ジャン=ピエール・レオーをめぐって
それぞれの映画のなかで、彼、レオーをして、 たとえおいさらばえた老人になりはててしまったとしても、 その個性は、愛さずにはいられない、 永遠のヌ-ヴェル・ヴァーガ-としての いまだ、惜しみなき賛辞はやむことをしらない。
それぞれの映画のなかで、彼、レオーをして、 たとえおいさらばえた老人になりはててしまったとしても、 その個性は、愛さずにはいられない、 永遠のヌ-ヴェル・ヴァーガ-としての いまだ、惜しみなき賛辞はやむことをしらない。
そこにジャパンという、真可不思議な存在のロックバンドがあった。 リーダーであったデヴィッド・シルヴィアンは、 かつて“世界で一番美しい男”と称されるほどに眩しい存在であり、 その実弟のスティーブ・ジャンセン、 学生時代からの親友ミック・カーン、 同じく校友であったリチャード・バルビエリという 気心の知れた四人で結成されたジャパンは、 その後、広告をツテにやってきたロブ・ディーンを加えた五人で ポストパンク地において、1978年本格的にデヴューを果たした。
そうして、コ-ネルそのひとの真実に目をむけはじめれば、 おびただしい童心のイマージュに胸踊ると同時に、 たえず無垢なる世界観を渇望し、 自分よりも幼いものたちへの慈しみや愛情を、 生涯持ちつづけた人物であったことを あらためて知ることになるだろう。
大型ポラロイドを用いたこのマン・レイシリーズ「MAN'S BEST FRIEND」は、 ウェグマン自身の傑作というだけではなく、 犬と人間の驚くべきコラボレーションのドキュメントとして、 思わずにっこり、おもわずふむふむ、 なにかと気を惹かずにはいられない。
なんといっても二十作品をも数える 増村作品での彼女の強度を持った眼差しの数々が、 とりもなおさず観たいのだ。 それら増村作品における若尾文子演じる代表的な「女」たち、 なかでも『妻を告白する』『夫はみた』『清作の妻』『刺青』『赤い天使』における、 彼女の生きざまには、ちょっと凄いまでの感動がある。 いやほんとうに、物凄く、凄い。
だからここで言及するのは、あくまで個人的な嗜好に基づいた偏愛的関心でしかない。それは心を豊かにし、ウキウキさせ、時に人生そのものに対する見識を深めることができるものばかりだ。何より、それが自分がアートというものに抱いている感情の源泉なのである。
地上で生きるためには流行を追わねばならぬ。が、心はもはやそれには従わぬ。 『大股びらき』ジャン・コクトー 目新しい文学にとんと触れていないし、決して熱心な読書家というわけでもない。手元の書架も整理してしまった今となって...
結局北極放送局、MisiQ百選となるはずのタイトルもMisiQ切りありま選、ってことになってしまい、恐縮。今後も追追追加するつもりです。聞き込み度はそれぞれ違いますが、きわめてざっくばらんな紹介におつき合いを。御意見御感想、その他、あなたが御存じの名盤、珍盤、カルト盤、愛聴盤なんかを教えていtだければ幸いです。 初めに音楽ありき、ですね。どれほど人生が豊かにねっているか、感謝の思いはいいようもありませんぬ。あらゆる表現、ことば・・・・そのなかで音楽ほど理解しやすい言語を、わたくしは知りませんので。では、ミュージック・オン。
はじめてリュミエール兄弟の“動く画面”をみて、すなわちスクリーンの汽車を前に逃げまどった人々は圧倒的にただしかったとのだと、今なら堂々そう言える。というのも、だれもが作りごとには思えない映画というものがあるし、われわれは...
人であれ、ペットであれ、物であれ、ひとはなぜゆえにあれほどまでにその対象を偏愛してしまうのだろう? 通常の眼差しをわけもなく凌駕し、その対象へとのめり込むことの情熱。対象を語るということで滲み出してしまう偏愛への序章は、そのまま主体側の個としての資質、いわば重要な側面をすでに表出させているように思える。