだ、この世も捨てたもんじゃない、と思う。
そんな芹明香の存在を知ってほしいと同時に
もっとも輝いて見えるのは
やっぱり田中登の『(秘)色情めす市場』においてではないだろうか。
未だに日活ロマンポルノの傑作とされ、
実にギラギラヒリヒリしたドヤ街の空気の中で
一人の娼婦の生き様を描きだした、
文字通り、地域、時代を映し出す鑑のごとき風俗映画としても
実に秀逸な作品なのである。
さて、その芹明香演じる十九ピチピチの若く蓮っ葉な娼婦が、
日夜たちんぼうをしながら、男を漁り渡り歩くわけだが、
ギラギラ夏の太陽が照りつける大阪のドヤ街の片隅で
「うちなぁ何か逆らいたいんや」
そう呟くオープニングシーンのふてぶてしくも、
たくましさと気だるさとともに、思わず視線に緊張が走る。
けれども一時間強のドラマを観終わった後には
そんな彼女が実に愛おしくなってくるのだ。
それにしても、『㊙︎色情めす市場』とは
なんとも剥き出しのタイトルだ。
『受胎告知」というもう一つの襟を正したタイトルがあるにはあるのだが
ロマンポルノという名目上、タイトルの猥雑さからは逃れようはない。
けれども、これは単にロマンポルノという
ジャンルのみでくくられうるだけの凡庸な映画ではない。
十五でててなし児を路上に産み落とした母親の業を引き、
宿命を余儀なくされた一人の女が、
その宿命に飲み干されることなく
生の情動ぶりをあらわにその肢体をさらすことで
やり場のない抵抗を駆使し、ひたすら抒情が揺れ動く映画である。
時代の空気が手伝って、ヒリヒリとした中に
笑い、官能、ため息、緊張、猥雑さ、狂気、
全てが雑多に詰め込まれているのだ。
日活ロマンポルノ史の中でも
最も重要で最も美しい作品の一つだといっていいだろう。
そのなかで堂々の主演女優こそが芹明香だ。
まるで埃の中に輝くキラキラした結晶のように、
彼女の存在は眩しく、孤高でとんがった輝きを放っている。
母親は、あの花柳幻舟。
なんともアナーキーな淫売っぷりを発揮して、
当時、フェミニズムの旗手たりながらも
家元批判運動をはじめ
天皇即位の礼の際には、パレードに爆竹を投げこむといった問題児で
まさに地で行くような体当たりの演技が
実に怖いほどに生々しい。
娘と客を取り合うのをはじめ、
その娘にひどく当り散らしたかと思えば
今度は堕胎の費用を泣き寝入ってせがむといった、
ひたすら身を崩した鬼母を演じている。
それすらも、芹明香は
絶望しながらも宿命として受け止めながら
官能性さえもどこかへ追いやってしまうかのように
まるで一匹の野良猫のように、やさぐれた肉欲にまみれてゆく。
バラックへと帰る野良猫は
種違いの知的障害者の弟実夫をこんにゃくで慰め、
近親相姦さえ厭わぬ歪んだ愛情で持って、
呪われた運命の共同体として、まるで聖母マリアのように
一心に奉仕する場面に胸を打たれずにはいられない。
この『㊙︎色情めす市場』は冒頭から、
まず映画を覆うモノトーンの美しさに心奪われ続けるのだが
姉トメとのまぐわいが終わると、
飼っている鶏を抱えて、大阪の街へ繰り出してゆく
実夫のシーンだけがカラーになる。
現実なのか、それとも夢なのか。
天王寺の雑踏を抜け大阪城を背後にするかと思うと
最後は村田英雄の『王将』をバックに通天閣へと上り詰める実夫。
地上から弟を見上げる姉。
その後、閑散たる街並みのなかで
首をくくってしまう弟を凝視する姉のクローズアップ。
彼女が高みを見上げるのは太陽とこの弟だけであり、
その分、通天閣というシンボルが、
哀れみを抑制しながら、この野良猫の生き様を見守っている。
オールロケーション、全編を隠しカメラで撮るしかないような、
ギリギリの危うい環境のなかで敢行され、
危険でリアルな生命体を巡って、
エッジの効いた映像、物語がドキュメンタリーのごとく展開される。
日活ロマンポルノの傑作という触れ込みだが、
まさに日本映画史においてもその名は揺るがない。
まさに、野良猫女優芹明香の演技=生き様としてのドキュメントは
実に味わい深い傑作である。
ちなみに、深作欣二の『仁義の墓場』では
全編のダイナミックでリアルな映像感性は
この『㊙︎色情めす市場』に強く影響を受けており、
ほんの一コマにこの芹明香を起用している。
伝説が伝説を繋いでゆく、そんな興奮が宿っており、
それは、まさに映画ゆえの至福な体験なのだ。
㊙︎色情めす市場 オリジナル・サウンドトラックについて
サウンドトラックが45年の月日を経て、なんと単独CD化されているのだ。
しかも、楽曲はピコこと樋口康雄。
父親が元ソニー副社長という抜群の音楽環境の元、
70年代からその才能を発揮し、ソフトロックの名曲
「I love you」を収録した名盤『abc/ピコ・ファースト』は
のちのポップ・ミュージックシーンにも
多大な影響を与えた一枚と言っていいだろう。
とりわけ、元祖渋谷系と呼んで差し支えあるまい。
その後、テレビドラマやCMなどで活躍の場を広げ、
まさに日本のポップシーンを支えた、先駆けの一人である。
これはそのピコが担当したサントラ、という触れ込みだが、
残念ながら、これがピコの楽曲というわけでもなく、
当時の日活ポルノは、音楽のたらい回しが頻繁に行われており、
それぞれに独立したものは稀であった。
とはいえ、当時の空気感を詰め込んだ一枚であり、
傑作に彩りを添えた音が展開される。
何よりも天才ピコの名をこの盤を通じて知ってもらえれば
それはそれで幸いだ。
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