塔がたっても薹はたたない、永遠のバベルについて喋ってみよう
秋といえば、バロック。バロックといえば秋。
なぜかそんな刷り込みがどこかで出来上がっている。
ダニエル・シュミットの映画『デジャヴュ』よろしく、
あたかも中世の森へとまぎれこんだかのような、
そんな錯綜的でロマンチックな不思議体験をば
おひとつよろしく・・・などと夢想しながら
ボスの画集を眺め「カルミナ・ブラーナ」なんかの中世音楽を
好んで聴き入っていた時期がある。
まさにそれは脳内祝祭そのものという感じだった。
たしか、フランスのレーベルで
ボスとかブリューゲルの絵が使われていたジャケットに
惹かれたのがきっかけだったのだが、
あれは音響マニア長岡鉄男という人が推奨していた連載の請負で
求めた音質のいいレコードのなかに
たまたま中世音楽が含まれており、
それを一時期買いあさっては
いつの間にやらはまってしまうという事態に発展したのであった。
それはさておき、ここではすでにヒエロニスム・ボス、
あるいはアンチンボルドへの偏愛については後日語るとして
ここではまずピートル・ブリューゲルという画家について
言及したいと思う。
2017年に東京都美術館で『ブリューゲル・バベルの塔展』を
鑑賞した時の印象をまじえながらかくなる中世ロマンを語ってみよう。
実現することが不可能な無謀な計画のことにも譬えられる「バベルの塔」。
旧約聖書の創世記11章に書かれた人類の夢であった
この「バベルの塔」はノアの洪水の後、バビロンの地に住む人々の思いを託し
神への挑戦として建てられたのだが、
神の怒りをかって実現されえなかった上に
言語の混乱を招き、人類の拡散が余儀なくされた、
つまりは今日の世界の始まり、
象徴そのものだと言っていいのかもしれない。
あくまでイメージに過ぎなかった「バベルの塔」を
しっかりこの眼で拝むことが出来たのは
実にファンタスティックな出来事だったと言える。
それにしても一枚の絵がこれほどまでに壮大なロマンを持ち得ることに
改めて感動を覚えずにはいられない。
とりわけこの東京芸大プロジェクトによる
300%の復元版の風格は凄まじいものだった。
(高さ340cm立体版「バベルの塔」もあるのだ!)
ボイマンス美術館所有の原寸「ブリューゲル版」とでは
印象がまるで違うのだ。
ブリューゲル版は鑑賞用という前に、
板に描かれた油絵を何百年もの間後生大事に
それこそ腫れ物に触るように、神経をとがらせて保管されてきた代物だろうし、
サイズもさほど大きくなく1mにも満たない、
いうなれば室内展示用のものだ。
この絵画をひもとけば、確かに細部に様々な物語が脈々と宿っており、
16世紀のロマン漂う叙情詩のごとく、
当時の人民の思想や生活感まで手に取るようによみとれるぐらい貴重なものだ。
資料によれば、約1400人ほどの人間が描き込まれているというが、
元来のもので描かれた米粒程度の人間を肉眼でみても、
イマジネーションが膨らむというようなものでもない。
構図や構想のなかには、確かに様様な思いが感じ取れるものの、
情報もなければ、実際さほど興奮できるようなものでもない、
というのが正直な印象だった。
それが現代のテクノロジーを駆使し、
約3倍に拡大された複製版では、色彩もあざやかにみずみずしく再現されて、
より具体的にトリップすることができる。
レンガや石灰を滑車で運ぶ様が描き込まれた絵の写実性や
人民の息吹、雲を突き抜ける塔の壮大な臨場感、
隣接する海や港、そして町並みをも飲み込む景観の雄大さなど、
5分ほどの3DCG動画もあわせて
その凄さをぐっと身近に感じることができる素晴らしい展覧会であった。
東京タワーなんぞ、はるかに凌駕するバベルの風体は
まさに中世における壮大なる大浪漫、一大叙情詩そのものなのだ。
美術家泣かせのブリューゲルのこと、
さほど多く情報を残してはいないのだが、
「股の間から景色を覗いて農村風景のスケッチをとる習慣があり、
その姿勢の最中に死んだ」などという、
嘘か本当かは定かでないが、奇想天外な逸話が一人歩きするほどの人物である。
たかだか40作程度の絵が残されているにすぎない画家とはいえ、
当時、農民画家と呼ばれていたように、
写真がない当時の風俗がなまなましく描き込まれた
精緻な絵画を残した点では、
歴史資料としてもなかなかの価値があり、
当時の風俗、大衆の生活を想起するには
十分すぎるほど豊な喚起力に満ちている。
だが、「バベルの塔」はこの現代においても
最も刺激的な建築物である点で、
そうした絵の可能性をはるかに凌駕している。
『悪女フリート』のようにヒエロニスム・ボスの影響を受けた
この画家の画風とは別に、この「バベルの塔」一枚に託された野望は
なるほど一世一代の大仕事といっていいのかもしれない。
仮にこれを当時に目撃したとすれば
べらぼうでとてつもなく未来的な作品だったはずである。
果たしてこれはいかにして、当時の民衆の目にさらされたのか?
はたまた、どういう反応があったのか? 興味は尽きない。
自分とて、どちらかというと、
本展覧会のイメージキャラクター「たら夫」を筆頭とする、
ボスに影響されたへんてこりんなキャラが
ちりばめられた絵画の方に惹かれていたのだが、
バベルの壮観な夢物語を目の当たりにすると
それは決して無謀な計画ではなかったのだと、
改めてこの現代に証明しえた天才ブリューゲルの所業に
改めて打ちのめされたのである。
ちなみに、バベルの塔で思い出すのは
鉄人28号で知られる横山光輝原作「バビル2世』というテレビアニメ。
遠い昔この地球という星に不時着して
帰れなくった宇宙人バビルが信号を送る為建てたバビルの塔を
遥か未来5000年後の遠い末裔である超能力少年浩一に託し、
地球征服者ヨミに対抗する、というような話だったっけな。
今考えるとちょっと無茶もあるが
漫画ならではの発想にしても子供には
理解を超えた壮大なロマンを感じるアニメを思い出す
ここにも当然このベベルの塔の影響はあっただろう。
ロマンは時空を超える、まさにそれがバベルの塔のメッセージかもしれない。
注)これは2017年4月18日(火)~7月2日(日)東京都美術館にて開催された
『ブリューゲル・バベルの塔展』鑑賞記です
うるわしき時のおとずれ : 坂本 龍一+ダンスリー
教授がかつて岡本一郎氏によって結成された古楽演奏集団「ダンスリー」とリリースしたアルバム「THE END OF ASIA」より13世紀フランスのトラバドゥールの曲「うるわしき時のおとずれ」。まさにブリューゲルが生きていた時代の音楽って、概ねこんな感じだったんだろうか。坂本龍一のオリジナル楽曲も加え、中世ルネサンス期の音楽を再現した室内音楽の調べは、究極のアコースティクな世界観をYMO時代に並行してやっていた、教授のバイタリティ&インテリジェンスに改めて感心する名盤だ。
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